第9話 絡みつく視線⑤
次の日の昼過ぎ、津田は警察に立ち寄り、受付で神楽を呼び出した。ボサボサの頭を掻きながら、神楽が階段を降りてきた。
「なんや、津田。なんか用か?」
「捜査、進んでへんのか?証拠まだあがらんのやろ。」
神楽は津田のネクタイを掴み、受付から離れた隅に引っ張っていった。
「こんなところで、そんな話すんな。それでなくても上からもう捜査を止めるよう言われてるのに。」
神楽は小声でささやくとギロリと津田を睨んだ。津田はネクタイを掴む神楽の手を振り払うと、ニヤリとした。
「そんなお困りの神楽さんにエエもん持って来たったで。まあ、見てみ。」
津田は小さなビニールに入れたUSBメモリを見せた。
「白木の犯行が録れてる。」
神楽は津田の言葉に目を剥いた。
「あっちの自販機コーナーで一服してくる。早よ見てこい。感想聞かせてくれや。」
そう言うと津田はサッサと警察署建物の奥にある自販機コーナーに消えた。
神楽は階段を駆け上がると自席のパソコンを立ち上げた。津田の持ってきたUSBメモリをセットし録画されたものを見た。動画は人が小さく映っているものの、拡大すると白木が警官に馬乗りになり、振り上げたナイフを警官に振り降ろす様子がはっきりとうつされていた。コーヒーを片手に神楽の後ろを通りかかった係長は動画を認めると足を止めた。
「なんだ、この動画!どうしたんだ?」
「被害者の弁護士が持ってきました。今、下に居ます。」
「すぐ呼んで来い!隣の会議室空いてたやろ?そこに呼んで来い!」
この証拠により神楽たちは色めき立った。神楽は早速、津田を会議室に連れてきた。会議室には係長はじめ、神楽と同じ班の刑事達が集まっていた。神楽は津田に椅子を勧めながら聞いた。
「津田、誰が撮った?」
「俺のクライアント。被害者の棚橋もと子ちゃんよ。」
「なんで、今ごろ?」
「怖かったんやろなあ、録ってた事を忘れてたみたいや。昨日、励ます会でスマホで写真を撮ろうとして気がついたんや。」
「あんな状況で女の子が、よう動画撮ったなあ?」
「大好きなリュウさんに撮っとき、って言われたら何があっても撮るやろ。リュウがお巡りさんのところに駆けつけるときから撮っとる。初めて動画を撮ったにしてはよう撮れてる。そこそこ顔がわかるぐらいの拡大しても見れるで。」
「班長、今度こそいけますね?」
振り向いて神楽は班長に確認した。班長はうなずくと、力強く応えた。
「もう一度、課長に言うわ。これだけハッキリしてたらウヤムヤにでけんやろ。」
「今度は圧力かからんと思うで。」
その場にいた皆がギョッとして津田を見た。津田は涼しい顔で画面を眺めたまま呟いた。
「俺をなめたらアカンで。やられっぱなしっちゅうわけにはいかんからなあ。今後の仕事にも差し支えるやろ。」
「…今の聞こえんかったことにするわ。」
神楽の一言でその場にいた刑事達はそれぞれ画面から目を離した。
「俺らは俺らで出来ることをする。白木には余罪がたくさんあるからな。行くで。」
班長の言葉に班員達は深くうなずいた。
班長は津田に軽く会釈すると、部下達を引き連れて会議室を出て行った。一番最後に会議室を出た神楽は津田を警察署の玄関まで送った。
「リュウもあんな場面でよう女の子に動画撮れとか言うたな。女には優しいと思ってたけど、あいつも結構鬼やな。」
「あれな、勘違い。「居ってな」を「撮ってな」に聞き間違えたんや。フェミニストのリュウがそんなん言えるわけないやろ。」
「え?ホンマか?それにしても、あの子もよう撮ったな。」
「大好きな男の言葉やからなあ、もと子も必死で頑張ったんや。でも怖いのは怖いから、撮った記憶が飛んでたみたいや。そんな思いまでして撮ったんや。頑張って活用したってくれ。」
「もちろんや。アイツ、今度こそ逃がさんで」
驚きながらも神楽は拳に力を込めた。
「これからはあっちも黙ってへんからな。もと子の警備頼むで。俺もこれから一仕事や。」
神楽の肩を軽く叩くと津田は片手を上げて警察署の玄関を駆け下りた。
警察に動画を提出して間もなく、津田が事務所で資料に目を通していると白木の代理人から連絡があった。
「白木の代理人です。あんた、新しい証拠が出てきたらしいな。どんなに証拠が出てきてもおんなじやで。もういい加減、示談にハンコ押そうや。」
「そうやな。今度会いましょか?」
「やっとその気になってくれたんかい。少しぐらいなら上積みさせてもらうで。」
「ありがたいわ。あの子も学費の足しにしたい言うてましたし。じゃあ、本人に了解取らんとアカンから近いうちに連絡入れますわ。」
「楽しみに待ってます。」
白木の代理人は嬉しそうな声をして、電話を切った。津田は電話が切れるとすぐどこかに電話をかけ直した。
