アルマの心

 それからは日中することのないわたしは、アルマとフランツの手伝いをすることになった。二人ともわたしが貴族の娘だとわかっていたので、最初は渋っていた。だけど、何度もお願いをするうちに折れてくれたのだ。


 フランツは庭仕事を、アルマは家事を、わたしに教えてくれている。結構な重労働だけど、これも市井で暮らすようになったら必要な知識になるはず。それに、労働は思ったよりも楽しいものだった。少なくとも貴族の腹の探り合いをするよりは健全だと言える。


 疲れてへとへとになって深い眠りに落ちる、そんな日々が続いた。だけど、一向にアリシアが出てくる気配を感じない。アリシアは本当にこのまま出てこないつもりだろうか。


 そして気がついたら一月経っていた──。


 ◇


 パンパンとシーツを叩いて皺を伸ばしながら物干しへ干す。最初はその作業にもたついてはシーツを落として洗い直したものだ。そう考えるとわたしは成長したと思う。


 もう秋も深まりだいぶ日が暮れるのが早くなったから、日が昇ってすぐに干さないと乾かない。こんなこともあの家にいたら知ることはなかった。そして、あの家に置いてきたセシリアの顔がわたしの脳裏をよぎる。


 ──あの子は大丈夫かしら。


 次の洗濯物を手に取ろうとして動きを止めたわたしを、アルマが訝る。


「リアさん、どうかしましたか?」

「いえ。ちょっと知人のことを思い出したの。元気かなと思って」

「……まさか、男性ですか?」


 妙に緊張した様子で、アルマはわたしにそう尋ねてきた。そんなことを聞いてどうするのだろう。苦笑しながらわたしは首を振る。


「違うわよ。そうねえ……妹、みたいなものかしら」

「そうですか……」


 アルマはほっと息をついた。本当に何なのだろうか。とうとう我慢できなくてわたしはアルマを問い詰めた。


「ねえ。どうしてそんなことを気にするの? 何かあるのかって気になるじゃないの」

「いえ、その、坊ちゃんが……」

「だから何なのって聞いているのよ」


 アルマはなぜか歯切れが悪い。そうされる方が余計に気になるからはっきり言って欲しいのだけど。だから、ついつい強い口調になってしまった。


 アルマはびくりと体を震わせると、恐る恐る続けた。


「……リアさんと坊ちゃんは、お付き合いをされているのではないのですか? 坊ちゃんを見ていると、あなたは特別な女性のようなので……」

「違うわ。わたしたちは同じ人に対する思いを持っているだけ。そこに他意はないわ」

「そうですか……」


 アルマは肩を落として俯いてしまった。そんなにがっかりさせるようなことを言ったつもりはないのだけど。顔を覗き込もうとしたら、その前にアルマが勢いよく顔をあげたので、わたしは思わず仰け反った。


「わたくしが申すのも差し出がましいことは重々承知しております。ですが、坊ちゃんが本音で話せる女性はあなたしかいないんです。坊ちゃんをよろしくお願いします……!」

「そんなことを言われても困るわ。だから言っているでしょう? わたしたちはそんな関係ではないと」

「……坊ちゃんも気の毒な方なんです。お兄様に何かあった時のためにと当主教育を受けながらも、お兄様が健在の場合はご自分で身を立てる術を見つけろとご実家からは申しつけられて……。結局こうして伯爵家を離れた今でも、実家に泥を塗るような真似をするなと言われています。もう充分ご実家に尽くしてこられたというのに……」


 わたしの否定も聞かず、アルマは沈鬱な表情でイライアスの話をする。だからわたしに言っても仕方がないというのに。わたしはイライアスに恋心を抱いていないのだから。


 ──これはアリシアが聞くべきだわ。聞いて、その上でまだあの子がイライアスを思っていれば、アルマの願うとおりにはなるとは思う。


 それよりもわたしは、アルマの放った一言に引っかかった。


「……ちょっと待って。イライアスの実家は厳しいの? わたしがここにいたら問題にならない?」


 アルマは目を見開いて固まったかと思うと、表情を和らげた。


「いえ。坊ちゃんが何も言わない限り、ご実家に知られることはありませんよ。わたくしたちもわざわざ報告はいたしません。わたくしたちの雇用主は坊ちゃん本人ですから。それに、独身で婚約者のいない坊ちゃんですから、リアさんとお付き合いされるのもご結婚なさるのも構わないと、わたくしは思いますよ」

「婚約者のいない……?」


 訝ってアルマに問いかけると、アルマは不思議そうに首を傾げた。


「ええ。リアさんがいらっしゃった頃に婚約は解消になっております。お聞きになっていないのですか?」

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