大切に思うからこそ

 それからイライアスとしばらく話をして、何となく状況は掴めた。ここはヒースロットの隣の領地で、イライアスの屋敷であること。そして、私が眠ってからもう一月以上経っていること。つい昨日眠りについた気分なのに、そんなに時間が経っていることが不思議で仕方がない。


 落ち着いて考えをまとめるためにも一人になりたいと思ったけれど、イライアスは甲斐甲斐しく私に話しかけてくる。


「朝食ができたようだが、向こうで食べるかい? それともこちらに運ぼうか?」

「いえ、後で行くので……」

「君は食堂の場所を知らないだろう? 行くなら一緒に行こう」


 笑顔を浮かべながら私の手を取って立たせようとするイライアス。だけど私には立ち上がれない理由があった。


「あの、その……着替えをしたいのですが……」


 薄手の体の線が出る夜着を纏ったままなのだ。さすがに恥ずかしい。つい体を隠すようにシーツを空いた手で手繰り寄せると、イライアスは慌てて顔を背けた。


「すまない! じゃあ着替えが終わったら呼んでくれ!」

「ありがとう、ございます……」


 ぎこちなく手を離したイライアスは、勢いよく部屋を出て行った。だけどすぐに足音が途切れたので、部屋の外で待機しているのだろう。顔を背けてもほんのりと赤く染まった耳がイライアスの気持ちを正直に表していた。言葉よりも雄弁に語る彼の仕草に心が温かくなった。


 ──本当に馬鹿ね。叶わない思いをいつまでも抱き続けるのだから。


 社交界では格好の醜聞になるだろう。私のこの思いはイライアスの負担にしかならない。本当に好きなら、思いを封じてここから去るのが最良だ。


 そんな、考えても仕方ないことを考えてしまうのは私の悪い癖。頭を振って思考を追いやると、クローゼットの中にあった服に着替えてイライアスの元へと急いだ。


 ◇


「はじめまして。アリシアと申します。お世話になります」


 食事を作ってくれたというアルマという女性にそう言って頭を下げたら困惑顔で迎えられた。


「ええと、アリシア、様? お気になさらず。こちらこそ坊ちゃんがお世話になりまして」


 坊ちゃん。振り向くとイライアスが苦虫を噛み潰したような顔になっていた。そんなに気にしなくてもいいのに。むしろ、家族のような温かみを感じてほっこりした。それと同時に二人の関係性に羨望を覚えた。


「……アルマさんとイライアス様は、仲がよろしいのですね。羨ましいです」

「アリシア……」


 イライアスのどこか痛ましそうな視線に気づかない振りをして、二人に笑いかける。アルマさんはやれやれと肩を竦めた。


「坊ちゃんはこう見えてもなかなか難しい方なんですよ。本当に信用できる方しかそばに置きたがらないので、自然と付き合いが長くなるんです。そういう意味ではアリシア様も私と同じなんですよ」

「私を信用……?」


 喜びよりも罪悪感で心が痛む。


「……私を信用してはいけません。自分の保身のためにあなたを騙してきた女です」

「アリシア……。違うだろう? そうした事情はわかっている。全ての責任を君だけが負う必要はないんだ。関わった者全てに罪がある。私も、セシリアもだ。君がそうやって一人で抱え込もうとすればするほど、私もセシリアも償う機会を与えてもらえずに余計に罪悪感が増すということに気づいて欲しい」


 イライアスの言葉は深く広く私の心に浸透した。彼女の言葉を思い出したのだ。私が自分を大切にしないから、私を思ってくれている人たちの心を大切にできない。その意味はこういうことだったのかもしれない。


「……申し訳ありません。どうしても昔の癖で責任を負わなければと思ってしまって」

「真面目なのはいいが、それだと自分がしんどくなる。冷静に状況を見て、誰かを責めてもいいんだ。それが相手のためになることもあるから」

「イライアス様……」


 どうしてこの人はいつも私の欲しい言葉をくれるのだろう。私の鼓動が嬉しいと跳ねる。これ以上惹かれてはいけないのに──。


「ありがとうございます。私はいつもあなたに助けられてばかりです」

「そんなことはないと思うんだが」

「いえ。初めて会った時に仰ってくださったでしょう? 休んでもいいんだと。努力をしているんだからたまには休んでもいい、そんな風に私には聞こえました。私はずっと……誰かにそう言って欲しかったんだと思います」


 結果が全て。確かにそうだと思う。もし私が当主になったとして、一度の判断の誤りで家名に傷を付けたり、領民を苦しめるような事態に陥ることは許されない。当主として必要な統治能力が劣っていれば、その差を努力で埋めるしかないと私は思っていた。だけどどんなに頑張っても、結果が出せなければ意味がない。そんな風に肩肘を張って閉塞感に苦しんでいた私に吹き込んだ一陣の風が彼の言葉だった。私の心は確かに救われたのだ。


 イライアスの顔が綻ぶ。


「それはこちらも同じだよ。あなた自身の価値は家格に付随していないと言ってくれたから、今の私があるんだ。どうしても家名で値踏みされることが多くてね……。私自身を見てくれる人なんていないと腐っていたが、君の言葉で目が覚めたよ。他人に価値を求めるのではなく、自分で自分の思う価値を高めていけばいいと吹っ切れた。こちらこそありがとう。それを言いたくて、あの時の女性を探していたんだ。ようやく言えた」

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