次の週、津田の事務所の入るビルの一階にある喫茶店で津田と白木の代理人は会うことになった。喫茶店はブラウンを基調にした店内にカウンター席とテーブル席が数席。津田がドアを開けるとマスターと目があった。
「マスター、指定した予約席は用意出来てる?」
「もちろんやで。」
マスターはreserveと書かれたプレートを置いた席を指差した。予約したテーブル席は奥から二つ目。奥のテーブル席にはカップルが向かい合って座り、時々こそこそと囁きあったりしながらずっとスマホをいじっている。津田が奥の席に目を向けると、カップルの一人と目があった。津田は小さく会釈すると奥の席と背中合わせになるよう予約席に座った。津田が座ったテーブル席の手前、奥の席の反対側のテーブル席にはノートパソコンを広げて、熱心に仕事をしている眼鏡をかけたスーツ姿のサラリーマン風の男が座っていた。他には客はいない。
津田が席について筆記具をテーブルの上に出し、胸元のポケットに差したボールペンを確認した。そして五分もしないうちに白木の代理人と部下の男がやって来た。
「先生、今日はどうも。」
代理人は縁なしの眼鏡にストライプの高級なダークスーツを中年にしては贅肉のない体に張り付かせ、酷薄な笑みを浮かべた。代理人の隣には、いかにも喧嘩早いような金髪の若い男が津田を睨み付けながら座った。
「本人は来てないんやな。まあ、エエわ。この書類にハンコ押してもらおうか。」
代理人は書類を津田の前に押し出した。津田は書類に目もくれず、セットとした髪をかきあげた。
「あんた、そう急がんと。新しい証拠見た?今日は示談には応じません、というクライアントの意思を伝えに来たんや。」
「そんなことを伝えるために呼び出したんか?ふざけんなよ。」
若い男は半目になり、顔を上気させてテーブル越しににじり寄ってきた。
「津田さん、あんたのことやから、一筋縄ではイカンと思ったわ。」
白木の代理人は、大きくタメ息をついた。
「今までのあんな証拠とおんなじと思われたら困る。動かぬ証拠や。動画に白木が馬乗りになって警官を殺そうとしてるところがばっちり写ってる。」
「ふん、どんな証拠を持って来ても一緒や。」
若い男は背もたれにドンと座り直すと足を組み直して、腕組みした。
「どういうことや?」
「わかってるくせに。白木には俺らがついてるってことや。今までの奴みたいに、あんたも、クライアントもやったろか?」
若い男はするりと津田の隣に座ると、津田のネクタイをつかんで締め上げ、脇腹にパンチを決めた。
「まあまあ、落ち着け。棚橋さんの大切な代理人さんが怖い思いしてる。」
白木の代理人が薄ら笑いを浮かべた。
首もとを締め上げた男の腕が緩められた隙に、脇腹を押さえながら津田は男の手を叩き落とした。津田はスーツの上着の内ポケットからUSBメモリを取り出した。
「動画で、白木が言っとった。「いつものように俺のおじさんがなんでももみ消してくれる。」ってな。この動画、もうすぐネット配信されるで。」
「バカなことを。もしそうなら、あんたもクライアントも命知らずってことやな。」
白木の代理人は目を細めて津田を見た。
「命知らず?,,,殺すってこと?」
「フフン。一人で夜道を歩くときは特に気を付けや。」
若い男が拳を津田の脇腹に押し当てた。
「まあ、あんたも子供の遣いやないから、手ぶらでは帰れんわな。ここはそのUSBメモリをワシのポケットマネーで買ったるわ。10万でエエな。示談金と合わせて50万。破格やで。」
「馬鹿馬鹿しい!お前らのしてることは脅迫や。お前ら、白木がらみで何人にこんなことした?両手では足らんよな。国会議員の白木が甥の犯罪を全部揉み消してるんやろ。こんなん明るみに出たら辞職は確実、次の選挙も落選確実や。」
「訳のわからん、人聞き悪いこと言うなや。ワシらは将来のある若者の味方なだけや。サッサと書類にサインせんかい。」
白木の代理人は涼しい顔で言ってのけた。津田が代理人を睨み付けながら、悔しげに唇を噛んだ。若い男はヒャッヒャッと肩を震わせて笑った。
ブルル。
ふいに代理人のスマホが鳴った。代理人は画面を見ると、素早く電話に出た。
「え、ホンマですか?なんでですか?」
怪訝な顔をした男が自分のスマホを津田に差し出した。
「お前に替われと。サッサと出ろ。」
津田は横に座った金髪の男にあっちへ行けと手で追い払った。
「あー、見てくれてました?あの動画に加えて、今日のやりとりまでネット配信されたら困るよね。もう甥っ子、かばわなくてもいいでしょ。充分だよね?」
フフフ、と笑うと津田はスマホを代理人に渡した。代理人は驚き、狼狽えたようにスマホの向こうの白木議員と話始めた。
「てめえ、何したんじゃ、この野郎!」
金髪の男が立ち上がり、津田を殴ろうと拳を上げ、一歩踏み出した途端、
ガツン!
