成長するために必要なもの
カーテンから差し込む光の眩しさで目を開き、見慣れない天井に驚いて完全に意識が覚醒した。
「そうだった……。ここはイライアスの屋敷だったわ」
起き上がると手早く着替えを済ませ、カーテンを開ける。外はだいぶ明るくなっているにもかかわらず、誰も起こしに来ないのは何故なのか。そこで昨夜の会話を思い出した。
『私が居ない間、この家の管理を任せているフランツとアルマ夫妻だ。私が子どもの頃から私の実家で働いてくれていたんだが、私が独立するにあたってついてきてくれた。ただ、二人の家は近くにあって、通いで来てくれているんだよ』
ということは、この家には私とイライアスの二人きり。起こしたくても部屋には入って来られないのだろう。急いで食堂に向かう途中でイライアスに出会った。綿のシャツにスラックスという、素朴なのに質がいい洋服を着ている。イライアスはわたしを見るなり、目を見開いたかと思うと、忙しなく瞬きをした。
「……アリ、シア?」
「違うわよ。わたしはリア。昨日、そう名乗ったでしょう?」
昨日は信じたのに、たった一日でもう戻っている。呆れたように言うと、イライアスは何とも言えない複雑な表情を浮かべた。
「そうか、そうだな。そんなに簡単に解決するわけはないよな……」
「何をぶつぶつ言っているのかわからないけど、そんなことより待たせたのならごめんなさい。もう朝食は食べたの?」
「いや、これからだ。アルマが今、朝食の準備をしてくれているから、一緒に行こう」
そうしてわたしたちは連れ立って食堂へ向かった。
◇
食堂というには小ぢんまりした部屋の四人がけのテーブルに、イライアスと向かい合って座る。目の前にはスープとパン。出来立てで湯気を立てているスープの優しい匂いが食欲をそそる。
用意された朝食を食べながら、イライアスはふと思い出したように尋ねてきた。
「そういえばどうしてリアなんだ? シアの方が正しい気がするが」
「いえ、これが正しいの。アリシアは……セシリアになりたかったの。セシリアになれば愛される、そう思いたかったのでしょうね。そしてわたしが生まれた。だけど、あの子が思うセシリアの姿と本物のセシリアの姿に齟齬が生じて、わたしはこんな性格になったという感じね」
イライアスの表情が曇る。まあ、あの両親とのやりとりを見られているのだからそれも当然だろう。スープを一口飲み込むと、わたしは続けた。
「……アリシアがそう思うのも無理はないのよ。物心ついた頃にはすでにアリシアとセシリアには差があった。お茶会では散々あの両親があの子を貶めるようなことをしてきたわ。次期当主なのに出来が悪くて恥ずかしい、外に出すような子じゃないとホストの方に紹介したり、性格が暗いから友達もできない可哀想な子なの仲良くしてあげて、と同じくらいの年頃の子どもたちに吹聴したりね。そのくせ、セシリアのことは、器量も性格もいい子で自慢の娘だと言って回っていたわ」
イライアスの顔が更に険しくなる。スプーンを握った手に力がこもっているようで、折れるのではないかと見当違いの心配をしてしまった。
「どうしてそんなことを……自分たちの娘だろう?」
「そうね……父親の方はわからないけど、母親の方の気持ちなら何となくわかるわ。同性だからよ。より自分の境遇に近いセシリアに同情したから、アリシアを憎く思ったのでしょうね」
「私にはわからないよ。そんな気持ちは」
「わからない方が幸せよ。まあ、あの人は母である前に一人の女だったということよ」
淡々と言うわたしとは対照的に、イライアスが声を荒げる。
「どうして君はそんなに落ち着いているんだ。腹が立たないのか?」
「腹が立つのも、傷ついているのもアリシアよ。わたしは知識としてあるだけで、当事者ではないの」
だけど、アリシアは傷ついても踏ん張ってきたと思う。現実から乖離するほど辛いと思い始めたのは、セシリアを突き落とした時からだった。それでも自分の罪からは逃げようとはしなかった。アリシアにセシリアを突き落とした時の記憶があったのがその証拠だ。
「……わたしは思うのだけど、人は一人では生きていけない。誰かと繋がっているという安心感があれば、自尊心は育つし、批判にもある程度は耐えられる。だけど、生まれてからずっと、一番身近な家族に否定され続けたアリシアは孤独しか知らない。孤独なのは自分に問題があるからだと、アリシアは自分を肯定的に認めてあげることができなかったのでしょうね」
──ねえ、そうでしょう?
まだ眠ったままのアリシアに語りかける。
全ては自分のせいのようにアリシアは思っていたけど、それは違う。植物だって日の光や水、栄養など成長に必要なものがあるように、人にだって成長するために欠けてはならないものがあるのだと思う。
欠けたものを埋めることができないまま成長したアリシアが、これからそれを取り戻せるのかはわからない。それでも変わり始めた周囲の環境に、嫌でも自分が変わらざるを得ないと気づくだろう。
変わるのは怖い。だけど、変わることで手に入れられるものもあるとアリシアには気づいて欲しい。そんなことを考えたのだった。
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