第8話 絡みつく視線④

もと子は宝来軒にはきちんとバイトに行っているようだが、そこでもふとした時に暗い顔をしていることが多いらしい。白木のことが気になっているのだろう。リュウはピンクのママに声をかけ、もと子を励ます会をサプライズで計画した。


今日はリュウと料理教室をする予定だったが、リュウに助けてもらったお礼をしたいというもと子の申し出で、もと子がリュウにランチをご馳走することになった。もちろん、お金に余裕のないもと子なので、リュウのリクエストで庶民的な餃子の店に行くことになった。お腹いっぱい食べた後、久しぶりにピンクに行こうと誘われ、もと子はリュウとピンクにやって来た。

「こんにちは、お久しぶりです。」

「もと子ー!会いたかったわ!」

ママはもと子を見るなり、カウンターから飛び出し、太い腕でもと子の顔を自分の胸に押し付けてきつく抱き締めた。

「かわいそうに。怖かったでしょ。」

もと子は太い腕に抱きすくめられて、息も絶え絶え、目を白黒させている。

「今日はみんなでもと子を励ますわよ!それー!」

ママの腕からどうにか逃れるとスナックの一隅にリュウに瀬戸や津田、宝来軒の大将、女将さん、健ちゃんが座っているのに気がついた。

「もとちゃん、早く、こっちこっち。」

みんなの座る席の真ん中、リュウの隣に座るよう手招きした。

「,,,え、皆さん?」

「もと子、俺も来てるで。こっちは覚えてるか?瀬戸や。こっち来い。」

津田も手を振り、瀬戸と自分の間に隙間を作り、座るよう手招きした。

「まあ、津田ちゃん、オッサンのくせに厚かましいわよ。若い子は若い子の隣がいいのよ。」

ママの太い腕にガードされて、もと子はリュウとママの隣に座った。

「もと子、大変だったわね。でもいつまでもへこんでちゃダメ。あたしたちみんな、もと子の応援してるんだから。笑って!」

ママは妖艶な笑顔と野太い声で励ますと、ウーロン茶のコップをもと子に渡した。それを合図にみんな手に手にグラスを持った。

「さあ、あたしたちのもと子の明るい未来を祈って、カンパーイ」

「カンパーイ!!」

方々からグラスが寄せられ、もと子のグラスとカチン、カチンと合わせる音がした。音がする度にグラスと共に温かい笑顔がもと子にもたらされる。

落ち込んでいる自分を励まそうと集まってくれた人たちの顔を一人一人見て、もと子は目を潤ませながらお礼を言った。すると瀬戸の隣に会った記憶のない年配の女性の姿が目に止まった。


「あの、すみません、お名前が出て来なくて。どなたでしたっけ?」

心底、申し訳なさそうな顔をして、もと子は女に頭を下げた。

「あら、大丈夫よ。私達、初対面だもの。初めまして、梶原です。瀬戸くんやリュウちゃんの知り合いです。」

「このオバハンは民生委員なんや。なんでまたオバハン来んねん?」

瀬戸が唇をとがらせて梶原のおばちゃんに毒ずいた。

「あらあ、冷たいやんか、瀬戸くん。誰もあんたのヤンチャな頃の話なんかせえへんて。心配ご無用やで。」

「瀬戸さんの若い頃?お話聞きたいわあ。」

宝来軒の女将が嬉しそうに突っ込んできた。

「なんもないない。クソがつくほど真面目やで。どこもオバハンはこれやから手に負えんわ。」

「お前、真面目の意味、知らんのちゃうか?教えたろか?」

「よう言うわ。いっつもつるんでたお前にだけは言われたないで。真面目の意味、言えるもんなら言うてみろや。」

梶原のおばちゃんは瀬戸と津田を交互に見るとポツリと一言。

「全然、成長しとらんな。」

プッともと子が吹き出した。

瀬戸と津田の掛け合いに、梶原のツッコミが入り、少し固かった雰囲気が一気に柔らかくなった。

集まったそれぞれが温かい言葉をもと子にかけていたが、所詮は顔見知り同士。気がつくと、もと子、そっちのけでそれぞれで盛り上がっていた。隣に座っていたリュウは呼ばれて、瀬戸と津田の間に座らされ、お互いにじゃれあっていた。それは大人のリュウが、小学生が兄たちにいじられる弟のようなノリ。いつももと子に見せる大人のリュウとは違うリュウを見て、不思議な思いで三人を眺めていた。


