押し流される決意

 そうして私はイライアスの仕事を手伝うようになった。主な仕事は、提出する書類を提出期限の早い順に並べてイライアスに渡したり、イライアスが計算した書類の再計算、資料や書物の整理といったことだ。そこまで難しくないこともあって、私でもできる。


 そんな私に、イライアスはできて当たり前だとは言わない。その上、手伝ってくれて助かる、君がいてくれてよかったと伝えてくれる。他人に認められるのがこんなに嬉しいことだなんて思わなかった。


 だけど、その反面、心が重くなる。イライアスの仕事を手伝うようになって私たちの物理的な距離は近づいていく。それに比例するように私のイライアスへの思いは傾いていく。駄目だと思うと余計に。


 意識してしまうと、同じ部屋で作業するのが辛い。いっそイライアスに新しい婚約者ができてくれればとも思い始めた。そして──。


 ◇


 季節は冬になった。屋敷の窓から見える青々としていた森からは緑が消え、今にも雪が降り出しそうな曇天と木々のコントラストが寒々しい。


 そんな寒い日でも、私とイライアスはいつものように書斎で作業をしていた。


「……言い忘れていたんだが、今日セシリアが来ることになった」


 もうじき昼になろうかという時に、思いがけず放たれたイライアスの言葉に私は凍りついた。驚きと恐怖で声を出せない私に、イライアスは続ける。


「実は、リアがセシリアに手紙を出していたんだ。アリシアが目覚めたと。セシリアはアリシアが帰ってくるまでヒースロットで待つつもりだったようだがどうも状況が変わったようでね。アリシアに会って話したいことがあるそうだ」


 ──お前のせいだ。


 そんな声が聞こえた気がした。安穏と過ごしていた私を責める声。私はやっぱり許されない。


「……ごめんなさい」

「アリシア?」

「ごめんなさい、私のせい。私はやっぱりいてはいけないの……」


 弾かれるように立ち上がると、私は部屋を飛び出した。


 行かなくては──どこへ?


 自分でもわけがわからなくなっていた。ただ、自分はまだセシリアに憎まれているのだという思いが私の足を突き動かしていた。イライアスは私を選んだわけじゃない。だけど、私の邪な思いを消さなければ、ここにいてはいけないような気がしていた。


 私はあの子からいろいろなものを奪ってきた。そんな私が幸せを感じてはいけない。セシリアはきっと私に罰を与えに来るのだと。


 怖い……!


 他人にぶつけられる悪意に疲弊していた心は、未だに恐れを抱いていた。強くなりたい、強くならなくてはという決意を、いとも簡単に押し流す。駄目な人間はどこまでいっても駄目なのだ。そんな絶望が私の心を塗り替えていく。


 全力で走って私は屋敷すら飛び出した。凍てつく空気は吸い込むたびに臓腑に刺さるようだ。痛みすら感じる。それでも私は一心不乱に走った。


 そして森の入り口に差し掛かったところで後ろから強い力で腕を引っ張られ、私はその場に倒れこんだ。


 咄嗟に目を瞑って痛みに備えたけれど──痛みの代わりに襲ってきたのは衝撃だった。恐る恐る目を開くと、仰向けに倒れたイライアスの上に、私は倒れこんでいた。


「っ、離……て!」


 離れようとしても、イライアスの腕は強い力で私を抱き込んで離さない。荒い呼吸で私は抗ったけれど、とうとう力尽きてしまった。寝転んだままのイライアスにもたれかかる。


 私の息が整ったところで、イライアスが口を開いた。


「……君の気持ちも考えずにすまなかった。以前にセシリアは君に申し訳ないことをしたと反省していると話したが、君は信じていなかったんだな。それだけ君が傷ついているということにも思い至ってなかった。私は駄目だな」

「……イライアス様が謝ることではありません。弱い私が悪いのです。私はセシリアから様々なものを奪ってきたのだから憎まれて当然なんです。今、この時も……」

「どういうことだ?」


 イライアスの怪訝な声に、私は戸惑った。


 セシリアの婚約者だったあなたを奪った、とは言い難い。イライアスは私を好きではないから正確には違う。だけど、私はやっぱりイライアスが好きで、その思いがあるからセシリアに罪悪感を抱いてしまうのだ。


 下心がある時点で、イライアスのそばにいるのに相応しくない。そんなことはわかっていたのに──。


 打ち明けるのは怖い。だけど、セシリアがこちらに向かって来ているのは、私が懺悔するようにとの天啓に思えた。


 これを口にしたら終わってしまう。それも覚悟して、私は口を開いた。


「……あなたを好きになって、申し訳ありませんでした」

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