第44話 帰ってきたリリコ③
書留にはチケットとリリコ直筆のメモが入っていた。メモには東京のコンサートから大阪に戻る日時と宿泊先のホテルと部屋番号が書いてあった。
リュウは今回は明るいうちに行かねばと昼下がりにリリコの泊まるホテルに出掛けていった。フロントにチケットを預けようと声をかけた。
「こちらのお客様から須崎様が来られたらお部屋に上がってもらうようお伝えすることを伺っております。」
リュウはフロントにチケットを預かってもらえず仕方なくリリコの部屋へ向かった。
ベルを押すとリリコの声がして、ドアが開けられた。リリコは姿を見せる前にリュウの腕をつかみ、中へ引き込んだ。ドアを閉めたリリコはバスローブ姿。リュウは驚き、困った顔をした。
「なんや昼からそんな格好して。まあええ。チケット返すわ。もう送り返さんとってな。」
帰ろうとするリュウの背中にリリコは抱きついた。
「ねえ、帰らないで。ベッド行こう。また愛し合ったら昔に戻れるよ。アタシのこと、思い出して。」
リュウはリリコの腕を外して、リリコの真正面に立った。
「リリ、前にも言ったけど、リリも俺ももうあの頃のままじゃない。リリのことは今も大好きやで。でもそれはもう女としてじゃない。今のリリにとって大切な男はもう俺じゃないはずや。ちゃんと考えてみ。」
リリコは溢れそうな涙を必死に堪えた。
「アタシらもうアカンの?」
リュウは寂しげな笑顔でうなずいた。
「リュウ、1杯だけお茶に付き合って。」
「うん、1杯だけな。」
ソファにリュウを座らせるとリリコは電気ポットをセットした。バッグから持参したティーバッグを取り出し、2つのカップにそれぞれを入れた。
「アールグレイでいい?リンゴ食べる?」
「うん、ありがとう。」
リリコはリュウの好きなアールグレイとリンゴを用意していた。冷蔵庫から紅く大きなリンゴを取り出すとリュウの隣に座って、リンゴをむきながらリリコはポツリポツリとパリに渡ってからのことを話し始めた。リュウは静かにその話を聞いていた。すると誰かがドアをノックした。
「ルームサービスです。」
リリコは立ち上がり、ドアの向こうに声をかけた。
「うちは頼んでないわ。」
「あ、いえ、隣のマネージャーの方からです。」
「アンリ?なんだろ?」
リリコはドアを開けた。
と同時に男が飛び込んできて、後ろ手でドアを閉めた。
「リリコ、俺と死んでくれ!」
田尾は血走った赤い目をして右手にナイフを握り締めている。リリコは恐怖で声が出ない。男の怒鳴り声がして壁の影にいたリュウが飛び出した。
「どうした、リリ?」
目の前でナイフを握った初老の男がリリコにナイフをかざしていた。男はリュウに気がつくとリュウに向かってきた。
「もう男連れ込みやがって。コイツは俺の女や。誰にも渡せへん。」
田尾がリュウに向かって行ったのを見たリリコはリンゴを剥くために使っていた果物ナイフを持つと田尾に向かって行った。
「アタシのリュウに何すんの?」
田尾の腕を押さえていたリュウはリリコが田尾を襲おうとしているのに気づき、慌ててリリコを止めた。
「やめろ、リリ!」
リュウが田尾の腕から手を離し、リリコを押さえた途端に田尾のナイフがキラリと光った。
ついうっかり、リュウは田尾に背中を向けてしまった。その瞬間、鈍い音がして血しぶきが飛んだ。田尾はリュウの背中に切りつけた。
「お前を殺ったら次はリリコ、お前や!」
田尾の言葉にリュウは壁にリリコを押し付け、かばうようにリリコの前に立った。
「リュウ!リュウ!」
リリコの叫び声に田尾は逆上し、リュウを何度も刺した。刺される度に、リュウの口から血がほとばしり、呻き声が出る。苦痛に顔が歪む。
「誰か助けて!!」
リリコが絶叫した。
アンリはリリコの隣の部屋にいた。リリコが愛人と部屋で会う度、トラブルになった時のためにと隣の部屋で待機している。愛人のなかにはリリコを殴って楽しむ男もいて、気を抜けなかった。しかし今日、リリコが会うのは忘れられなかった昔の恋人。リリコの嬉しそうな表情を思い出し、良かったと思うと同時になぜか苦しいほど切ない。手元の本は読んでも全然頭に入らず、同じところを何度も読んでいる。思わずため息を漏らした。
「俺は何をしている。」
と、そのときガタン!と、大きな音がした。同時に男の怒鳴り声がした。アンリはフロントに連絡するとすぐ飛び出した。
リュウから呻き声すらほとんど漏れなくなった。顔色はどんどん悪くなり、もう真っ白。リュウは立っていられず、ずるずると崩れ落ちる。それでもリリコにナイフがたてられないよう、男からリリコを守っている。
男がナイフを立てようと大きく腕を振りかざした時、その腕は部屋に飛び込んで来た警備員に掴まれた。ナイフははたき落とされ、あっという間に取り押さえられた。アンリはリュウにかばわれているリリコを助け出した。
「大丈夫ですか?今、救急車呼びますからね!」
一緒に駆けつけたホテルマンは救急車を呼ぼうとした。するとリュウは血の気のない顔を向け、かすれた声で言った。
「嫁の須崎もと子がいる新宮総合病院にして下さい,,,」
ホテルマンは大きな声で意識の薄れていくリュウに聞こえるように答えた。
「わかりました!」
日が傾き、病室の窓から見える遠くの山々の端はオレンジ色に美しく染まっている。今日はハッキリ山が見えている。山の稜線もくっきり。食事をこぼした患者さんの着替えを手伝い終えたもと子は汚れた寝間着を抱えながら、ふと窓辺から遠くの景色を見た。
今夜は何にしようかな?リュウさんと何を食べようかな?
リュウが美味しそうに食べている姿を思い出し、仕事終わりまであと少し、頑張るぞ!と気合いを入れた。汚れた寝間着を汚れ物のカゴに入れようとしていると看護師長の中村が慌てた声で自分を呼んでいるのが聞こえた。
「中村さん、どうかしましたか?」
「棚橋さん、ここはもういいから救急行って!ご主人が大怪我して運ばれたって今、連絡があったの!」
「,,,すみません!」
青くなったもと子はうなずくと階段を駆け降りた。
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