思いが生まれる時

 アルマとの話を終え、わたしは書斎で執務をしているイライアスの元へと急いだ。


 この一月、イライアスはそんなことを一言も言わなかった。わたしも一応関係者であるにもかかわらず。たしかに忙しいイライアスは何日か帰ってこない日もあった。それでも全く顔を合わせなかったわけじゃない。ただ一言、セシリアとの婚約を解消したと言えば済むことだったはずだ。


 わかりやすく音を立てながら廊下を歩き、ノックもせずに書斎の扉を力一杯開ける。バンと派手な音がして、同じくらいの音量で扉は閉まった。イライアスは音に驚いたのか、背筋が伸びた。


「リア……。扉が壊れるからやめてくれ。それで一体何の用だ?」

「自分の胸に手を当てて考えてみなさいよ。わたしに言いたいことがあるでしょう?」


 イライアスは顎に手を当てて上を見る。だからそうじゃないでしょう。わたしは胸に手を当てて考えろと言っているのに。考えるどころか、これではわたしの話をまともに聞こうとしていないのと同義だろう。苛立ちも露わに、わたしは机に両手をついて詰め寄る。


「どうしてセシリアと婚約解消をしたとわたしに言わなかったのよ!」

「解消するとは話していただろう? セシリアが新たな婚約者を見つけるためにも必要だったから急いだ。それだけのことだ」

「……っ、わたしも当事者でしょう! アルマから聞かされてどんな思いだったか、あなたにわかる? しかも、あなたとお付き合いされているんでしょうとも言われたわよ。冗談じゃないわ!」


 イライアスはやれやれと肩を竦める。


「君自身が言ったんじゃないか。自分はアリシアではないと。これは私とセシリア、アリシアの問題だ。私が話すべきなのはアリシアだろう」


 そう言われてしまえば、その通りかもしれない。だけど、巻き込まれたわたしにも関係はあるはずだ。


「だけど……!」

「……君はアリシアと記憶を共有しているんだろう? 私がアリシアに話せば、それで通じるはずだ。だが、それができなかった。それは何故か。アリシアが出てこないからだよ」


 イライアスは宙を茫洋たる瞳で眺めながら微笑わらう。どこか寂しさと物悲しさを感じさせる表情だった。アリシアの存在を感じられないことで、思いを変に募らせているのかもしれない。


「……あなたにアリシアを責める権利はないわ」

「責めているわけじゃない。私はアリシアに最初に話したかっただけだ」

「つまり何? わたしが悪いとでも言いたいわけ? アリシアが消えてしまえば、わたしは一生教えてもらえなかったの?」


 もちろん、アリシアが消えると思っていたわけじゃない。売り言葉に買い言葉という奴だ。

 だけど、わたしの言葉はイライアスの怒りに火をつけるには充分だった。イライアスはわたしを睨みつけて声を荒げた。


「アリシアは消えない! そもそもその体はアリシアのものだろう!」


 これにはわたしも頭にきた。まるでわたしがアリシアの体を乗っ取ったかのような言い方だ。だけどそうじゃない。現実から乖離していったアリシアが自分の心を守るために作った、それがわたし。


 それに、わたしにだって心がある。生きているのだ。イライアスはわたしに消えろとでも言いたいのだろうか。


「っ、この体はアリシアとわたしのものよ! 何にも知らない他人が偉そうに……! わたしはアリシアの尻拭いをするためだけに生まれてきたわけではないわ!」


 ジワリと悔し涙が目に浮かぶ。だけど意地でも泣いてなんかやらない。わたしは弱いアリシアとは違うのだから。ぐっと眉間に力を込めてイライアスを睨み返すと、イライアスはさすがに言い過ぎたと思ったようで静かに謝った。


「……すまない。感情的になった。だが、冗談でも……言わないでくれ」


 イライアスは、冗談でもと言った後に言葉を詰まらせた。消えるという言葉は口にしたくないのだろう。時として口にした言葉は現実になることもある。それを恐れているようだ。


 これはわたしも無神経だった。外見がアリシアであるわたしが口にしたから余計に激昂したのかもしれない。


「わたしこそ、ごめんなさい。ただ、冗談でもあなたと付き合っているなんて思われたくなかったのよ。またアリシアが傷つきそうだから」


 アリシアのイライアスへの思いを伏せたつもりだけど、どうしてイライアスとわたしが付き合っていると思われるとアリシアが傷つくのか、考えたらわかりそうなものだ。余計なことを言ったかと心配したけど杞憂だった。


「いや、わかってくれればいいんだ」


 イライアスはそう言って笑う。アリシアがセシリアになりすましていたことにはなんとなくでも気づいていたのに、鈍いのか聡いのかわからない男だ。


 だけど、アルマが言っていたことが事実なら、イライアスもアリシアと同じように自分の価値を見失っているのかもしれない。だから、自分がアリシアに好かれているという可能性を無意識に排除しているのではないだろうか。


 そう気づいた時に、わたしの心に不可解な思いが生まれた。アリシアに感じたような、敵味方では片付けられない複雑な思い。


 わたしは心から願った。アリシア、あなたに早く戻って来て欲しい、と──。

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