第12話 初めまして、虎太郎さん③
どれほどの時間が経ったのだろう。
リュウがおもむろに虎太郎の頭をワシワシと撫でた。まるで中学生が小学生の頭を撫でるように。
「お前は俺の大切な弟や。これだけは死んでも忘れんな!」
「…うん。」
リュウと虎太郎はお互いの顔を見て、涙でぐちゃぐちゃな笑顔を見せあった。
虎太郎はティッシュをテーブルに置き、リュウに勧めた。次にもと子に勧めようとして、ふと手を止めた。
「兄ちゃん、もとちゃん、スゴい泣いてる。」
「ホンマや。」
2人はティッシュで目元を拭きながら顔を見合わせた。
もと子は下を向いて今も肩を震わせ、声を殺し、ハンカチを目に当てている。リュウは新しいタオルを取って来ると、もと子の頭にフワリとかけた。
「もとちゃん、泣いてくれてありがとうな。食べる前に化粧直すか?」
リュウの言葉にもと子はハッとした。そうだった。男2人の前で今の自分がどんな顔をしているのかを考えるだけでホラーである。大して化粧などしていないが、今日に限ってピンクのママにもらったマスカラを初めて使っていた。涙でマスカラがどんなことになっているのか。なのに今は化粧道具はおろか、リップですら持ってきていない。焦った。泣いている場合ではない。もと子の頭はグルグル回り、体は固まってしまった。
すると、もと子のピンチを察したかのようにリュウがもと子の両肩を抱き抱えるようにした。
「もとちゃん、力抜けてしもてんなあ。」
虎太郎からもと子の顔が見えないよう隠しながらもと子を立たせ、洗面所に連れていった。
「もとちゃん、よかったら俺の洗顔料使って。化粧水とかも。」
もと子はタオルで目から下の顔を隠しながらリュウを見上げた。
「リュウさん、私、化粧道具持ってきてないです。リップでさえ。どうしよう,,,」
「もとちゃんはいつも薄化粧やから、洗顔して、化粧水ぐらいしたら全然大丈夫やで。もし気になるなら、家に帰るときマスクあげる。とりあえず、顔洗おうか?」
もと子は頭にかけられたタオルを外し、顔を洗いはじめた。もと子が顔を洗いはじめたのを確認すると、リュウはもと子の様子を気にかけてチラチラ見ていた虎太郎に目で合図を送った。虎太郎は微笑んでうなずいた。
「あ、飲み物切れてる。買ってくるわ。」
リュウは指で口紅を塗る真似をし、リップと声を出さずに伝えた。虎太郎は右手の親指と人差し指で円を作り、リュウに示すと財布を掴み、部屋を出ていった。
顔を洗い、サッパリしたもと子はモジモジしながらリュウの座るテーブルに戻ってきた。
「もとちゃん、スッピンでもかわいいで。」
微笑みながら座るように勧めた。しかし、もと子は座らず、申し訳なさそうに頭を下げた。
「大事な日なのにごめんなさい。」
「何言うてんのや。もとちゃんのおかげで虎とわかりあえて良かった。ありがとう。」
リュウはもと子の両肩に手を乗せて、座らせた。そこへ虎太郎がジュースと缶ビールを袋に入れて戻ってきた。
「おう、お帰り。」
「お帰りなさい。」
虎太郎はただいま、と言うとリュウと自分の席の前にビールを、もと子の前にジュースを置いた。
「もとちゃんには、これもね。僕らのために泣いてくれてありがとう。」
虎太郎は柔らかな微笑みとともにローズピンクのリップをもと子の前に置いた。もと子はそのリップを手に取り、恥ずかしそうに虎太郎の顔を見た。
「ありがとうございます。こんなお気遣い頂いて。」
「フフ、これは兄ちゃんからの指令で買ったんや。こんなん僕では頭、回らんわ。」
な、と虎太郎はリュウの方を見た。
「気にせんとってや、もとちゃん。店では喧嘩で女の子が大泣きするのもよくあるねん。そういう子達を何人も見てると気がつくわ。俺らは気にならんけど、もとちゃんが気になるなら今、塗る?」
「はい、今、使わせてもらいますね。」