鈍い音がして、金髪の男は床に倒れこみ、気を失っていた。代理人が振り向くと、後ろの席にいたサラリーマン風の男がいつの間にか立ち上がり、金髪の男の背中を蹴り倒していた。
「,,,な、なんやお前!」
代理人が目を丸くして、呆然とサラリーマン風の男を見つめた。
「あー、ご紹介遅れて、すんません。こいつ、うちの助手ですわ。これこれ、乱暴はアカンでえ。そちらの助手さんには先に俺、脇腹殴られてるけどな。」
津田は脇腹を押さえながらもニヤニヤして代理人を見た。
「白木議員は甥っ子さんと縁を切ると仰ってましたわ。アンタらももう帰るように言われたんちゃいますのん?」
代理人の男は津田を睨み付けた。
「クッ、覚えとけ。」
代理人は倒れた金髪の男の頬を張り飛ばして目覚めさせた。
「後で連絡入れますわ。」
津田はのんびりと声をかけた。代理人は悔しそうに顔を歪めて金髪の男を引きずるようにして出ていった。
「お疲れさんでした。記者さん、ええ記事書けそう?」
津田は後ろを振り返り、スマホをいじっていたカップルに聞いた。
「もちろんやで。ええ写真も撮れたで。今のやり取りも良かったけど、約束は守るわ。」
カップルはササッと片付けると、じゃあ急ぐのでと出ていった。
「津田さん、終わった?もういい?」
サラリーマン風の男が眼鏡を外し、ネクタイを緩めた。
「おう、お疲れさまや、リュウ。お前の生配信もバッチリやで。」
リュウは瀬戸に言われて、今回、津田の助手兼ボディーガードとしてこの場にいることになったのだった。津田は大きく伸びをすると、コーヒー代と言って、一万円札をマスターの胸ポケットにねじ込んだ。そして、振り向くとリュウからパソコンを受け取った。
「もと子に少しはまとまった金を渡してやれると思うわ。」
津田はリュウの肩を軽く叩いた。
ようやく座れた帰りの電車で、もと子はうとうとと舟をこぎ始めた。
「ブーン」
スマホがメールの着信を知らせた。もと子は眠そうに目をしばたかせながらスマホの画面を確かめた。津田からだ。動画の証拠を渡してから、今度代理人に会うと連絡があったがそれからは音沙汰無し。危ないやりとりもありそうで、結果も気になるが、津田が無事なのかも気になっていた。早速,津田からのLINEを見た。
「ヘッ?」
思わず、変な声を上げてしまった。周りの何人かの人が自分を見ている。そそくさと顔を伏せて、改めて画面を見た。
「もと子、元気か?俺は元気や。
お前のために頑張ったったで。
お前の口座に300万入金した。確かめたら連絡しろ。」
300万!思わず口を手で覆った。
そんな大金、想像もつかない。駅に着くと震える指先でATMのボタンを押した。残高照会をすると、たしかに300万円が入金されている。ATM を出ると、もと子は震える指先で津田に電話をかけた。
「もしもし、津田さんですか?棚橋です。」
「おう、もと子か。なにが棚橋や、誰か?と思ったやろ。」
津田は少しアルコールも入っているのか、上機嫌だった。
「あ、あの、今電話して良かったですか?」
「お前やったら、いつでもエエで。」
「今、ATM で確認しました。こんなに、あ、ありがとうございました。」
「フフン、お前のために頑張ったからなあ。これだけあればなにかあっても借金せんで済むやろ。人のために使うな。自分のために大事に使え。」
津田はノリのいいBGM とは裏腹にしみじみと話した。
「それとな、しばらくしたらこの件で誰かが聞きに来るかもしれへん。その時は、全て弁護士さんに任せてます。答えられませんって言うんや。友達にも一切、何も言うな。そういう分も入った金やからな。でも安心せいや、白木は起訴される。余罪も追及される。お巡りさんへの殺人未遂も捜査される。もうお前の前には現れへん。」
