母親の本心

 振り返ると、セシリアがボロボロと涙を流している。涙を拭うこともなく悲痛な顔でスカートを握りしめるその様子は、本心から泣いているように見えた。


 何故。あの子はアリシアを憎んでいたはずなのに。


 そして、セシリアの様子に慌てた母親が、小走りでセシリアに駆け寄った。それを見て私は悟った。ああ、これも茶番なのだと。


 同情を引いて、自分がいかに両親に愛されているのか、アリシアに見せつけるつもりなのだろう。わたしは冷めた目で、二人の挙動を見ていたのだけど──。


 母親は手を伸ばしてセシリアの涙を拭おうとした。


「触らないで!」

「セ、セシリア……?」


 セシリアは嫌悪感も露わに母親の手を振り払う。母親は何が起きたか理解していない、いえ、理解したくないのだろう。青い顔で戦慄わなないている。そして、そんな母親を支えようと父親が駆け寄って母親の肩を抱く。


「どうしてお前が……あんなに優しい子だったのに……。これも、アリシアの影響か」


 苦々しげに吐き捨てる父親。本当に馬鹿馬鹿しい。セシリアが数ヶ月ぶりに帰ってきたのは今日だ。どうやって影響を与えるというのだろうか。


 そうやって自分たちに都合の悪いことはアリシアのせいにする。自分たちを正当化するためだ。自分たちの教育が悪かったからアリシアやセシリアが歪んだとは思いたくないのだろう。


「……もう、いい加減にして! 私は外の世界を知って、この家がおかしいことに気づいたの! アリシアは……被害者なのよ……そして、私も」


 セシリアは声を振り絞って訴える。悲痛な声と表情。さすがにこの人の心も動くかと思ったのだけど──。


「アリシアが被害者? 何を言っているの? セシリア、あなたが被害者であるのはわかるわ。あなたは次女で他家に嫁がなければならないもの。理不尽よね。わたくしもそう。女というだけで無能扱いされて、後継に選ばれなかった。それなのに、アリシアはどうして長女というだけで後継になれるの? さして能力が高いわけでもないのに。だからわたくしはあの子に厳しくしたの。立場に相応しい能力を付けさせようとしただけよ。だけどやっぱりアリシアは、嫌なことから逃げ出すためにセシリアを海に突き落として、セシリアに成り代わって楽をしようとした。許されるわけがないでしょう」


 母親は眉を顰めて淡々と言葉を紡ぐ。話を聞いてなんとなくこの人がアリシアに向ける感情がわかった。それは──嫉妬だ。


 自分が欲しくても手に入れられなかったものを、アリシアが容易く立場だけで手に入れようとしているように見えたから嫉妬したのだろう。娘を愛する気持ちよりも、嫉妬の気持ちがまさってしまった。そして、その後ろめたさから、自分と同じ立場のセシリアを愛そうとした、というところだろうか。


 この人は利己的であり、自己愛の塊だ。セシリアを自分の代替にして愛している振りをしながら、結局は可哀想な自分を愛しているようにしか見えない。だから子どもを愛せない──。


 セシリアは愕然と目を見開いていた。自分の母親がここまで話が通じない人間なのだ。そうなっても仕方ない。しばらくして、セシリアは否定するように勢いよく首を左右に振った。


「違う、違うわ、お母様……! 厳しくするって言っても、ずっと上から押さえつけるだけじゃ駄目なのよ。私はこの数ヶ月、漁師の方々にお世話になっていたわ。できなくて叱られることもあったけど、できたら褒めてくれた。お母様はアリシアを褒めたことがあるの?」


 一生懸命に母親に訴えるセシリア。母親は呆れたように肩を竦める。


「セシリア。あなたにはわからないでしょうけど、当主というのは孤独なものよ。一人でその重圧を背負わなければならないの。そんな、褒められなかったくらいで揺らぐような人間なんて、当主に相応しくないわ。ねえ、あなただってそう思うでしょう?」


 そうして母親は傍らの父親に同意を求める。父親は視線を彷徨わせながらも頷く。


「あ、ああ。そうだな。私もそう思う」


 ──嘘ね。目が泳いでいるもの。


 確かに当主は最終的に厳しい決断を求められるため、孤独かもしれない。だけど、人一人の力なんてたかが知れている。そこまでの過程は人との協力なしでは成り立たない。他者理解も必要だとわたしは思う。そして、協力関係を結ぶ相手を見抜く目も必要だ。足元を掬われないような相手が相応しいと言えるだろう。間違ってもこの女は選んではいけない。自分の利益しか考えない人間だ。


 そして父親も。おかしな理論を繰り広げる母親を諌めもせずに、追従するような男が果たして当主に相応しいのだろうか。


 セシリアは悔しそうに唇を噛み締めている。きっと、これではどこまでいっても平行線だろう。言葉を紡げば紡ぐほどに無力感に苛まれる気がする。相手の気持ちを尊重することができない人というのも確かに存在するのだ。


 わたしはセシリアに笑いかける。セシリアは本当に変わった。アリシアなら、最後までアリシアのために言葉を尽くしてくれたセシリアに感謝をするだろう。


「セシリア、もういいのよ。あなたにもわかったでしょう? わたしはもう行くわ。それじゃあ元気でね」

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