セシリアの成長

 セシリアは少し考える様子を見せた後、真剣な表情で両親の手を掴んだ。行かせないという堅い意思の表れだろう。


「……いいえ。私は行けない。私が居なくなるとアリシアが帰ってくる場所が無くなってしまうでしょう?」

「わからない子ね。イライアスにも言った通り、帰ってくるかなんてわからないのよ」


 だから逃げればいい。そう続けようとしたけど、セシリアの方が早かった。


「わからなくてもいいの。私はここで待ち続ける。それが私なりの贖罪だから」


 セシリアは背筋を伸ばして私を見据える。あのわがままだったセシリアからは想像できないくらい凛とした姿だった。数ヶ月程度の市井しせい暮らしでも、人は成長できるということか。いえ、むしろ両親がセシリアの心の成長を止めていただけなのかもしれない。


「……わかった。アリシアが目覚めたらそう言っておくわ。最後にもう一度言うわね。アリシアの気持ちはあなたの机の中にあるわ。見てあげて」

「わかったわ……それじゃあ、またね」


 セシリアは敢えて別れの言葉を言わなかった。それならと、わたしも言葉を返す。


「ええ、また」


 相変わらず握られたままのイライアスの手を振りほどきたかったけど、痛みを感じるくらいに強い力で振りほどけない。諦めたわたしはそのままにして早足で外へと向かう。後ろから両親の罵倒が聞こえる。それを聞き流して、ようやくわたしは屋敷を後にすることができたのだった。


 ◇


「ああ、気分がいいわ。生まれ変わったみたい」


 屋敷を出るとイライアスと共に、庭園を抜けた先にある馬車止めまで歩いていく。深呼吸をすると外の空気が美味しい。秋になり柔らかい日差しが降り注ぎ、この季節を謳歌している植物たちの芳香や海風の匂いがわたしの鼻をくすぐる。


 アリシアの意識があった時にわたしが出てくるのは、大体アリシアが眠っている時か、辛い現実から逃げ出したい時だった。そうなると夜の帳が落ちた後か、日中だとしてもあの両親と対峙する時ばかりで、周囲に目を向けることがなかった。


 だけど、アリシアの記憶を辿っても、あの子が風景を楽しんでいたことはなかったようだ。いつも何かに追い立てられるようにして、心の余裕が無かったのだろう。


 アリシアに思いを馳せていると、イライアスが話しかけてきた。


「……生まれ変わったというか、生まれたばかりなんじゃなかったのか?」

「正確には生まれて間もない、かしら。あなたと敬語はやめましょうという話をしたのはアリシアではなくわたし」

「……だろうね。どうしてあの時にアリシアの状態を話してくれなかったんだ?」


 本当にこの男は……。何もわかっていない。わたしはこれ見よがしにため息を吐いた。


「あのねえ……。アリシアはセシリアを演じていたの。それにあの時はアリシアはセシリアを殺したと思い込んでいて成り代わった罪悪感でいっぱいだった。そこに第三者であるわたしがアリシアの秘密を暴露して、自分の知らないところであなたが離れていくアリシアの気持ちを考えてみなさいよ」

「あ……そうか、そうだな」

「本当に、あの両親といい、あなたといい、どうして他人の気持ちになって考えられないのかしらね?」


 隣を歩くイライアスを睥睨して、ツケツケと嫌味を言ってやる。知れば知るほど呆れ返る。


 イライアスは口答えするかと思いきや、意外にも殊勝な態度でわたしに謝る。


「……本当だな。アリシアにも、セシリアにも、申し訳ないことをした。すまなかった」

「わたしに謝ってどうするのよ。わたしは無関係な第三者」

「いや、もしかしたらアリシアにも届くかもしれないと思って……。本当に私は馬鹿だな。あの時、彼女がどんな気持ちで告白したのか、もっと考えるべきだった」


 悔恨の言葉を独り言のように言うイライアス。その呟きがわたしには不思議だった。


「あなた、わたしがアリシアじゃないって受け入れているけど、よく信じられるわね? もっと疑ってもよさそうなものだけど」

「……顔つきが全然違うからな。アリシアがセシリアの振りをしていた時も、もしかしたらアリシアじゃないかと疑うくらいにはアリシアは不器用でわかりやすかった。だが、君は違う。自信に満ち溢れていて、おどおどした様子がない。かといってセシリアのように表情がくるくる変わるわけでもない。じゃあ君は誰なんだ、と思うと、君の言葉を信じるしかないだろう」

「へえ……。意外に見ているのね。少しだけ見直したわ」

「ほら、そういうところ」


 イライアスはわたしを指差した。前言撤回。相手を指差すのは失礼だと知らないのだろうか。一つ見直すと一つ見損なう。


「そういうところってどういうところよ」

「アリシアもセシリアも相手を見下すような言葉遣いはしない」


 これには言葉に詰まった。失礼なのはお互い様ということか。


「……悪かったわ。そんなつもりはなかったのだけど、どうしてもわたしの中ではあの両親と張るくらいにあなたが最低だと思っているから、つい正直な気持ちが出てしまったようね」

「……そういうところもだ」

「あら、ごめんなさい。もう余計なことを言うのはやめるわ」


 そんな話をしていたら馬車止めに着いた。イライアスにエスコートされて馬車に乗り込むと、わたしたちはイライアスの屋敷へ向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る