第7話 絡みつく視線③
次の日、津田とコピーを持ったリュウが神楽に会いに警察署へやって来た。通された会議室には神楽と相棒の保田、島野管理官が待っていた。津田はリュウから受け取ったコピーを刑事達に聞かせた。
「管理官、これなら証拠になりますね。」
「ストーカーと傷害はいけそうやな。」
「それにしてもリュウ、なんでこんなのがあるんなら早く出さねえんだ。津田に先に出すなんて、見損なったぞ。」
証拠が見つかり、喜ぶ保田と島野管理官を横目に神楽はリュウをこづいた。
「何抜かしやがる。俺がリュウに思い出させたから、こんな素晴らしい証拠が出てきたんじゃねえか。感謝しろよ、このおたんこなす。」
睨み合う津田と神楽の間に入って、リュウは一生懸命二人をなだめた。
「まあまあ、それぐらいにしといてくださいよ。これでストーカー野郎を刑務所に送れますよね?」
すると島野管理官は眉間にシワを寄せてあごをなでた。
「出来んことないんやけど、これだけならすぐ出てきよる。警官への殺人未遂も合わせて立件出来たらええんやけどなあ。」
「え、お巡りさんに死ね!って言ってナイフを降り下ろそうとした件も全然証拠ないんですか?」
「この件は被害者の警官からの訴えだけなんや。あの駐車場、防犯カメラがなかったんや。今、誰か見ているもんはおらんか近所の聞き込みしてるんやけど、これがなあ,,,」
島野は頭をボリボリかいた。
「お巡りさんが殺られる!と思って飛んでったけど、それまではもとちゃんの介抱してたからなあ。俺、録音出来なかったんすよ。」
あー!と短く叫ぶとリュウは机を拳で殴った。
「くそう!アイツ、俺が蹴り入れてなかったら、確実にお巡りさんを殺ってましたよ。もう目がいってましたもん。」
「お前ら、もう証拠になりそうなもんないんか?」
津田にメンチをきりながら神楽が尋ねた。
「うーん、なんかあるか考えてみます。で、ストーカー野郎が持ってたナイフはまだ出てないんですか?」
「見つかってない。お前、どの辺りに蹴った?」
「焦ってたんで、よく覚えてないですけど、そんな遠くには行かんでしょう。」
「ぬぬぬ,,,」
神楽は予想通りの答えに口をへの字に曲げた。
また連絡するという神楽の言葉をきっかけに津田とリュウは警察署を退出した。
外に出ると津田はリュウに釘を指した。
「お前、もと子とこまめに連絡取っとけ。白木サイドから直接なんか仕掛けてくるかもしれん。今、白木のこと、調べてるところや。またなんかあったら連絡する。」
リュウは真面目な顔をして頷いた。
「もとちゃん、元気か?最近、LINE見てないんか?返事ないと心配やで。」
リュウがLINEにメッセージを送っても、もと子からなかなか返事が来ず、来ても歯切れが悪い。宝来軒でも時折、暗い顔をしてぼうっとしているらしい。久しぶりにリュウは電話をかけてみた。
「ありがとうございます。大丈夫です。」
「白木のとこから連絡ある?津田さんからは?」
「ストーカーの代理人から、50万やるから津田さんを解任しろって言って来ました。なので津田さんに連絡したら、それからは連絡来なくなりました。」
「おー、それでいい。とんでもないな、白木の代理人。まあ津田さんはこの界隈では有名やから、嫌なんやろ。」
「津田さん、有名なんですか?」
「津田さんはこの界隈にお客が多いねん。ガメツくて有名。でも、心配せんでいい。俺も、うちのオーナーの瀬戸さんも、もとちゃんの味方やから。瀬戸さん、ああ見えて、漢気あるから絶対もとちゃんに悪いようにはせえへん。」
