イライアスの望み

 セシリアはもうわたしを引き止めはしなかった。それどころか両親の前に立ちはだかり、わたしを行かせようとすらした。


「……っ、行って! だけど、いつか……、帰って来るわよね……?」


 不安気にわたしに尋ねるセシリア。こればかりはわたしにもわからない。


「そうね……。次にここに来る時はアリシアかもしれないわね。少なくともわたしはごめんだわ」


 片目をつぶってセシリアに笑いかけると、セシリアも笑顔を返してくれた。その目尻には光る球が浮いている。悲しみなのか、喜びなのか、わたしにはわからない。


 だけど、ここにはもう一人いたのだということをわたしは忘れていた。一番後ろにいたイライアスは早足でわたしのところに来ると、わたしの手を掴む。


 両親は驚きの表情を浮かべ、わたしは戸惑いを隠せなかった。


「……何が狙いなの」

「そんなものはない。ただ、いろいろと話したいことがある。君に行く場所がないのなら、私の屋敷に来てはもらえないか?」


 ──ふざけている。アリシアから逃げ出したのは自分のくせに、今度は自分の元へ招き入れるの?


 怒りでわたしの目が眩む。


「ふざけないで。あなたはアリシアとセシリアを見分けることもできなかったし、最後の最後でアリシアを見捨てた。何故わたしが言うことを聞くと思うの」


 イライアスの顔が苦痛に歪む。良心の呵責は多少なりともあるらしいのはわかった。わたしは別に嗜虐趣味があるわけではない。ただ、自分の思い通りにことを運ぼうとするイライアスのその根性が気に入らないだけだ。


 イライアスを睨みつけると、セシリアが小さな声で謝罪した。


「……ごめんなさい。イライアス様のせいじゃないの。私がアリシアに成りすまして彼を騙した。イライアス様は薄々気づいていて、私はそれが気に入らなかったから──アリシアを突き落とそうとしたの……」


 ──アリシアが愛されては不都合だった、そういうことか。


 理解した。両親に愛されているようで愛されていないと感じていたセシリアは、アリシアに嫉妬したのだ。アリシアだけが本当の愛情を手に入れることを許せなくて。だけど、何という皮肉だろう。結局イライアスはアリシアでもセシリアでもない幻想に恋をしていただけ。愛ではなかった。


 アリシアもセシリアも愛がなんなのか知らないあまりに、お互いを羨むことしかできなかった。


「そう……。それでも最後に逃げたのは彼の意思よ。セシリアのせいじゃない」


 そこまでの過程はセシリアに誘導されたものだとしても、最後に逃げるという選択をしたのは彼だ。それならそれで、軽蔑されるのを覚悟で全て話したアリシアの意思を尊重して欲しい。もう全ては終わったことだとアリシアは眠りについたのだから。


 イライアスは俯いて絞り出すように言葉を紡ぐ。


「……そうだ。私は逃げたんだ。あの時の彼女が人殺しをするわけがないと思いたくて。それに、あの時の彼女がアリシアではないかと薄々気がついていた。それをはっきりさせることもなくセシリアに曖昧な態度を取っていたから、こんなことになった。どんなに謝っても許されることではないと私も思っている。申し開きをしたいわけじゃない。私は確かに彼女に幻想を抱いていた。それなら本当の彼女を知りたいし償いたいんだ……もう、遅いかもしれないが……」

「ええ、そうね。もう遅いわ。アリシアは消えたのだから」


 わたしは鼻で笑ってやった。どこまで自分本位なのか、この男は。アリシアはこの男のどこがよかったのか理解に苦しむ。


 イライアスは顔を上げると、射抜くような視線をわたしに向けた。


「……いや、そうじゃない。君は先程言った。次にここに来る時はアリシアかもしれないと。戻ってくる可能性はあるということだろう?」

「そうね。だけど、いつになるかもわからないし、そうなるのかもわからない。不確定な要素しかないのに、あなたはそれでも選べるの? 最後の最後でまたあなたはアリシアを見捨てる。賭けてもいいわ」


 人というのはそういうもの。そこまで自分の選択に責任を持てる人間がどれくらいいるのだろうか。イライアスは黙り込む。


 ──ほらね。中途半端な覚悟なら初めからしない方がいいのよ。自分が苦しむだけだから。


「……約束はできない。私は弱い人間だ」

「あら、今度は開き直り? ご立派だこと」


 私が揶揄すると、イライアスは不快げに眉を寄せた。


「君が何と言おうと構わない。ただ……セシリアには本当に申し訳ないと思う。すまない……私のせいで君を苦しめた。こうなった今、私は君と結婚はできない……」


 イライアスはセシリアの方へ振り返り、深く頭を下げた。その声音は苦渋に満ちていた。

 セシリアは泣き笑いの表情で首を振る。


「いいんです。私が先にあなたを欺いたんです。私が割り込まなければ今頃アリシアは……。それに私には今、私をわかってくれて受け入れてくれる人たちがいるんです。だけどアリシアには誰もいないから……。アリシアを、お願いします」


 セシリアも深々と頭を下げる。


 だけど、そんなことを両親が許すはずがなかった。


「……っ、君はセシリアの婚約者だろう! そんな勝手が許されると思っているのか?」


 セシリアを突き飛ばして父親が前へ出てくる。


 ──本当にあなたの愛は薄っぺらいのね。愛しているはずの娘を思い切り突き飛ばしているじゃないの。


「そうですわ! それにアリシアを連れ出すことは許しません……!」


 母親も負けじと前へ出る。こちらもセシリアを遠慮なく突き飛ばしている。こういう時に人の真価が問われるというものだ。


 わたしは二人に侮蔑混じりの視線を投げかけて、セシリアに告げる。


「セシリア。あなたもこの家を出た方がいいと思うわ。あなたまで壊れてしまう」

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