アリシアの目覚め

 ──アリシア、聞こえる? 聞こえるなら返事をしてちょうだい。


 ──お願いだから静かにして。私はまだ眠っていたいの。


 ──っ、いい加減に起きなさいよ! いつまでそうやって甘えているつもり? 最初はあなたの境遇に同情したけど、今のあなたはそれに甘えて楽をしているだけじゃないの。辛いのが自分だけだなんて思わないで!


 ──この声はセシリア……?

 どうしてあなたが私を起こそうとするの。私が消えることがあなたの望みでしょうに。もういいの。誰にも望まれないアリシアはいなくてもいいでしょう?


 ──そうやって被害者ぶって。あなたが自分を大切にしようとしないから、あなたがあなたを思う人たちを大切にできないんじゃないの。いい加減に周囲の人たちに背を向けるのはやめなさい。


 の気持ちを逆撫でするような言葉の数々に、私は堪りかねて叫ぶ。


「……もう黙って!」


 叫び声と共に唐突に引き上げられた意識。目を開いたら見覚えのない景色。これで狼狽しない人なんていないだろう。上半身を起こして直前まで会話していたセシリアを思い出し、ひたすら叫ぶ。


「セシリア、どこ⁈ お願い、返事をして……!」


 知らない場所で唯一私にわかるのはセシリアだけ。


 ──怖い、怖い、怖い……!


 だけど、セシリアの返事はない。見回しても見覚えがないものばかりだ。セシリアの部屋でも、私の部屋でもない。それどころか、ヒースロットの屋敷ですらない。混乱の極みで息の仕方すら忘れそうになる。少しずつ苦しくなる息に、私は自分の胸を押さえながら声を絞り出す。


「誰か、お願い……!」


 バタバタとこちらへ走ってくる音が近づいてきて安心した。きっとセシリアだ、そう思った。だけど、勢いよく扉を開いて現れたのは、髪を乱したイライアスだった。


「どうしたんだ、リア!」


 その言葉に私の気持ちがすっと冷えた。状況はわからないながらも、イライアスはやはり私ではない別人を求めるのだ。リアということはセシリアだろうかと、冷静に考えてしまう自分がおかしくなって微笑わらった。


 目覚めるんじゃなかった。やっぱり私はいらなかった。また私の心を絶望が塗り潰していきそうになる。


 怪訝に私を見ていたイライアスは何かに気づいたかのように目を見開いた。


「……アリ、シア、か?」


 どういう意味だろうか。私は自分の犯した罪を告白して、自分はアリシアだと言ったはずだ。それとも、本物のセシリアが出てきて一緒にいるから見分けがつかないのだろうか。


「……何を仰っているのかはわかりませんが、私はアリシアで……」


 最後の言葉はイライアスの体に吸い込まれた。強く折れそうなほどに力を込めて抱きしめられたのだ。どうして私がアリシアだとわかって抱きしめられるのかはわからない。そんな疑問よりも私の心は歓喜に震えていた。


 見失っていたはずの恋心が、まだ彼を愛しいと訴える。セシリアではなく私の名前を呼んでくれたことが嬉しい。


「アリシア、アリシア……!」


 イライアスは私の名前を何度も呼んで、私を離さない。その声が湿っているように感じるのは、私の願望がそう思わせるのだろうか。


 ──これはきっと夢。だってイライアスはセシリアと結ばれたはず……。


 同じようにイライアスに伸ばしかけた腕が止まる。夢だと思いたかったけど、この圧迫感は現実のもの。私は彼に手を伸ばしてはいけない。彼のこの手はセシリアのものだ。


 ぐっと拳を握り、イライアスの背を叩く。


「イライアス様、苦しいです。離してはいただけませんか……?」

「あっ、ああ、すまない……。だが、アリシア、なんだな」


 イライアスはようやく私を離してくれた。離してくれと言ったくせに、離れないで欲しいと追い縋りそうになる気持ちを必死で抑える。念を押すようなイライアスの言い方に引っかかったけれど、私は頷いた。


「私はセシリアになりすましていたと打ち明けたはずです。疑っていらっしゃったのですか?」

「いや、そういう意味ではないんだが」


 それならどういう意味なのか。歯切れ悪く苦笑をして誤魔化すイライアスにもやもやする。


 気になることばかりの私は、イライアスに尋ねた。


「……ここは一体どこですか? それにセシリアはどこへ行ったのですか? さっきまで私はセシリアと話していたはずなのに……」


 ヒースロットの屋敷で両親の前で罪の告白をして、セシリアに抱きついた後……その後の記憶がない。


 イライアスは神妙な顔で俯くと、しばらく考え込んでいた。その間が長くなるほど不安になる。耐えきれなくて私はイライアスに懇願した。


「……知るのは怖いけど、知らないのも同じくらい怖いんです。お願いします。何があったのか教えてください……!」

「教えるのはいいんだが……君は本当にそれを望んでいるのか?」

「どういう、ことですか?」

「いや、間違っていたら申し訳ない。君は辛い現実から目を逸らしたいのでは、と思ったんだ」

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