もと子はリップを唇に塗った。途端に唇は泣く前より鮮やかなピンクになり、もと子は若い華やかな雰囲気になった。
「さあ、食べよっか。」
リュウの合図で3人はテーブルの上の皿に箸をつけはじめた。
美味しい料理に楽しいおしゃべり。気がつくと、あれだけあった唐揚げもサラダもほぼ完食。
「そろそろケーキ出そか?コーヒー入れるからちょっと待っててな。」
リュウはヤカンを火にかけると、トイレに入っていった。
「ねえ、もとちゃん。僕、応援してるからね。」
虎太郎は横目でもと子を見ると、イタズラっぽく笑った。
「ありがとうございます。看護師の勉強頑張りますね。」
もと子はガッツポーズをした。
「ちゃうって!兄ちゃんの事やん。うちの兄ちゃんにはもとちゃんが合うと思うねん。」
え?と、もと子が、何かを言う前にリュウがトイレから戻ってきた。カップを用意するリュウに虎太郎は声をかけた。
「そや、兄ちゃん。今年の初詣どうするん?よかったらもとちゃんも一緒に行こう。もとちゃんも来てくれたら、美和も誘いやすいし。もとちゃん、どう?」
「お、そらええな。俺は大晦日はカウントダウンパーティーあるから、1日は夕方からしか出れんけどエエかな?もとちゃんは?」
「いいんですか?私は大丈夫です!」
「決まりやな。美和にも声かけとく。また詳細はあとで決めよ。」
「おう。もとちゃん、またこの件、連絡するな。」
あ、お湯沸いたわ、とリュウは立ち上がると、湯気をあげて音をたてはじめたヤカンを火から下ろし、コーヒーを入れはじめた。
思わぬ展開にもと子はドキドキを隠せず、思わず虎太郎を見た。虎太郎はリュウに見えないようテーブルの下で親指を立て、片目をつぶって微笑んだ。
ケーキを食べながら、初詣に行く神社や、お寺は何処にするかについて3人はいろいろと話し合った。近所の氏神様以外行ったことがないもと子はリュウと虎太郎の初詣の話を面白く聞いた。リュウの場合は主に歴代の彼女と行った時の話なので少々胸がチクチクしたが、楽しいひとときに、気がつくともうもと子の寮の門限が気になる時間になっていた。
「もとちゃん、そろそろ帰らんとまずいな。駅まで送るわ。」
リュウは紙袋を持ち上着を羽織った。もと子も慌てて上着を羽織り、虎太郎にお礼を言った。
「虎さん、とても楽しかったです。ありがとうございました。初詣、楽しみにしてますね。」
「僕も楽しかったよ。初詣、楽しもうね。末長くよろしく。」
虎太郎はリュウが背中を見せた隙に片目をつぶってきた。もと子はしどろもどろになりながら、虎太郎にお辞儀をすると、リュウについて部屋を出た。
駅までの道のり、年末が近づいてきたせいか、酔っ払いの数も増えたように思う。絡んで来ようとする酔っ払いをうまくかわしながらリュウともと子は歩いた。
「なんていうか、今日はごめんな。」
リュウは頭をかきかき、謝ってきた。もと子は首を振るとリュウの目を見つめてきた。
「とんでもないです。リュウさん、虎さん、お二人とも苦労されてきたんですね。支え合って生きてこられたんですね。リュウさんが家事が上手なのも、すごく優しいのもなぜなのかわかりました。私、お二人が羨ましい。」
「ありがとう。俺らは二人だったからやってこれた。もとちゃんは一人やろ。今まで大変やったやろ。」
「私は小学校の時に両親が事故で二人とも一度に死んじゃって。母の兄と言う伯父とその連れ合いである伯母が、葬儀や、後始末をしてくれたんです。でも伯父と伯母に
「もっと保険金が有れば引き取ってやれたのに」と言われて引き取ってもらえなくて。その後、施設に引き取られて今に至るんです。」
「そうか。伯父さん、伯母さんやいとこさんたちとは会ったり、手紙のやりとりとかしてんのんか?」
「いえ。両親が死んだ時に会ったのが最初で最後です。」