「リュウさんが、そうおっしゃるなら安心です。」
もと子はホッとした。すると津田からのお誘いを思い出した。
「そういえば、津田さんから経過を報告したいから一緒に晩ご飯食べようって誘われてます。」
「アカン、アカン!まあ、クライアントやから大丈夫とは思うけど、津田さんは女好きなんや。1人で行ったらアカン。俺も行くから。」
「ありがとうございます。1人だと心細くて。」
「あんな、津田さんには俺から連絡入れとく。日程調整するから連絡待っててな。」
リュウの提案にもと子は元気に返事をした。
午後6時45分。大勢の人々が目の前を行き交うのをもと子は梅田駅の改札を出たところの本屋の入口に立って、眺めていた。
「もとちゃん、お待たせ。」
背の高いリュウが片手を挙げてやって来た。黒いコートにベージュのセーター、濃いグレーのパンツ。高い物ではないのだか、筋肉質の体にフィットしている。その上、切れ長の涼しい目元に通った鼻筋、一見、整ってはいるが冷たく怖そうな顔が、もと子を見た途端、今は温かな笑みをのせている。時々、横を通りすぎる女たちが思わず振り返る。中には熱い視線を送って来る者もいる。最近、落ち込んでいたもと子は、リュウのいつもの柑橘のコロンの香りにドキドキした。
「お休みのところをすみません。」
「何、つまんないこと言ってんの。さあ、行くで。」
人混みの中、梅田に詳しくないもと子が迷子にならないよう二人は肩を並べて、津田の指定した店に向かった。店はお初天神のそばのカジュアルイタリアン。にぎやかなお初天神通りは夜に活気を増す。お初天神の本当の名前は露天神。お初天神の名前の由来は、この地で江戸時代、遊女お初と手代の徳兵衛が心中を遂げた悲恋を近松門左衛門が曽根崎心中として人形浄瑠璃で発表し、有名になったことからお初天神と呼ばれるようになった。現在は恋人達の聖地としてたくさんのカップルや女の子達のお参りが絶えない。このお初天神につながる、酔客でにぎわうお初天神通りを初めて通るもと子はキョロキョロと周りを見渡し、行き交う人にぶつかりそうになりながら、遅れがちにリュウの後ろを歩いていた。
「ほらほら前見て歩く!迷子になるで。もとちゃん、そんなに珍しいか?ここ通るの初めて?」
すんでのところでもと子はまた人にぶつかりそうになった。
「飲み屋さんばっかりなんですね。この辺りは来たことないです。なんで、アーケードの上から時代劇のカップルの垂れ幕?あるんですか?」
「ここはお初天神通りといって、この先にお初天神さんがあるんや。曽根崎心中って近松門左衛門が書いた浄瑠璃の舞台なんやで。垂れ幕のカップルは曽根崎心中のお初と徳兵衛なんや。この神社、今は恋人達の聖地らしいわ。」
「近松門左衛門!歴史で習いました。ここなんだ。知らなかったです。」
「そうなん?お店行く前にちょっと寄ってく?」
「本当?行きたい!行きたいです!」
もと子が興奮して、目を輝かせた。駅でリュウを認めるまで暗い顔をしていたもと子が身体中からワクワク感を溢れさせているのを見て、リュウは微笑んだ。
「もとちゃん、小学生の遠足やないねんで、落ち着けって。神社に寄るから少し早く歩くで。ほら、行くで。」
迷子にならないよう、もとこの手首を軽く掴むとリュウは少し早く歩き始めた。
