第40話 忍びよる影⑮
数日後、勤めている税理士事務所の用事で瀬戸の居る事務所に向かった。事務所のドアを開けると瀬戸とロキがコーヒー片手に談笑しているところだった。瀬戸に書類を渡すとロキがコーヒーをリュウに渡した。
「よう、リュウ。もと子ちゃんと仲直りできて良かったな。」
「ロキさん、すみません、バタバタしててご報告が遅れました。あの時は、本当にありがとうございました。」
リュウは深々と頭を下げた。
「もうええって。それより瀬戸さんから聞いたけど、婚姻届なくして大変やったらしいな。大丈夫やったんか?」
「津田さんから前日に婚姻届不受理届を出すように教えてもらって助かりました。まさか無くなったとは思わなくて。」
「リュウ、それ誰かに盗られたってことないんか?」
瀬戸の指摘にリュウが思わずうなずいた。
「ええ、どうも盗られたっぽいんですよ。ファイルの中で婚姻届だけ無くなってるんすよ。それに今回、正樹先生がもとちゃんにアタックするよう自分を煽ってた奴の事を教えてくれて。そいつ、正樹先生が身を引く事にしたのに、もとちゃんを諦めるなってまたしつこく煽ってくるらしくて、気をつけるよう言ってくれました。」
コーヒーを机に置くと、瀬戸はロキの方を振り返った。
「と言うことはもと子を自殺に追いやったのは、その女ってことやな。もと子のあの姿を見て、八重もかなり参ってたわ。俺らの結婚話までどうなるかと心配したで。えらい迷惑な女やな。」
瀬戸は静かに語るものの、そのこめかみに青筋が浮かんできた。
「なあ、その女が婚姻届を盗んだんちゃうんか?ロキ、どう思う?」
「俺も瀬戸さんの意見に賛成ですね。」
「そいつ、なんでそんな事すんねや?」
瀬戸は下から睨めあげるようにリュウを見た。
「この女、俺のファンらしくて、今までの俺の彼女たちがみんな金持ちできれいな子だったので気後れしてたんす。それが、もとちゃんが彼女になったことで、なんでこんな普通の子が彼女になれたんやってキレたらしいです。」
リュウの話に瀬戸とロキはうんざりして顔を見合わせた。
リュウは2人の方へ身を乗り出すとそれぞれに目を合わせ、頭を下げた。
「あのお2人に相談があるんです。この女、もとちゃんが仕事に復帰する前にどうにかしたいんです。なんか知恵貸して下さい。」
「ふうん、そやなあ、ロキ、このしつこさと負けず嫌いは使えるんちゃうか?」
「そうですね、もと子ちゃんの復帰までには間に合わないかもしれないけど、一手打ちますか?」
瀬戸は片頬だけで冷たく笑うとロキに目で合図をした。
今日はもと子が退院する日。リュウは朝から休みを取り、迎えにやって来た。支払いを済ませ、荷物をまとめると、ナースステーションへ挨拶に行ったもと子が戻るのをベッド脇の椅子に座って待っていた。
「お姉ちゃん、今日退院やね。お兄ちゃん、良かったね。」
向かいのおばあちゃんが声をかけてきた。
「お世話になりました。おばあちゃんも早よ、退院してください。」
リュウは笑顔で挨拶をした。おばあちゃんはチョイチョイと手招きをした。リュウがそばに行くと、病室に自分とリュウだけなのをチラリと確認した。
「うちも夕方、退院するんよ。あんなお兄ちゃん、お餞別やで。」
おばあちゃんは飴をリュウの掌にのせながら小声でささやいた。
「見たんや。お姉ちゃんが検査に行ってる時、お姉ちゃんがこの部屋に移るまで担当してたコワイ看護師さんが入って来てな、お姉ちゃんとこのカーテンしめてから引き出し開けてガサガサしてたわ。カーテン開けて出て行く時、ポケットに書類みたいなんをつっこみながら出て行った。あの時、この部屋はうちしかおらんでな。あの人、コワイから寝たふりしてたんよ。」
リュウは目をまん丸にした。
「その後や、お姉ちゃんが婚姻届なくなったって騒ぎになったんや。」
「え、ホンマですか?その看護師って?」
「えっと漆田っていってたな。お姉ちゃん、ここの看護師さんやろ?気いつけや。」
「ホンマにありがとうございます。彼女に気をつけるよう言っときます。」
リュウはおばあちゃんに何度もお礼を言った。
「お餞別や。末永くお幸せにな。」
おばあちゃんは顔をシワシワにした笑顔で手を振った。
その夜、リュウはもと子の腰に手を回して引き寄せた。リュウと向かい合うともと子はリュウの胸を何度も叩いてきた。
「リュウさん!私がどれだけリュウさんのことを思ってるかわからなかったんですか?」
もと子は湿った声で訴えた。
「すまん。」
切なげに謝るとリュウはもと子を抱きしめた。そして右手の人差し指でもと子の首の傷跡を上からなぞった。
「ごめんな、もとちゃん。この傷、俺の戒めや。」
リュウは苦しそうに顔を歪めると、もと子の頭を自分の胸にもたせかけた。するともと子はリュウの右手に手を添えて人差し指をパクリと口にした。
「…ん?」
困惑するリュウをまったく気にせず、モグモグと言いながら指先を食べる真似をした。最後にゲップ!と声を出した。
「リュウさんの気持ちいただきました。いっぱい食べて、お腹いっぱいになったからもう十分です。」
「ゲップ出るほどいっぱいって?」
「はい!」
もと子は以前と同じ弾けるような笑顔を見せた。
「私、リュウさんのこと大好き。前よりもっと大好き!」
もと子はリュウにぎゅっと抱きついた。
「なにい、もとちゃん、俺の方が大好きやで!負けへんで!」
馬鹿ップルのように言うと、笑顔になったリュウも負けずにもと子をぎゅっと抱き締めた。
「もとちゃん、ありがとうな。」
フガフガと声をあげてもと子はリュウの背中にまわした手をバタバタと振ってもがいた。リュウが手を緩めると大きく息をした。
「ああ、やっと息が出来ました。ピンクのママさんのハグといい勝負でしたよ。」
2人は顔を見合わせて笑った。
リュウはもと子の体を包むように手をまわした。もと子はリュウの匂いをいっぱい吸い込むと嬉しそうにリュウの胸に頭をつけてきた。リュウはその頭を愛おしく撫でた。
「もとちゃん、もう離さへんで。」
そう、もとちゃんと本当に離れたいと思ったことは一度もなかったのに。だから俺ともとちゃんを離そうとしたやつは許さん。消えてもらう。リュウは暗い目をした。
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