強さと引き換えに失ったもの

 セシリアは鼻白む。


「自分本位ってどこがよ。私はアリシアのことを思って……」

「ふふふ。本当に浅薄なのね。あの人たちはセシリアとイライアスを結婚させて、この家をイライアスに継いで欲しいのよ。そのためにはアリシアはもう邪魔なの。で、何の役にも立たない、死んだはずのアリシアを飼い殺しにでもするの? だからあなたは自分本位だというのよ。アリシアはあなたを大切に思っていたから言って欲しくなかったようだけど、生憎わたしは優しくないから言わせてもらうわ。アリシアの最後の希望を奪ったのはセシリア、あなたよ」

「私、が?」


 セシリアは怪訝に繰り返す。残酷な事実だろうと、セシリアにも責任がある。あなたは悪くないと庇われ続けてきたセシリアにも自分の罪を認めさせないと、アリシアが浮かばれない。アリシアは今にも消えてしまいそうになっているのだから。


 満足して眠りについたアリシアは起きる気配を見せない。きっとこのままわたしと入れ替わってもいいと思っているのだろう。


「あなたの部屋の机の引き出しを見て。その中にアリシアの気持ちが書いてあるから。それでもまだここに残れと言えるのか、聞いてみたいわね」


 イライアスから鞄を奪うと、わたしは部屋を出て廊下を進む。


「待ってくれ!」


 背後からイライアスが声をかけてくる。だけど、わたしは振り返ることなく真っ直ぐ前だけを見て、ひたすら進む。愛着も思い出も、全てはアリシアのものであって、わたしのものではない。


 カツカツと硬質な複数の足音が正面から聞こえて顔を上げる。見ると、アリシアの両親がこちらへ向かってきていた。


 強張った表情の父親と、わたしを睨みつける母親。娘を見るような表情ではない。ここでもまたアリシアは、あの人たちの娘ではないと思い知らされる。


 ──それならそれで好都合だ。


 怯むことなく足を進め、二人の間をすり抜けようとした──のだけど、そこで父親がわたしの前に立ちはだかる。


「……お前は何か言うことはないのか」


 お前というのはアリシアだろう。それならば直接本人に聞けばいい。聞くことができるのなら。


「……わたしにはないわ。邪魔よ。どいて」


 気色ばんだ父親が声を上げる前に、母親が前に出てわたしの頬を張る。パシンと乾いた音が響いて、張られた方向に体が傾ぐ。殴られた覚えがないからわからなかったけれど、痛みよりも先に衝撃がくるものなのかと、どこか冷静に分析していた。


 家族であればもっと思うところがあったのかもしれない。だけど、わたしにとってこの人は所詮他人。一方的な暴力に腹立ちは覚えても、悲しみという感情は湧いてこない。


「……親に向かってその口の利き方は何なの。セシリアを突き落としたことだけでも許しがたいというのに、更にセシリアに成り代わって自分の罪を隠蔽しようだなんて……。あなたはどこまで性根が腐っているの!」


 どこまでもこの人は見たいものしか見ないのだろう。そんな人に反論をするだけ無駄だ。それはアリシアの経験からわかっている。気持ちは共有できなくても、知識は共有できるのだから。


「そうね。そんな性根の腐ったわたしは消えてあげるわ。どうせわたしは死んだことになっているのだから、わたしがどこへ行こうと関係ないでしょう?」


 言っても無駄だと思いながらも一応答えてあげる。この時間が本当に無駄。せめてセシリアが両親を足止めしてくれればいいのに。そう思って振り返ると、セシリアは蒼白で立ち竦んでいて今にも倒れそうだった。


 ──なんでまたセシリアが被害者ぶっているの?


 いつもそう。あの子が要領よく演出するから騙された両親はアリシアを攻撃していた。


 わたしの我慢も限界だった。


「……さっさと退きなさいよ。わたしの人生にあなたたちは邪魔。アリシアは死んだの。わかったらもうわたしにつきまとわないで!」


 わたしの言葉にかっと目を見開いた母親がまた振りかぶる。


 ──ああ、違った。この人は母親なんかじゃない。自分がお腹を痛めて産んだ娘も愛せない可哀想な一人の女。


 馬鹿なアリシア。母だ、家族だと思うから、愛されるのが当然に思うのだ。結局は目の前にいるこの人も、母という役割を与えられた一人の女でしかないというのに。


 わたしの視界いっぱいに、ものすごい形相で振りかぶった母親の姿が映る。恐怖はなかった。ただ、どこまでも過ちを正そうともしないこの人を哀れに思う。その手が振り下ろされるその瞬間まで、瞬き一つせずにこの人の挙動を見ているつもりだった。


 だけど、それを制するように悲鳴のような叫びがこだました。


「お母様、もうやめて……!」

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