第11話 初めまして、虎太郎さん②
「ただいま。」
「おう、おかえり。」
若い男が玄関で靴を脱いでいた。男はリュウよりやや背が低く、リュウに面差しが似ているものの、リュウより優しげな感じがした。もと子と目が合った男は微笑んだ。
「君がもとちゃん?」
「はい!あの、虎さんですか?」
「虎さんこと、弟の虎太郎です。」
男が苦笑いをした。
「あ、あ、失礼しました!」
「いいよ、みんな虎って呼ぶから。」
「そうそう、気にすんな、もとちゃん。虎、早く手洗えよ。」
ほーい、と返事をすると虎太郎は手を洗いに行った。自分のカップとゼリーの皿を片付けると、リュウはもと子に虎太郎のカップとゼリーを渡した。
「もとちゃん、虎にコーヒー入れたって。ゼリーのスプーンも出したって。」
もと子が言われたように用意している間に、リュウは唐揚げを揚げる用意を始めた。
手を洗った虎太郎はテーブルに腰かけた。
「コーヒーゼリー?昨日の晩、兄貴、作ってたやつ?」
「そうや。もとちゃんがかわいくしてくれてん。唐揚げ出来るまでそれ食って待ってて。」
リュウは振り返って虎太郎に声をかけ、もと子にも声をかけた。
「もとちゃんは虎太郎の相手してて。虎は昨日からもとちゃんに会うの楽しみにしてたんや。」
「え、え?」
焦ったようにリュウと虎太郎の顔を何度も交互に見て目が泳ぐもと子に男二人は微笑んだ。
「わ、私?どうしましょう?私、つまんないことしか言えないです。」
「今のリアクション、十分おもろいで。」
「おもろい,,,私、女の子なので、それはそれで複雑です。」
リュウの突っ込みに唇を尖らせて困ったような顔をするもと子を見て、虎太郎は優しく微笑みかけた。
「もとちゃん、兄貴の言った通りやな。」
「え、リュウさん、何て言ったんですか?」
リュウの方に振り向いたもと子にリュウは背中を見せたまま、油の入った鍋の前に陣取り、手際よく鶏肉を油の中に滑らせていった。
「もとちゃんは素直でええ子やといつも言ってるだけやで。」
「ほんと、ほんと。ねえ、もとちゃん。コーヒーゼリー、かわいく出来てるね。兄ちゃんに習って、料理のレパートリー増えた?」
「ありがとうございます。おかげさまで少しずつ増えてます。」
もと子はペコリと頭を下げた。
「よく作るのは何?」
虎太郎に尋ねられ、リュウの手前、何を作っていると言えば言いか頭を悩ませ始めた。目を左右に泳がせ、口ごもった。
「えっと、えっと,,,」
「お前、まさかご飯炊くとかキャベツの千切りとか言うなよ。」
「兄ちゃん、圧かけへん、圧かけへん。」
リュウに声をかけられ、もと子はますますへどもどしてしまった。
「大丈夫だよ。いろんなの作ってるんだよね。」
「,,,は、はい。いつも、教えてもらったレシピをおさらいしています。」
少し顔を赤くして、もと子はやっとこさ答えた。
「さすが、俺の弟子だけある。その調子で頑張れ。」
「兄ちゃん、うるさいよ。もとちゃん、焦らせちゃったね。ごめんね。」
「大丈夫です。リュウさんにはいつもお料理はじめいろんな事を教えてもらって、本当に感謝してます。」
「こちらこそだよ。兄ちゃん、もとちゃんと料理作るの楽しいみたい。これからも相手してやってね。よろしく。」
「とんでもない!こちらこそよろしくお願いします。」
虎太郎の優しげな微笑みに、もと子はドギマギして頭を下げた。
虎太郎は微笑んだまま穏やかな声で話しかけた。
「そうや、もとちゃんは奨学金とバイトで一人で学校頑張ってるんやろ?僕も奨学金とバイトで学校行ってるけど、生活費は兄ちゃんが面倒見てくれてるからどうにかやっていけてるねん。もとちゃん、スゴいな。」
「あ、ありがとうございます。私、奨学金は育英会だけじゃなくて、学校関係の病院で看護師として三年働いたら返さなくていい奨学金も借りてるので、それでどうにかなってるんです。」
「そんなんあるねんなあ。僕は今年、就活でな、兄ちゃんがバイトするな、就活しろって言ってくれたから、どうにか内定もらえたけど、もしそうでなかったら就活大変やったと思うわ。」
そう言うと、虎太郎は唐揚げに集中して会話に入ってこなくなったリュウの後ろ姿を静かに見つめた。
「もとちゃんは来年、最終学年やろ?バイトしてる暇あるの?」
「そうなんですよね。来年は実習がますます忙しくなるし、国家試験の勉強もあるからバイト出来なくなると思うんです。だからお金貯めてるところなんです。」
「そうかあ。大変なんやな。お金足りそう?」
「今、節約してるところですね。リュウさんにお料理やら家事を習って、ずいぶん節約出来るようになったんですよ。」
もと子は嬉しそうに笑顔を見せながら、虎太郎にコーヒーを注ぎ足した。会釈すると虎太郎は美味しそうにコーヒーに口をつけた。
「リュウさんが看護師は体が資本なんだから栄養を考えて食事しないとダメだと教えて下さって。それまではコンビニやスーパーのお弁当とかおにぎりとか食べたいものを適当に買って食べてたのが、栄養を考えて自炊するようにしたらやっぱり体調良くなるんですよね。」
