求めていた幸せ

 リアが消えて四年経った春の日。ようやく私はこの日を迎えた。ウェディングドレスに身を包んだ私は椅子に座り、静かに緊張と向き合っていた。


「おめでとう、アリシア。すごく綺麗よ」


 背後からかけられた声に振り向くと、セシリアが目を細めて私を見ていた。そのセシリアのお腹はお祝い用のシックなドレス越しでも膨らんでいるのが見てとれる。


 セシリアが結婚したのは二年ほど前だった。相手は子爵家の次男で、政略で結ばれた。当初は家のために仕方なくといった二人だったけれど、二人の間で何か変化があったのか、今では仲睦まじく過ごしている。そんな中でセシリアの懐妊がわかり、それを機にイライアスと私は結婚に踏み切った。


 実を言うと、セシリアが結婚した後に、私はイライアスの秘書として正式に雇われたのだ。そうすることで、イライアスとの接点を作ることができるので、婚約をするにしても唐突感は消える。そして、イライアスと共に過ごす時間が増えて結婚に至った、という筋書きをヒースロット側が描いたのだ。少しでも家名に被る泥は少ない方がいいと私も思う。


 そして、その際に私はヒースロットの屋敷を出て、フランツとアルマ夫妻の家で暮らすことになった。イライアスとアルマがそうして欲しいと言ってくれたのだ。未婚の男女が一緒に暮らすわけにはいかないし、貴族の娘を一人暮らしさせるわけにもいかない。私は二人の申し出をありがたく受けることにした。


 家を出てもセシリアとの手紙のやりとりは続いていたし、里帰りすることもあった。その距離感が私にはちょうどよかったのだと思う。


 セシリアは晴れやかな顔を一転、申し訳なさそうに顔を曇らせた。


「アリシア、ごめんなさい。私がもっと早く結婚していれば、ここまで待たせなくても済んだのに……」

「そんなことは気にしなくていいの。私も心の整理をするために時間が欲しかったからちょうどいいわ」


 私は昔を懐かしむように目を細めて上を見る。

 昔の事を思い出しても心穏やかでいられるのは、心を癒す時間があったからだろう。


 私の根底にある孤独感は、そう簡単に消えなかった。その孤独を埋めるように、この四年間イライアスが寄り添ってくれた。その四年があったからこそ、私はイライアスとの結婚により前向きになれたのだ。


「それよりもセシリア。あなたは体調大丈夫なの? 無理しては駄目よ」

「え? ああ、大丈夫。少しは動いた方がいいってお医者様も言っていたもの」


 セシリアはそう言いながらお腹に手を当てる。その顔は慈愛に満ちていた。


 妊娠がわかった時、セシリアは嬉しいよりも不安だったと吐露した。それもそうだろう。お母様のことはセシリアの心に暗い影を落としていた。自分が母親になってもいいのか、お母様のようにならないかとセシリアは悩んでいたようだ。


 だけど、そんなセシリアを救ったのもまた、お母様だった。妊娠を喜べないセシリアに、お母様は言ったのだ。「わたくしのようにはならないで」と。


 お母様は、私はともかく、セシリアへの愛情は本物だったのだろう。セシリアの不安を取り除こうと、セシリアに自分が妊娠した時の経験や気持ちを話して聞かせたようだ。お母様は確かに子どもの誕生を喜んでいた。ただ、お母様を取り巻く状況がそれを許してくれなくて、お母様は少しずつ鬱屈した思いを子どもにぶつけるようになってしまったのだと、セシリアから聞いた。


 お母様もセシリアの妊娠で、少しずつ変わっている。娘として、というよりも同じ女性として通じるものがあるのかもしれない。


 私とお母様は、今現在、会話らしい会話はない。以前のように責められることはないけれど、何も言われないのもそれはそれで寂しい。一緒に暮らしていた時、たまにお母様の視線を感じた。気づいた私がお母様を見返すと、お母様は視線どころか顔を背けてしまう。それが寂しくはあった。


「……セシリア。元気な子を産んでね」


 母親の愛情を知った今のセシリアなら、きっといい母親になれる。お母様への思慕を振り切るように、私は頭を振った。


 無い物ねだりはもうやめる。私は私なりの幸せを求めながら生きていくと決めたのだから──。


「ありがとう。アリシアも幸せになってね」

「ありがとう、セシリア……それじゃあ、私はそろそろ行かないと」


 私は立ち上がって、セシリアの方へ歩き出す。しゃらりしゃらりとドレスが音を立てる。この日のために誂えた絹のドレスは、少し動いただけでもこうして音を立てるのだ。それが現実味を帯びて、私に結婚するのだという実感を与えてくれる。


 近くで待つお父様と合流するために控室を出ると、何故かお母様がいた。お母様はやっぱり私と視線を合わせない。避けているのにどうしてここにいるのだろうか。私の頭に疑問符が浮かぶ。


 すると、私の背後からセシリアの驚いた声が聞こえた。


「お母様、どうしたの?」


 ──ああ、セシリアが心配だったからなのね。


 私は俯いて足早にお母様の前を通り過ぎようとした。その時──。


「……元気でやりなさい」


 思わず私は足を止めた。気のせいかと思うほどに短い言葉。私は耳を疑った。顔を上げてお母様を見ると、やっぱりお母様は顔を背けている。私の願望が幻聴になって聞こえたのかもしれない。自嘲するように笑うと、お母様は顔を背けたまま言った。


「……もう、わたくしのために頑張らなくてもいいわ。あなたはあなたのために頑張ればいい。幸せに、なんて、おこがましいから言わないわ。ただ、元気でいなさい。セシリアのためにも」


 お母様はそれだけを言うと、踵を返して去っていった。呆然と見送る私の後ろから笑い声が聞こえた。


「お母様ったら素直じゃないんだから。お母様ね、アリシアに申し訳ないことをしたってわかっていたから、謝らなかったし、アリシアの顔を見られなかったのよ。今更どの面さげて母親面できるのかって。謝ってアリシアに許されたとしても、お母様の罪が無くなるわけじゃない。お母様は贖罪のために敢えてアリシアに何も言わないことを選んだみたいなの。馬鹿よね。素直に幸せになって、って言えばいいだけなのに」


 セシリアの言葉がじわじわと染み渡って、心が引き絞られる。耐えきれずにこぼれた涙を、セシリアが私の前に来て拭ってくれた。


「せっかくの化粧が剥がれるから泣いては駄目よ。イライアス様もびっくりするわ」

「……っ、ええ、そうね」


 涙を堪えて笑顔を作ると、セシリアと腕を組んで歩き出す。そしてお父様と合流し、式へと臨んだ。


 神妙な顔のお父様と並び、祭壇の前に立つイライアスの元へと一歩一歩歩いていく。


 ここまで来る道のりを思い出すと、その一歩が重く感じる。


 私はただ、イライアスに恋をしただけだった。


 だけど、好きなだけではうまくいかない現実とぶつかって。


 自分を取り巻く環境や人間関係に疲れて。


 逃げたくて私はもう一人の自分を作って楽になろうとした。


 だけど、逃避し続けたままでは幸せなんて手に入らない。リアは私にそれを教えてくれた。


 リアは、逃げたくなったら今度こそ私の人生を奪うと言っていた。だから私はもう逃げない。これからの楽しい記憶も辛い記憶も私のもの。何か一つ欠けてしまえば、私じゃない。


 きっとこれからも辛いことはあるだろう。だけど、その分楽しいことも待っている。私はそう期待しながら、愛する人の元へと一歩ずつ近づいていった──。

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愛されたかっただけなのに 海星 @coconosuke

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