イライアスの屋敷

 長い距離を経てイライアスの屋敷についたのはその日の夕方だった。海があったヒースロット領とは違い、この領には海ではなく森がある。イライアスの屋敷はその森からほど近い場所にあった。


「それにしても……これは屋敷といっていいのかしら?」


 わたしはそのを上から下まで舐めるように眺める。一見すると倉庫だ。二階建てで赤茶色の煉瓦の壁。無骨な外階段に、ささくれ立った木の扉。屋根にはいたるところに蔦が張っている。これは招かれるというよりは、連れてこられたの方が正しい気がする。


 イライアスは苦笑した。


「倉庫と住居を兼ねているんだ。こちらにいるときは、外見よりも機能性が大事でね。さすがに王都にある別邸は外見重視で建てているよ」

「なるほどね。わたしが感じたのは間違いじゃなかったってこと。だけど、どうしてこんな町外れに屋敷なんて建てたの?」

「建てたのは私じゃない。元々ここに建っていたものを買い取ったんだ。ここは元々この森を切り拓くための工場だった。森というのは盗賊や犯罪者の温床になりやすい。そうならないための見張りと、森を切り拓いて街道を作るという目的のために建てられたそうだよ。ただ、それには結構なお金がかかるから、ここの領主の計画半ばで一度頓挫したんだ。で、今度は共同で開発が進められていて、私も出資者の一人なんだよ」

「ふうん。だったら計画がある程度進んで街道の整備も進めば、出資者として街道使用料を無料にしてもらうか、一部を受け取る権利を貰える、そういうこと?」

「さすがだね。その通りだよ。で、交易が盛んになれば、私の交易事業にもプラスになると」


 イライアスの言い分はわかった。だけど、薄闇に包まれた今の時間は、屋敷と森がすごく不気味に映る。森の上を飛び交う大量の鳥の声も相まって、まさに幽霊屋敷といった風情だ。


「まあ、話は中に入ってからにしよう。ついてきてくれ」


 イライアスは私の鞄を持って、外階段を登っていく。わたしもその後に続いた。


 ◇


「お帰りなさい」


 それほど広くない玄関には、老齢の男女がいた。男性の方は麻のシャツにくたびれたズボンにブーツという農作業に従事しているような格好をしている。そして、女性の方はワンピースにエプロンをつけただけの質素な服装だった。


「ああ、ただいま。遅くなってすまない。ちょっといろいろあってね」


 イライアスは笑顔で答えると、ちらりとわたしを見遣る。二人も釣られてわたしを見る。きっとわたしが誰なのか気になっているのだろう。


 イライアスはわたしをどういう風に紹介するのかと気になった。今のわたしをアリシアと言うのか、現在の婚約者であるセシリアと紹介するのか、それとも──。


 イライアスは困ったように眉を下げる。


「彼女を紹介したいんだが、ちょっと事情が複雑でね。私は彼女の名前を知らないんだ。君のことは何と呼べばいい?」


 そうきたか。そんなことを言ったらこの二人も不審に思うだろう。案の定、二人の表情は曇った。男性が腰に手を当ててイライアスの顔を覗き込む。


「……坊ちゃん。まさか、どこかからかどわかして来た、ということはありませんよね? 我々は悪事の片棒を担ぐつもりはありませんよ」


 イライアスは慌てて片手を振って否定する。


「違うんだ! そうではないんだが……。ああ、もう。どう言えばいいんだ?」


 イライアスがうまく話せないのは、アリシアの名誉に関わるからだろう。事情を知らなければ、アリシアは妹の婚約者を奪い取った毒婦にしか見えない。適当に誤魔化せばいいのにとは思うけど、仕方なくわたしは助け舟を出した。


「はじめまして。わたしはリアと言います。ちょっと困った事態に巻き込まれていたところをイライアス様に助けていただきまして。行くところもないので、こうしてお招きいただきました。突然の訪問、大変失礼いたしました」

「あ、ああ、そうなんですね。よかった。坊ちゃんが罪を犯したのかと……」


 今度は女性の方が胸を撫で下ろしながら笑う。それにしても、坊ちゃん……。わたしはつい俯き加減で笑いを堪える。


 イライアスは気がついたのか、わざとらしく咳払いをした。


「まあ、そんなことよりも、彼女は疲れているだろうから早く休ませて欲しいんだ。食事の準備はできているか?」

「ええ。できていますよ。では、先に着替えをなさってからお食事にしましょうか。リアさんの部屋は客室でいいですね。ではお部屋にご案内します」


 挨拶もそこそこに女性はそう言うと、わたしの荷物を持って廊下の奥へと進む。忙しないことだ。わたしも慌てて付いて行き、着替えをすませると食事、入浴、就寝となり、ようやく慌ただしい一日を終わらせることができたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る