もと子の隣にできたわずかな隙間に梶原はお尻をねじ込んで来た。そして手にしたジュースのグラスをもと子に渡した。

「こんにちは。隣に座っていい?面識ないのに厚かましくも押しかけてごめんね。」

「いえいえ。私のために時間を割いてくださってありがとうございます。瀬戸さんのお知り合いなんですか?」

「と言うか、瀬戸くんとリュウちゃんの2人の知り合いやね。瀬戸くんは高校生の時から、リュウちゃんは小学生の時からかな。」

「お付き合い、長いんですね!リュウさんの小学生時代なんて想像つかないです。どんな子供さんだったんですか?」

何気なく聞いたもと子に梶原のおばちゃんはちょっと困った顔をした。

「リュウちゃんは苦労してるんよ。また、追々話す機会あると思うわ。その時に話そう。それよりも、リュウちゃんから聞いたけど、もと子ちゃん、大変やったね。」

梶原のおばちゃんはもと子の目をじっと見た。その眼差しは温かく、包み込んでくれるような気がした。

「リュウちゃんはああ見えて真面目だからあんまり心配はしてないんよ。でも、やっぱり男やろ?妹みたいなもんやと言ってるけど、どこで狼に変身するかわからんし、男には相談しにくいこともあるやんか。うち、民生委員やっててな、困った人の相談によう乗るねん。だからもと子ちゃんもリュウちゃんには相談しにくいような時はもちろん、気が向いたらおばちゃんとおしゃべりしよ。」

梶原のおばちゃんは連絡先の書いた名刺をもと子に渡した。

「ありがとうございます。私、両親無くして高校まで施設で、今は看護学校の寮なんです。奨学金だけでは生活費が足らないのでアルバイトに忙しくて、だから友達もいなくて。梶原さんの温かいお言葉が嬉しいです。」

「もと子ちゃんも苦労してるんやね。リュウちゃんがもと子ちゃんに肩入れするのわかったわ。うちら福祉の方で助けてあげることもあると思う。困ったことが出てきたら、出来るだけ早く教えてな。」

「福祉の…」

もと子は不思議そうな顔をした。梶原のおばちゃんは大きくうなずくと、もと子の肩をポンと叩いた。

「いつでもおばちゃんはもと子ちゃんからの連絡を待ってるからな。今度、リュウちゃんとご飯食べにおいで。またリュウちゃんに言うとくわ。」

そう言うと、おもむろにカバンを肩にかけて立ち上がった。

「今日はもと子ちゃんに挨拶したかっただけ。続きは今度ね。」

もと子に笑いかけるとリュウと瀬戸、津田に向かって手を振った。

「また連絡するから、あんたら悪さしたらアカンで!」

梶原のおばちゃんは集まったメンバーに軽く頭を下げるとママにお金を払って店を後にした。


梶原が帰った後、カラオケが始まり、静かだった宝来軒の大将が十八番の演歌を歌い始めた。それを皮切りにカラオケ大好き組がマイクを奪い合うようにカラオケの周りに集まった。隙間ができた、もと子の隣にはママと宝来軒の女将、リュウが座った。

女将はもと子の肩を抱いた。

「もと子ちゃん、大変だったね。怖かったやろ。リュウちゃん、犯人は警察に捕まったんやんな?もう大丈夫なんやんな?」

女将の言葉にもと子が下を向いてしまった。

「え、え、どういうこと?だって逮捕されたんやろ?」

「女将さん、なんかそうでもなさそうなのよ。犯人のおじさんが力のある奴みたいで、近いうちに出てきそうなのよ。」

「ホントに?」

リュウがうなずいた。

「大丈夫やで、もと子ちゃん。帰りは駅まで必ず健に送らせるからね。改札を通るところまで見守らせるから。それにもし男がついて来てたら、そのままもと子ちゃんと交番に行くよう健に言うとくわ。」