私達、どんな風に見えるんだろう?もと子は少し顔を赤らめながら、一生懸命にリュウについていった。
アーケードの終わり近く、お初天神の裏参道がある。大人2人が並ぶといっぱいになる狭い道幅の通路の左側に本殿、拝殿が、右側にはお稲荷様が祀られており、その向こうにお初と徳兵衛が祀られている。今回は急いでいるのでお稲荷様のお参りはパス。お稲荷さんの横手を過ぎると左手にお初の顔の絵馬がたくさんかかっている。この絵馬はお初の顔がのっぺら坊になっており、どの絵馬も様々なお初を描いていた。絵馬がかかっているのを横目に進むと拝殿正面。正面の右側には獅子舞のおみくじがひける機械がある。奥には金比羅さん、水天宮さんもある。リュウともと子はお初天神の裏の入口に着いた。
「ここがお初天神さんや。」
「境内の中なのにお店があるんですね。」
珍しそうに通路脇のお店をのぞきながら向かいからやってきたカップルにぶつからないようもと子はそっとリュウに寄り添った。
リュウは通路の右側を示して、こっちがお稲荷さん、その先を指して、隣がお初と徳兵衛と説明した。次に左側を指して、こっちは天神さん、角を曲がったら絵馬が掛かってることを教えた。
「今夜は時間が無いから、天神さんのお参りとお初と徳兵衛のとこだけ行こう。」
「残念です。全部ちゃんとお参りしたかったです。」
「また、彼氏と行きや。」
「リュウさん、だったら私、もう二度と来れないかもしれないじゃないですか。」
「あ、ほんまや。もとちゃん、かわいそう。」
「ヒドイ!そこはそんなことないで、って言って下さいよ。」
「じゃあ神様に素敵な彼氏できますようにってお願いせなあかんなあ。でもその前に看護師にちゃんとなれますようにってお願いせな。」
もと子は拳で軽くリュウの腕を叩き、リュウは笑って受け止めた。二人は左側の角を曲がった。そこにはたくさんの絵馬が掛かっていた。
「この絵馬、お初さんですか?顔が描けるんですね。いろんな顔がある!」
「みんなかわいいやろ?お初さんみたいに別嬪になれますようにってお願いしてるんちゃうか。」
「ああ、そうなんだ。私も絵馬描いてお願いしなくちゃ。」
「ホンマや。もとちゃん、まだ間に合うで。今日のところは絵馬描く暇ないから神様にお願いだけしときや。」
もう、リュウさんは!とむくれるもと子を促して、絵馬がたくさんかかっている所の隣、拝殿の前に移動した。リュウは、二人分な、と言うと、もと子に百円玉を渡した。賽銭箱にそろりと百円玉を入れると、二人は二礼二拍手して天神さんに手を合わせた。
(看護師にちゃんとなれますようにように。,,,好きな人に振り向いてもらえますように。)
もと子はチラリとリュウの横顔を見た。
お参りが終わると、次にお初と徳兵衛が祀られているスペースへと二人は歩き始めた。
お初と徳兵衛の祀られている恋人達の聖地の手前、金属製の牛の像を見つけるとリュウは牛をなで始めた。
「もとちゃん、頭がよくなりますようにって頭、なでとき。体の悪い所も撫でるんやで。牛は天神さんのお使いなんや。知ってた?」
「神様の家来ですか?人じゃなくて牛なんだ!」
もと子はリュウが頭を撫でまくっているのを不思議そうに見ていたが、やがて自分も
神妙な顔で頭と顔をなで始めた。
「なんで顔までなでるん?」
「そりゃ、美人になりたいですもん。」
「もとちゃんの顔は味がある。そんなんせんでも大丈夫。そのうち、彼氏も出来るって。」
味があるって、どういうこと?