もと子のためだけではないにしても、津田はいろいろ駆けずり回ってくれたのだろう。白木に付きまとわれる心配もなくなり、多額の慰謝料も手に入れてくれた。もと子は、一見乱暴な口調だが親切な津田に胸がいっぱいになった。と同時に何か危ない目に津田があっているのではないかと心配になった。
「津田さん、いっぱい頑張って下さったんですね。ありがとうございました。でも、津田さんは大丈夫ですか?無理してないですか?」
「あほう!俺は大丈夫や。この俺を心配するなんて、百万年早いわ。お前、俺に惚れたな?」
自分を心配するもと子に津田は驚き、少し照れた。
「それはないです。」
「そういうとこはしっかりしとるな。」
津田は可笑しそうに笑った。
「子供は早く帰って寝ろ。」
もと子は、はいと返事をして電話を切り、家路を急いだ。
津田から入金の知らせがあった日から一週間もたたないうちに白木議員の甥によるストーカー行為と警官への殺人未遂が世の中を賑わせた。
リュウはスナック「ピンク」に足を運んだ。ママはカウンターの端の席にリュウを座らせた。チューハイと柿の種をリュウの前に置くとリュウにウインクをした。
「ちょっと待っててよ。」
ママを呼ぶ客に返事をして、一通り客の相手をした。客が店の女の子達とカラオケに熱中したのを見計らってリュウの前にやって来た。
「リュウ、で、もと子の件は結局どうなったのよ?テレビでえらい騒いでるけど。」
「津田さんが、白木議員とストーカー被害者達の間に入って、白木が勝手に議員の名前を使ってやったことにしたんや。見舞金って形にして、お金はずむし、白木は逮捕、刑務所行きに協力するから議員の事は穏便に、ということになったんや。」
「じゃあ、もと子にそれなりのお金が入ったの?」
「たしかもとちゃんにはそこそこ入ったんちゃうかな?もちろん、津田さんがそれなりにしっかり取って、俺をボディーガードとして貸出した瀬戸さんも紹介料取って。」
「もと子には学費という借金があるから少しでも慰謝料を多くあげてやってと思ったけど、そんな子からもしっかり取ったのよね。」
ハアー、とママは大きなタメ息をついた。
「で、あんたはいくらもらったの?」
「んー、ようわからん。給料と一緒に振り込みされるらしい。」
「あー、それは期待できないわね。瀬戸ちゃん、ケチだから。津田ちゃん、他の被害者の交渉もしてるんでしょ。ウハウハよね。」
「この間、たまたま事務所で会ったらスゴいご機嫌やったわ。今度、もと子と俺にご馳走してくれるって言ってた。」
「じゃあ、ご馳走してもらった帰りはうちに寄るように言って。搾り取っちゃう!」
ママは雑巾を絞る真似をした。
「で、もと子、元気になった?」
「最近は宝来軒でも、明るくなったと女将さんが言ってた。LINEの返事もすぐ返ってくるようになったし、だいぶ落ち着いた。あ、そうそう。津田さんにスゴい感謝してて、ファンになったと言ってたな。」
「危ない、危ない。アンタ、ちゃんと教育しないと!」
顔の前で両手で大きくバツを作るとママはリュウと顔を見合わせて笑った。
後日、リュウは津田の事務所に立ち寄った神楽から白木が警官を殺そうとした時に使ったナイフが見つかったと知らされた。それも匿名の電話がかかってきて、指定の場所から出てきたという。ちょうど監視カメラの無いところで誰が置いたのかも不明だが、ナイフに付着した血痕がもと子の血液と判明した。白木の指紋も検出され、白木が犯行に使用したものとわかった。また、動画ではよくわからなかったが、襲われた警官もナイフで指先を切ったようで、ナイフから警官の血痕も鑑定された。証拠が揃い、白木はもと子に対するストーカーと傷害罪、警官への殺人未遂で立件された。白木議員が立件に協力的なこともあり、有罪になるのは確実と津田に聞かされ、リュウはまずは胸を撫で下ろした。
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