第22話 彼女になりたい②
12月と1月は年末年始の帰省に忙しい既婚者の同僚の代わりに出勤することが多く、もと子はリュウと会う機会がなかった。そこでリュウはチョコの練習をした方がいい、出来上がったら写真を撮って見せてくれともと子に伝えた。その意見に従い、もと子は何度もチョコを作り、その度に写真をリュウに送った。写真を見る度にリュウはこうした方が男だったら喜ぶとアドバイスし、もと子がバレンタイン前に好きな男に近づこうとするのを止めた。
そして、とうとう今日はバレンタイン当日。もと子のことが気にはなったが、キップスは早い時間から賑わい、イベントのある日は出勤する事になっていたリュウは、もと子のことが気になりながらも忙しさについ忘れてしまった。
リュウと仲のよい常連客の一人が早々に飲みすぎてフラフラになってしまった。リュウは後輩のスタッフと二人で客の体を支えながら歩いて、表通りにやって来た。タクシーを拾い、客を乗せて送り出した。
一仕事終わって、店に戻る途中、路地から男と女がもめる声が聞こえてきた。
「キップスっていうんですよ。本当にリュウさんのお店、知ってるんですか?」
「もちろん、知ってるで。俺はリュウの友達や。早よ店、行こう。さっさと来いや。」
「やめて下さい!痛い!離して!」
女が叫んでいる。
店と自分の名前が呼ばれて、リュウはギョッとし、後輩と顔を見合わせた。俺?自分を指さすと後輩はしっかりうなずいた。
「なんか、気になる。見てくるわ。」
後輩に先に店に戻るように言うと、リュウは声のする横町をのぞこうとした。すると、路地から女の顔が一瞬飛び出した。その顔はもと子。
「もとちゃん!どうした!?」リュウは反射的にもと子のもとへ駆け出していた。リュウが駆けつけるとそこには、もと子が男に手首を掴まれ、もがいていている姿があった。
「離せ!この野郎!」
リュウの声に男が振り返った。男の顔に見覚えがあった。男はこの界隈を縄張りとするスカウトで、最近、半グレのリーダー沼津が探していた奴であった。
「その子、離せよ。いつから俺とお前、友達になってん!?ふざけんなよ!」
低い声でリュウが男に叫んだ。リュウが恐ろしい顔をして自分を睨み付けるのを見て、男は左腕をもと子の首にまわし、右腕でポケットからナイフを取りだした。口でくわえて鞘を外し、ナイフをもと子の顔近くに持ってきた。
「へへへ、一人ぐらい俺に女、まわしてくれたってエエやろ?モテモテのリュウさんよ。」
「さっさと離せよ。この子、傷つけたらただでは済まさんで。」
ジリジリと近づくリュウに、男も少しずつもと子を引きずりながら後ずさった。
「別にこの子でなくてもエエやろ?今なら沼津さんに黙っとく。」
「そうもいかんのや。得意先からこの子みたいにおとなしい地味な子をリクエストされとんや。ここらではなかなか見つからんからなあ。」
「お前、沼津さんの妹を売り飛ばしても懲りへんのか?もとちゃんを売り飛ばす気やな。絶対許さん!」
リュウの顔が怒りで赤く染まってきた。相変わらず男はヘラヘラ笑いながら、リュウから逃れるべく機会をうかがっている。時々ナイフがもと子の頬をかすめそうになる。その度にリュウの胸に冷たいものが走り、心臓がキュッと締め付けられた。
暫しのにらみ合いが続いた。と、不意にリュウが頭を上げて叫び、大きく手を振った。
「沼津さん、こっちです!」
男は顔をひきつらせ、思わず振り返った。リュウは男の胸に飛び込むとナイフを持つ手を捻り上げた。男の手から落ちたナイフを遠くに蹴り飛ばし、もと子を自分の背中に引き付けた。
「野郎、騙したな,,,」