「だから、もとちゃんのお肌ツルツルでかわいいんやね。」
恥ずかしいです!と言うと、もと子は両手で顔を隠した。
「虎、上手やなあ。美和ちゃんに報告せなあかんな。」
もと子が指の間からチラリと目を上げると、リュウがレタスを敷いた上に山盛の唐揚げをのせた大皿を両手で持っていた。
「お待たせ。食おか?」
「旨そう!てか、兄ちゃん、美和にチクるなよ。またアイツに殴られるやん!」
虎太郎は少々焦り気味でリュウに声をかけた。
「美和さんって?」
「フフン、虎の同じ大学の彼女。ええ子やねんけど、虎は絶賛、尻に引かれ中。」
「ばらすなや、兄ちゃん。悔しいけど、合ってるわ。僕、2、3年東京勤務やねん。それで、大阪に就職した美和と遠距離になるから機嫌悪いねん。」
虎は少し困ったような顔をしてもと子に説明してくれた。
「食べながら話しよ。頂きまーす。」
リュウはサッサと唐揚げに箸をつけた。
「もとちゃん、俺ら、食べ物に遠慮ないで。早く食べんと無くなるで。」
大きな唐揚げを箸に挟んで、ニッとリュウが笑った。
「うわ、は、はい!」
もと子も慌てて唐揚げに箸をつけた。
「生姜が効いてて美味しい!」
もと子は頬をふくらませ、モゴモゴしながら、思わず呟いた。
「そうそう、これぞ兄ちゃんの唐揚げやな。弁当によう入れてくれたやんな。僕、大好きやわ。」
虎は嬉しそうにリュウを見た。
「おう、嬉しいこと言うてくれるやんか。食え、食え、もっと食え。」
リュウも嬉しそうに大きな唐揚げをつまむと虎の皿に入れた。そして、もと子の皿にも唐揚げを入れた。
「リュウさん、本当に虎さんのお弁当作ってたんですね。」
「うん、兄ちゃんは母ちゃんが出てってからずっと僕が高校を卒業するまで弁当を作り続けてくれたんよ。」
え?もと子は唐揚げを顔の前に持ってきたまま固まってしまった。
「あれ?言ってなかったか?」
リュウは唐揚げにかぶりつきながらもと子を見た。
「ごめん、びっくりさせちゃった?」
虎はもと子とリュウを交互に見た。リュウは一つため息をつくと箸を置いた。
「うちな、親父が酒乱で、よう母ちゃんや俺らを殴ってたんや。俺が中3の時に殴り返したら、それからは俺の居てるところでは親父は虎や母ちゃんを殴らんようになったんや。」
「そやねん。兄ちゃんが母ちゃんと僕を守ってくれててんけど、僕が中3の時に母ちゃん、仕事に行ったまま帰ってけえへんかってん。」
「母ちゃん、夜の仕事しててんけど、そこで知り合った若い男と逃げたらしい。」
リュウは淡々と続けた。
「それからは親父はますます飲んだくれてな。俺のバイトだけでは3人は食っていかれへんから、学校やめて働こうと思たんや。そしたら卒業まであと少しやからって高校の担任や小学校からの友達の父ちゃんや梶原のおばちゃんらが助けてくれてな。親父はアル中の病院に入院させて、俺らは2人で暮らせるようにしてくれてん。」
虎太郎は口に入れようとしていた唐揚げを小皿に戻し、リュウに続けて苦しそうに言った。
「本当は別々の施設に入るはずやってんけど、僕が兄ちゃんと離れたくないって泣いたもんやから一緒に暮らすことになってん。けどな、僕の面倒みるために兄ちゃん、進学出来んかったんや。僕のせいで兄ちゃんの人生めちゃくちゃや。」
「虎!」
リュウは虎太郎の言葉に驚いたように声をあげた。そして虎太郎の肩を両手で掴んだ。
「何言うてんのや。お前と一緒にいたかったんは俺やで。お前が泣いてくれたから俺は自分の気持ちに素直になれたんや。俺はお前が居てくれたからここまで頑張れたんやで。」
「…兄ちゃん、ゴメンな。」
うつむいていた虎太郎は顔をあげて、リュウと目があった。その顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「あほう,,,俺は大学なんてどうでもええねん。お前はたった一人の家族やんか。お前を守りたい、その気持ちがあったから俺はここまでこれてんで。お前がおらんかったら、ヤケになってた俺はまともに生きてなんかいかれへんかった…」
リュウも膝に置いた拳を固く握り締め、下を向いてしまった。リュウの言葉をかみしめたように虎太郎がポツリと言った。
「兄ちゃん、僕、兄ちゃんに「ごめん」じゃなくて「ありがとう」って言うたらええんかなあ?」
下を向いたままリュウはうなずいた。
「…そやな。ありがとうって言ってくれ。でないと俺はお前を苦しめたって事を抱えてこれから生きていかなあかん。」
「兄ちゃん、僕、もうすぐ独立やん。そしたら、これからは兄ちゃんは自分のために生きてな。」
虎太郎は膝に置かれたリュウの拳、固く握りしめられた拳に自分の手を重ねた。
「うん、わかった。お前が安心出来るように頑張る。ありがとうな。」
リュウももう涙でぐちゃぐちゃになっていた。
虎太郎は下を向いたまま肩を震わせている。2人のやりとりにもと子も声を殺して泣いていた。
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