喜んでいいのかなんなのか、もと子は首を捻った。もと子がなで終わると二人は隣のお初と徳兵衛にお参りした。もと子は曽根崎心中の説明板を読み、お初と徳兵衛のブロンズ像を見た。ブロンズ像の恋人達は目も合わさず、思いつめた顔をして寄り添っている。しんみりした顔でもと子はリュウの方にふりかえった。
「なんか、かわいそうですね。」
「大丈夫や、あの世でラブラブや。」リュウはもと子の頭を軽く撫でると、もと子の背を押した。
「津田さんが待ってるで。純愛とは真逆の津田さん、待たせたら、吠えるで。」
「津田さんのことを思い出したら、お初と徳兵衛のしんみりが飛んでってしまいました。」
二人はプッと吹き出すと待ち合わせの店に向かった。
お初天神の裏参道が見えるところに津田が予約した店があった。店は明るい雰囲気のカジュアルイタリアン。時折若い女の高い笑い声が響き、おおいに盛り上がっていた。
「7時に津田さんの名前で予約しているんですが。」
リュウが案内に出てきたスタッフに声をかけた。スタッフに導かれて店の奥にある個室に入った。そこでは津田が既にビール片手に座り、ジロリと二人を見た。
「遅いねん。」
拗ねたように横を向いた。
津田の前にリュウが、斜め前にもと子が座った。
「おい、なんで俺の前にリュウやねん。もと子、なんでリュウ呼ぶねん。もと子にいいもん食わしたろうと思って、本当はもっといい店考えてたのに。」
「俺が来たから、この店ですか?十分いい店じゃないですか。拗ねないで話を聞かせてくださいよ。で、まずは何を食べます?」
メニューを見せて、津田ともと子のリクエストを聞くと、リュウはさっさとオーダーした。
「ちゃっちゃっと話を済ませるか。」
津田は、スタッフがドアを閉めるのを確認するとカバンから書類を取り出した。
「白木を調べた結果がこれ。結論から言うと、アイツはヤバイ。」
書類をパラパラとめくり、あるページをリュウともと子に示した。
「アイツはストーカーの常習犯。これが今まで取り下げられた被害届け。おじさんがそこそこ有名な国会議員なんで全部もみ消してきたんや。」
ページには10人もの被害者の名前と被害内容が記されていた。被害者の中には白木のストーカー行為を恐れたあまり、精神に変調をきたした者もいた。調査結果にもと子は顔色を変え、思わず両手で口を覆った。
リュウはもと子の様子を気にしながら津田に尋ねた。
「もみ消すって、どうやって?」
「今回みたいに警察に圧力かけたり、親兄弟に絡めて被害届け下げさせたり、きな臭い連中との繋がりもあるみたいや。」
もと子は何かを言いかけたが、震えて声が出せなかった。
「もとちゃん、俺らがついてる。大丈夫や。」
リュウは顔を青くしているもと子の肩を抱いた。
「そうや、俺がおるねんで。もと子にこれ以上なんかさせるわけないやろ。」
津田も、もと子の額をデコピンした。もと子はリュウと津田の顔を交互に見ると、深く頭を下げて震える声で言った。
「,,,た、助けて下さい。」
「もと子、ビビらしてごめんな。でもこれが事実や。今の状態や。こっから先は俺が戦ったる。お前は俺の言う通りにやれ。絶対、お前の悪いようにはせん。」
「そうやで。もし津田さんがもとちゃんに手を出したり、変なことしようとしたら俺が黙ってへん。」
リュウはもと子に声をかけると、津田の方を恐ろしい目付きで睨み付けた。
「リュウ、俺はかわいい女の子の味方やで。もと子が不安になるようなこと言うな。」
「津田さんが怪しいから、もとちゃんの不安を取り除いたまでですよ。」
負けずに津田もリュウを睨み付けた。
二人の険悪な様子に気づいたもと子は青い顔のまま慌てて、二人の間に体を滑り込ませ、顔を引きつらせながら津田とリュウに交互に微笑みかけた。
「あの、あの、すみません私のせいでお二人が…」
もと子が必死に宥めようとするのを見て、津田は大きく息を吐いた。
「しゃあないなあ。もと子がこんなに言うんなら、楽しく飯食おか。」
「そうですね。これ以上やったら大人げない。もとちゃん、大丈夫やで。心配させてごめんな。」
二人が落ち着いたのを見計らったように料理が運ばれてきた。料理が並べられると三人の心は一気にそちらに流れていった。
「今のところ話はそれだけや。今夜は食べよ。もと子は俺のおごりや。好きなもの腹一杯食べ。」
「津田さん、ゴチになります!」
「リュウは瀬戸に言って給料から引いとくから。」
「津田さん、ケチ臭いっすよ。」
「男に食わす趣味ないねん。」
二人の会話にハラハラしながら、もと子は津田とリュウのそれぞれがサーブしてくれた料理の小皿を受け取り、キョロキョロしながら箸をつけた。津田とリュウともと子のにぎやかなお初天神の夜は更けていった。
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