ポケットからスマホを出した男が何かを言いかける間もなく、リュウは男の顔面にパンチを入れた。鼻血を流しながら顔を押さえて転げまわる男の腹や、顔を繰り返し蹴り上げた。まなじりをきつく上げ、執拗に男に蹴りを入れるリュウ。パニックだったもと子は次第にリュウの姿に恐ろしさを感じた。
このままでは死んでしまう。
もと子はリュウにしがみついた。
「やめて!死んじゃう!リュウさん、殺さないで!」
もと子の泣き声にリュウは我に返った。
「ごめん、もとちゃん。心配かけた。」
男は時々うめき声あげて、地面に転がっていた。リュウは男のスマホを取り上げると自分のポケットに入れた。
「仲間、呼ばれたらマズイからな。」
涙を流したまま目を見開いているもと子にリュウは微笑みかけ、自分の上着を頭から被せた。そしてパンツの尻から自分のスマホを取りだし、電話をかけた。
「ああ、俺。近くに沼津さん、おる?おったら替わって。」
リュウは二言三言話すと電話を切った。
もと子の背中に腕を伸ばし、震えるもと子を抱えながら、道路の上で気を失っている男に吐き捨てるように言った。
「あんたの望み通りにしたったで。」
もと子の背中をさすっていると、リュウの背後から男達の声が聞こえてきた。
「リュウさん、大丈夫ですか?遅いから心配して,,,」
後輩の言葉を遮るように別の男の声が被さった。
「おう、助かるわ!捕まえてくれたんか。」
沼津がリュウの電話を聞き、手下達と駆けつけたのだった。
「コイツ、もろてくで。エエな?」
有無を言わさない様子の沼津にリュウも答えた。
「もちろんです。俺は沼津さんの探してる人を見つけたんで連絡しただけです。あとは俺には関係ない。」
沼津達が男のところへ行けるよう道をあけた。すると最後に横を通ろうとした手下がもと子の顔を見ようとのぞき込んできた。
「お姉さん、リュウさんの女か?ベッピンさんの顔、見せてや。」
下卑た笑いを顔に張り付けた男が顔を見ようともと子に被せた上着をつまもうとした。しかし、顔を見る前にリュウは男の顔の真ん中にパンチを食らわせた。男はスカウトの男と同様、鼻血を出してうずくまった。
「沼津さん、探し人に対するお礼がこれなんかい?」
リュウが上目遣いで睨み付けた。
仲間がやられて、手下達はざわめいた。だがリュウの恐ろしいほどの冷たい表情を見て、すぐに黙りこんだ。固まっている手下達を割って沼津が前に出てきた。
「悪かったな、リュウ。もうその子に失礼な事はさせへん。礼は必ずする。」
そう言うと、どこかへ電話し、スカウトの男とうずくまる手下を抱えさせると、人通りの少ない方向へ消えていった。
沼津達が立ち去った後、リュウは駆けつけてくれた後輩や仲間に頭を下げた。
「騒がせてすみません。心配してくれてありがとうございました。この子を駅まで送って行ったらすぐ戻ります。瀬戸さんには俺から報告します。」
リュウの無事がわかり、駆けつけた仲間達は胸を撫で下ろした。
「じゃあ、一段落したから、その子を駅に送ったらリュウさん、すぐ戻ってくると店長に言っときます。」
仲間達はガヤガヤと話ながら店へ戻って行った。
人気が少なくなった通りにリュウともと子の二人が残された。
「もとちゃん、駅まで送るわ。」
涙でぐちゃぐちゃになったもと子はハンカチで顔を隠しながらうなずいた。二人は黙って歩き始めた。
「,,,なあ、あれほど来るなって言うたのになんで来たん?」
もと子のペースに合わせてゆっくり歩きながら静かにリュウは問いかけた。
「,,,ごめんなさい。こんなことになるなんて思ってもなくて。」
「,,,いろんな危ない奴が多いねん。この辺りのこの時間は。」
「,,,はい。」
「まあ、でも俺が気がつけてよかったわ。」
