変わりゆくものと変わらない気持ち

 それからお父様は、私の死亡届をすぐに取り下げた。私が家に帰ったことで私の生存を隠せなくなったことが大きい。だけどそれだけではなく、イライアスと私の婚約を整えるための下準備の意味もあった。


 唐突に、私が生きていてイライアスとの婚約を発表をまとめてするよりは、生きていたと一旦事を収めることにしたのだ。そして、事故による後遺症で静養が必要なため当主候補から外れ、セシリアの婿が次期当主になると発表した。


 ここで、私はお父様に確認した。

 事故による後遺症と発表してもいいのかということだ。貴族の娘となれば、傷物になると政略としての価値を失ってしまう。イライアスと婚約する予定だとはいえ、世間は知らないのだから外聞は悪い。


 だけど、お父様は言った。


「いずれ妹の元婚約者と結婚するのに今更だろう。こうすることでお前への縁談は来なくなるし、セシリアと結婚したいという男が来るようになる。セシリアが結婚してしまえば、傷物になったお前が誰と結婚しようが、とやかくは言われなくなるのではないか? ……再度言うが、他人に答えを委ねるな。これは私が決めたことかもしれないが、先に望んだのはお前だろう。これでよかったのかと不安に思うな。最後まで責任を持て」


 お父様はどこまでもお父様だった。私が幸せになろうがなるまいが関係ない、そういうことなのかと思いそうになった。だけど──。


「……私はこういう形でしかお前にしてやれることがない。すまなかった」


 本当に不器用な人だ。だからこそお母様も理解できなくて追い詰められたのだろう。まだまだお父様を理解するには程遠いけれど、少しずつ近づいている気はする。


 そして、お母様。

 こちらとの溝は深すぎて、埋めることは難しい。だから私は無理に縮めようとすることをやめた。それだけでも随分気持ちが楽になった。


 相手に合わせようとし過ぎるあまりに、他人との境界線を忘れてしまうものだ。私はお母様ではないのに、お母様の気持ちを理解しようとして、自分の気持ちを敢えて作り出していたような気がする。本当はお母様を憎いとも思っていたのに──。


 自分に嘘や誤魔化しはもう通用しない。醜い感情も全て自分のもの。受け入れないとまた、私は自分自身が解離していくだろうと、何となくだけど気づいた。


 お母様は相変わらず私に当たろうとすることもあるけれど、そんな時は言い返している。私はお母様の八つ当たりの道具ではないのだから。


 そうやって言い返すようになって変わったこともある。口喧嘩だとしても、お母様が私の意見を無視しなくなったのだ。少しずつだけど、私を一人の人として見てくれるようになったのかもしれないと感じている。


 そして、お父様とお母様の間の溝も同じく深い。お母様の鬱屈した感情は一朝一夕で晴れるものではない。お父様も不器用な人だから、それならそれでいいと放置するつもりだったようだ。本心は違うだろうに。


 そこで、セシリアと私が間に入るようになった。不器用なお父様の気持ちは私が話をして何となくわかるし、お母様の気持ちはセシリアとは話すのでわかる。そうして二人の話をセシリアと擦り合わせる。そうやって分担することで、これまで孤独だと思っていた私でも、家族との繋がりを初めて実感できた。


 もちろん、葛藤はあった。孤独に過ごした十数年が、そんなことで簡単に癒されないからだ。許せない思いに、もういいという思い、自責の念に、今になっていろいろなことが解消された虚しさ。それらはうまく説明できなくて、胸に詰まって苦しくなることがある。


 そんな時は、セシリアに話を聞いてもらっている。それを聞くセシリアも同じように苦しそうな顔をしているのは、セシリアはセシリアで私とは違う思いを抱えているからだろう。私もセシリアの苦しみを受け止めたいと、話を聞くようになった。


 立場が変われば見方も変わる。そうやって話し合って私とセシリアは少しずつでも姉妹らしくなっているように思う。


 そしてイライアス。私の死亡届が取り下げられたからといって、すんなりとは婚約にはいかなかった。イライアスの実家であるファレル伯爵家に反対されたのだ。やはりあちらも、元婚約者の姉と結婚ということに引っかかったようだった。もちろんそれだけではなく──。


 そこで初めて、私はイライアスの事情を知った。


 セシリアとの婚約が簡単に成立したのは、ファレル家がイライアスの価値を少なく見積もっていたからだ。元々次男として、いざという時の長男の代わりとして教育を施されてはいたけれど、イライアスは継ぐ気は無かった。正確に言うと、無くなったらしい。


 いざという時、という名目でお兄様と同じように教育を施されていたはずなのに、いつしか周囲は兄弟どちらが継ぐのかと見方を変えつつあったそうだ。だけど、ご両親はあくまでもイライアスをいざという時の代理としか見ていなかった。そして、頑張れば頑張るほどにお兄様との関係は悪くなるだけ。だからイライアスは中途半端な立場を持て余すしかなかったそうだ。そんな時に私と会ったことで、吹っ切れて今の道へ進んだ、ということらしい。


 ファレル家は、イライアスが私と結婚したいと言い出したことで、イライアスの価値について考え直したそうだ。格下の子爵家、しかも傷物の娘と結婚させるに相応しいのか。イライアス自身、実業家として成功していることもあり、釣り合いが取れないと考えるのも当然だろう。


 ──人の価値って何なの?


 本質は変わらないはずなのに、瑕疵かしがあれば価値は下がり、肩書きや実績が増えれば価値は上がる。まるで、そこにその人の心は必要ないとでもいうように──。


 以前、イライアスは言ってくれた。私自身の価値はヒースロットに付随するものではないと。イライアスも本質は何も変わっていない。だから私はイライアスをより深く知りたいと思ったし、その心に寄り添いたいと思った。その気持ちは変わらない。


 イライアスとの結婚を認めてもらうには、ファレル家を納得させることが必要だった。そこで、イライアスは、結婚を認めてもらう代わりに、イライアスの屋敷の近くにあった森を開拓することで得られる利益を、事業に差し支えない限り、ファレル家に優先させるという契約を結んだそうだ。私が知ったのは、全てが終わった後だった。


 私一人とは到底釣り合わない対価。今からでも契約を破棄して欲しいと私は手紙を出した。それに対するイライアスの返答はこうだ。


「ちゃんと期限は区切ってある。本格的に利益が見込めるのは、私の予想ではそれ以降になるだろう。開拓したらすぐに街道ができるわけではないし、舗装の手間、街道使用料の整備、諸々の諸費用、しばらくはそれで大した利益は出ないよ。向こうもそれはわかっていて、無償で利益が見込めて事業に協賛しているように見えるから、都合がいいだけだろう。だから気にしなくていい」


 気にはなるけれど、これで婚約への道筋は整った。後はセシリアがどうするかだ。そして──。

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