喜ばれない帰還

 その日の昼過ぎに馬車はヒースロット領へと入った。宿に泊まって翌日仕切り直すことも考えたけど、直接ヒースロットの屋敷へ向かうことにした。


 雪のちらつく中、馬車は舗装された道を進んで行く。花の盛りも終わり、無彩色で天気と相まって暗い雰囲気を醸し出している領地。逃げ出した私に言えることではないのかもしれないけれど、領地経営はうまくいっているのかと心配になる。


 やがて、見慣れたヒースロットの屋敷が見えてきた。近づくにつれて私の緊張は増していく。門をくぐるまでは見えない力で拒まれている気がして、本当に立ち入ってもいいのかと不安だった。だけど門をくぐってしまうと、それも杞憂でしかなかった。結局全ては私の気の持ちようなのだ。そしてようやく私たちはヒースロットの屋敷に到着したのだった。


 ◇


「アリシア! ……とイライアス様。お帰りなさい、でいいのかしら?」


 玄関ホールで執事に私が到着した旨を伝えると、セシリアが急いでやってきて、私とイライアスを交互に見て首を傾げた。イライアスが苦笑する。


「アリシアにはそれでいいと思うよ。私はただの付き添いだ。気にしないでくれ」

「いえ、いずれはイライアス様は義理の兄になるのですよね。やっぱりお帰りなさいでいいのだと思います」


 セシリアは私を見ながら含み笑いをする。そこには一片の憂いも感じられない。元は自分の婚約者なのにいいのだろうかと不安になる。


「……セシリア。その……今更だけど本当にいいの?」


 言葉を濁したからか、セシリアが答えるまでに間があった。表情が消えたかと思うと、セシリアは綻ぶように笑う。


「元々その予定だったのだから、それでいいと思うわ。ただ、お父様とお母様を納得させるのは大変でしょうけど……」

「……ええ。それは覚悟しているわ」


 そんな私たちの会話を断ち切るように、涼やかな女性の声が玄関ホールの正面にある階段の上から聞こえてきた。


「セシリア。何をしているの?」


 お母様だ。軽やかな足取りでこちらへ向かってくる。ここを離れる最後に見たお母様の表情は未だに忘れられない。ごくりと唾を飲み込むと、その音がやけに私の耳についた。


 ──向き合うと決めたじゃないの。


 私は何でもない振りで口角を上げた。笑いたくなくても笑うすべは身についている。後は目が笑っていないことを気付かれないように目を細めるだけだ。


「お母様、ただいま戻りました。長期間にわたり留守をして申し訳ありません」


 お母様の表情はみるみるうちに険しくなった。セシリアを見る優しい視線とは大違いだ。まるで敵を見るような刺す視線。わかっていたとはいえ、肝が冷える。


「……何をしに来たの。この家に娘は一人。あなたはもう死んだのよ」


 気を抜いたら膝から崩れ落ちそうだった。自分を産んだ母親に存在そのものを否定されるのはやっぱり辛い。自分を見失わないように、私はぐっと爪が食い込むほど拳を握り締めた。


 セシリアが私を庇おうと前に立つ。


「お母様! アリシアもあなたの娘よ。 お帰りなさいの一言くらいかけてもいいでしょう?」

「……セシリア。アリシアは死んだのよ。家のために責任も果たせないような子だもの。死んだことにした方が本人にとっても幸せだと思うわ」


 私にとっての幸せ、と聞いてイライアスの言葉を思い出した。幸せは他人が決めるものじゃなく、自分で決めるもの。そして、自分で掴み取るものなのだ。


 私はセシリアの隣に立った。私はもう庇われるだけの弱い人間でいたくない。


「いいのよ、セシリア。ですが、お母様。何が幸せなのかは私が決めます。私は生きて幸せを掴みたい。そのために帰ってきました。これからのことをお父様も交えて話し合いたいと思っています」


 私の隣に立つセシリアと後ろに立つイライアス。二人が心配してくれているのがわかる。言葉にはしなくても繋がっている、そんな安心感に後押しされ、私はお母様を挑むように見据えた。


 お母様はしばらく無言で私を睨みつけていた。私が視線を逸らさずにいると、お母様が折れたのか目を逸らす。


「……いいわ。思い通りにならない現実を思い知ればいい」


 憎しみのこもった言葉を私にぶつけると、お母様は踵を返した。


 緊張感から解放されて、体の力が抜ける。ふらついた体を、イライアスが後ろから支えてくれた。


「アリシア!」

「イライアス様、ありがとうございます……。ほっとしたら力が抜けてしまって。セシリアも庇ってくれてありがとう」

「いえ、庇えてなかったもの。ごめんね、アリシア……。だけど、どうしてお母様はあんなにも頑ななのかしら……」


 セシリアの言葉を聞きながら、お母様のことを考えていた。私はこれまで現実を思い通りにしようと思ったことはない。いつも諦めて唯唯諾諾と従うだけで、自分がなかった。


 お母様は私に絶望を味あわせたいのだろうか。私はどうしてここまでお母様に嫌われるのかと、複雑な気持ちだった。

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