もと子はうなずいた。
「リュウさん、あのナイフの人、どうなったんでしょう?」
「アイツな、どうせボコられて終いや。俺らにはもう関係ない。もとちゃんはもう忘れ。」
リュウは前を向いたまま返事をした。
ポツリポツリと話しているうちに駅に到着した。
気を付けて帰るんやで、とリュウが言いかける前にもと子が切羽詰まったように話しかけてきた。
「あの、あのリュウさん、これバレンタインのチョコです。虎さんとママさんに渡して下さい。」
「なんや、もとちゃん、チョコ渡しにわざわざ来たんか?」
思わずリュウは力が抜けた。
「で、こっちがリュウさんです。」
それは虎やママ用のチョコとはグレードの違う紙に金色のリボンでおしゃれしたチョコ。
「お、なんやグレード高そうやん!俺には気を使ってくれたんやな。ありがとう、だいじに食べるわ。」
「,,,あの、それ、本命チョコです。」
え?リュウは目を見開いた。
「,,,ん、本命?なんか俺、聞き間違えた?」
「聞き間違えじゃないです。わ、私なんか子供でリュウさんからみたら全然相手にならないと思いますけど、少しずつでも女として見てもらえたら、う、嬉しいです。」
顔を真っ赤にしてたどたどしく告白するもと子。リュウは茫然とした。
「,,,もとちゃんの本命って俺やったん?」
ハハ、ハハ、リュウはお腹を抱えて笑った。
「なんや、なんや、そうやったんか!」
大笑いするリュウの姿に、もと子はみるみる目に涙を溜めた。
「やっぱり可笑しいですよね。私なんかが,,,」
笑いすぎて目に涙を溜めたリュウが顔を上げ、ちがうちがうと手を振った。
「ちゃうねん、ちゃうねん。俺、ホンマに心配してたんや。もとちゃんが悪い男に騙されてるんちゃうかって。」
リュウは姿勢を正すと泣き顔のもと子の正面に立った。
「もとちゃん、俺で良かったらよろしくお願いします。」
リュウは頭を下げ、右手をもと子の前に出した。
「,,,え、うそ?本当に?」
驚いて固まるもと子の右手を掴むとリュウは両手で握った。
そして、自分の方にもと子を引き寄せた、ささやいた。
「もとちゃんの彼氏になれて嬉しいで。でもな、さっきは俺、心臓止まりそうやったわ。もとちゃん、もうこんなん無しな。もう店には来たらアカン。この辺りも来たらアカンで。」
リュウの腕の中で、うなずくも固くなっているもと子の顔を見た。
「緊張してる?」
「あの、リュウさん、いつもの香りと違うので、リュウさんなんだけど、リュウさんじゃない男の人みたいな気がして…」
驚いたリュウが腕の力を抜くと、その腕から体を離し、もと子は困ったような顔をした。
「え、香り?コロン?」
リュウは自分の胸元を引っ張って匂いを嗅いだ。
「いつもリュウさんからは柑橘っぽい香りがしてたように思うんですけど,,,」
あ!もと子の一言でハッとした。リュウは店ではムスク系の香りをつけ、プライベートでは柑橘系の香りをつけていた。そして、もと子とはいつもプライベートな時間に会っていたのだった。
「ああ、もとちゃんとはプライベートでしか会ってへんかったからか。俺、店ではこの香りつけてるねん。ごめん、びっくりさせたな。」
「だからなんですね。わけがわかって良かったです。」
2人は顔を見合わせて笑った。リュウはもと子を改札の前まで送った。
「部屋に着いたらすぐライン入れてな。俺、心配やから。」
うなずくとリュウに小さく手を振り、もと子は改札機を通った。振り向くとまだもと子を見守っているリュウに再び手を振り、割れんばかりの笑顔を見せ、電車に向かった。
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