女将はもと子の顔をのぞき込み、力強く言った。女将の言葉にママもうなずいた。

「そうよ。怖いと思うことがあったら、迷わずあたしでもリュウでも電話するのよ。」

「俺やみんな、もとちゃんの味方やで。」

「あ、ありがとうございます。」

もと子は涙で3人の顔が滲んで見え、思わず下を向いて何度もうなずいた。

ママはもと子の頭を小さな子供にするようにヨシヨシと優しく撫でた。

「もと子にあたしたちの気持ちを伝えたところで、そろそろお開きかしら。もと子、あんた明日も学校あるのよね?」

もと子は涙をこぼさぬよう小さくうなずいた。

「あの、お開きの前に皆さんと写真を撮っていいですか?」

あら、ナイスアイデア!と言うと、ママはカラオケの前に集まっている男たちに声をかけた。「ちょっとそこの酔っ払い達、そろそろお開きよ。お開きの前に写真撮るわよ。こっち来なさい。」

ママの声かけにカラオケに興じていた男たちはゾロゾロと席に戻って来た。ママの的確な指示の下、もと子をセンターにしてみんなで体を寄せ合った。あとはもと子がスマホで写真を撮れるようにセットするだけ。スマホに不慣れなもと子に代わってリュウがセットして何枚も写真を撮った。

「ちょっといい?写真の撮れ具合を確認するな。」

リュウはもと子のスマホの写真を確認しようと手に取った。すると今回の集合写真の前に動画が記録されていることに気がついた。動画は夜に撮られたようで、少し見えづらい。よく目を凝らして見ると、男が馬乗りになっているようだった。

「もとちゃん、これもしかして…。」

「あ、そういえば、あの時の…リュウさんに言われて。どうにか動画撮れてたんでしょうか。」

リュウはもと子からもっと動画を見る許しを得ると早速見始めた。目を大きく見開いたリュウは後ろを振り返り、津田に向かって叫んだ。

「津田さん、早く来て!」

手酌でビールのおかわりを入れていた津田はリュウの必死の表情を見て、グラスに口をつけることもなく駆け寄った。

「なんや、なんかあったんか?」

リュウが指差すスマホの画面を男二人が頭をくっつけて食い入るように見た。

「…これ、いけるやんか。」

「ですよね!」

リュウはもと子の許しを得るやいなや、直ちにこの動画を自分と津田に転送した。

「もとちゃん、お手柄やで。撮ったこと忘れてたんか?」

「あの時の事、実は今も記憶が所々飛んでて。あれから写真を撮ることなかったので、全然見てなかったんです。」

「記憶が飛んでるんか。もとちゃん、よっぽどこたえてるんやな。」

リュウは眉をひそめ、かわいそうにと、もと子を見た。

「初めてと思えんぐらい、うまいこと撮れてるよ。あ、でも俺、録画してって言ってないのに、よう気が回ったなあ。」

「え、でも、ここ撮って、っておっしゃいましたよ。」

「え?言うてへんで。「ここおって。」は言ったけど。」

ウソ…?もと子は口元を手で押さえて、目をまん丸にした。二人のやりとりに津田はクックッと笑った。

「もと子、こんなええモン、撮っといて早よ言わんかいな。それにしても、ナイス聞き間違えやな。」

津田はもと子のおでこを形の良い人差し指でツンと突いた。

「これあったら、アイツを追い込める。明日、警察に行ってくるわ。もと子、お前を安心して夜道歩けるようにしたるで。」

「ホントに?ありがとうございます!」

もと子は津田とリュウに深々と頭を下げた。津田は店の隅に行くとスマホを取りだし、どこかに電話をかけた。そして薄く笑うと、サッとカバンを抱えた。

「俺、先に失礼するわ。リュウ、今夜はもと子を家まで送ってやれ。送る時に、用心悪そうな所、ちゃんとチェックしとけよ。」

津田はそれだけ言うと、財布からお札を出してママに渡すなり、振り返りもせずに店を後にした。

「相変わらずせわしない男ねえ。」

ママはタメ息をつくと苦笑いをした。

「でも、津田ちゃんが動き始めたんだからもと子、もう大丈夫よ。」

ママはもと子にウィンクした。残されたリュウたちは、しばらくポカンとしていたが誰かの、お開きやったなという一言でゾロゾロと帰り始めた。

「もとちゃん、一緒に帰ろ。家まで送るから安心して。」

はい!もと子は久々に満面の笑顔を見せた。

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