「そうなんか。伯父さん達、遠くに住んでるんか?」
「昔、施設の先生から大阪に住んでると聞いたことがありますが、詳しくは,,,」
「え、大阪なん?近いやん。まあええわ。で、たまにはご両親のお墓参り行くんか?」
「いえ、伯父さんが小学生の私に、お骨や墓のお守りは無理だろうからってお骨を持っていってしまって。お墓に入れてくれたと思うんですけど、何処にお墓があるのか教えてくれなかったんです。」
確かに小学生に墓守りは無理だろう。だが引き取ってやれなかったんだから、たまに両親の墓参りぐらい連れていってやってもいいんじゃないか?もと子の話にだんだんリュウは苦いものを噛み潰したような表情になってきた。
「ふーん。葬儀はもとちゃん、出たんやろ?お父さん、お母さんとの最後のお別れやもんなあ。盛大にしてくれたんか?」
「,,,伯父さんと伯母さんだけで済ませたみたいです。」
「え?出てへんの?葬式代は出してくれたん?」
「両親の保険金でまかなって、足りなかった分は伯父さんが出してくれたみたいです。」
「保険金って少なかったんか?ごめん、聞いてええか?なんぼやったん?」
「たしか百万円やったと施設の先生から聞きました。」
声をかけようとして、言葉にならなかった。リュウの中で疑惑が大きく膨れ上がった。本当に葬儀をしたのか?自分の父親が亡くなった時、高校を出たばかりでお金のなかったリュウ達は民生委員の梶原のおばちゃんや役所の力を借りてお坊さんの読経だけで十万ぐらいでしたように思う。両親で二人とはいえ、身内二人しか参列しない葬儀が百万を越えるとは思えない。お骨は本当に墓に入れたのか?焼き場に頼んで持って帰らない人もいると聞く。本当にお骨は伯父が持ってるのか?これは津田の耳に入れた方が良さそうな気がしてきた。
もと子の話が進むにつれ難しい顔になっていくリュウにもと子は不安を感じはじめていた。
「もとちゃん、大きなお世話やねんけど、もし伯父さんが会おうって連絡してきたら、俺にも一声かけてくれへん?」
「何か気になることでもありましたか?」
「なんか、あんまり親切ちゃうなって思って。だから用心した方がいいかもしれん。」
「…ありがとうございます。やっぱりそうなんだ。」
もと子は目を伏せてしまった。
「もとちゃん、うちも一番の身内のはずの親があんなんやろ。正直、親の言葉は信じられん。だけど瀬戸さんや梶原のおばちゃんらの言葉は信じられる。身内の言葉が信じられたら一番なんやけど、そんな奴ばかりじゃない。残念やけど。」
「,,,そうですね。」
もと子は一つ大きなため息をついた。そしてうつむいていた顔をすっくと上げるとリュウに微笑んだ。
「でも、ここで無い物ねだりしても仕方がないですもんね。」
「そうや、その通り!目の前のやらなあかんことをやっつけるしかない。そのうち気がつくと道が開けてたりするで。」
「そうですね。私、リュウさんの言葉なら信じられる。頑張りますね。リュウさん、これからもよろしくお願いしますね。」
もと子はリュウに向き合うと直角近くまで腰を曲げて深くお辞儀をした。その顔には覚悟を決めた潔さが浮かんでいた。もと子の一見かよわそうに見える面差しに隠された強さを垣間見た気がして、リュウは思った。俺もウカウカしてられん。頑張るで!
駅の改札前。リュウはもと子のジャケットの襟の曲がりを直してやった。
「もとちゃん、今日はありがとう。また初詣のこと、連絡するわ。」
「はい。こちらこそ、リップまで頂いてありがとうございました。楽しかったです。初詣、楽しみです。」
気を付けて帰りや、というリュウに駅の改札の中から大きく手を振るもと子の姿は頼もしく見えた。
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