「彼女」の誕生

 沈んでいた意識が浮上する。暗闇の中から明るい世界へと。


 ──ええ、アリシア。あなたは休んでいるといいわ。が悪いようにはしないから──。


 ◇


 ゆっくりと目を開くと、見覚えはないはずなのに、知識として知っていた景色が視界に入ってきた。たくさんの本が収まった書棚と、ダークブラウンの勉強机。女性の部屋とは思えないほど圧倒的に白と黒の色彩に支配された部屋。アリシアの部屋だ。


 わたしが目を覚ましたことに気づいたセシリアが、ベッドサイドから身を乗り出す。


「アリシア、気がついた? あなた、倒れたのよ? 調子はどう?」


 矢継ぎ早に問われ、わたしは嗤った。


「……何を今更。心配している振りはしなくてもいいわ。目障りだから」

「なっ……!」


 セシリアの顔色が赤く染まる。これは怒りか。自分よりも下だと思っていたはずの姉に辛辣な言葉をかけられたことへの。


 本当にくだらない。アリシアはどうしてこんな人たちに媚びへつらうようなことをしていたのか、理解に苦しむ。


 だけどわたしはアリシアじゃない。アリシアのように我慢はしない。


「まだを痛めつけないと気がすまないの? ほら、そこにいるイライアスと一緒に出て行きなさいよ。あなたは託されたのだから」


 ちらりと少し離れた場所にいるイライアスを一瞥する。そこには少しの熱もこもらない。わたしはイライアスを何とも思っていないのだから。


 セシリアは怒りから一転、怪訝な顔になる。本当に感情豊かな子。そんなセシリアだから両親ともに彼女を可愛がったのだろう。その裏で泣いている人がいることに気づきもしないで。


「託されたって……あなたが託したんでしょう? そのことも気になっていたけど、どうしてあんな嘘を言ったの?」

「そんなことわたしが知るわけないわ」


 わたしは冷たく吐き捨てる。知識として知っていても、わたしはアリシアではないのだから、本人がどんな気持ちでそれを言ったかなんて知るよしもない。


 しばらく傍観していたイライアスが口を開いた。


「君は……アリシア、だよな」


 なのか、ではなく、だよな。尋ねるというよりはそうであって欲しいように聞こえる。イライアスには何となくわかるのかもしれない。アリシアが少しずつ消え始めた頃から一緒にいた彼なら。


 だけどごめんなさい。わたしはあなたの期待を裏切ることに全く罪悪感を感じない。満面の笑みを浮かべて告げた。


「アリシアは消えたわ。わたしは、そうね……アリシアが作り出した、なりたかった自分、ってとこかしら」


 二人は理解できていないようだ。怪訝にわたしを見つめ返している。こんな荒唐無稽な話、突然言われて、はいそうですかと理解できる方がどうかしている。二人は常識人ということだろう。わたしはセシリアに問うた。


「セシリア、アリシアとあなたは同じ顔をしている。じゃあ、あなたとアリシアは同じだと言える?」


 セシリアは戸惑いを滲ませながら首を振る。


「いいえ。だって、私たちは別の人間だもの。体も心も違うのだから違うに決まっているわ」

「それはわたしにも言えること。わたしとアリシアは同じ体だけど、性格が違う。じゃあ、わたしとアリシアは同じ人間だと言える?」


 セシリアの顔色がみるみるうちに青くなる。ようやく事態を把握し始めたというところか。わかりやすいようにアリシアはしないであろう嫌味な笑みを浮かべてやった。


「そうよ。アリシアとわたしは違う人間。あの子は弱いから現実に耐えられずに消えた。その代わりに生まれたのがわたし。よかったわね。死んで欲しかったんでしょう?」


 セシリアは唸るように呟く。


「……嘘。そんなの嘘。私は信じない」

「信じなくてもいいわ。ああ、そうだ。イライアス。あなたも薄々気づいているでしょうけど、あなたの思い出の女性はアリシア。だけど皮肉ね。わかった途端に永遠に失うんだから。まあ、あなたはアリシアでもセシリアでもどちらでもよかったのよね? セシリアと仲良くやってちょうだい」


 わたしはベッドから抜け出すと、勝手知ったるアリシアの部屋のクローゼットを開け放つ。アリシアでない以上、わたしがここにいる意味はない。


 ──馬鹿なアリシア。壊れる前に逃げればよかったのよ。あなたが勝手に自分に制限を付けて、自ら辛い境遇に身を置いてしまった。だから、あなたがしたくてもできなかったことをわたしが叶えてあげる。


 クローゼットの中には旅行鞄。アリシアがいつか家族で旅行するためにと用意したものだ。結局は領地と王都の往復にしか使われなかった。この中にはすでに必要なものが詰められている。わたしはその大きな鞄を手に取った。


 茫然自失だった二人は我に返ったようだ。イライアスは慌てて近寄ってきてわたしの手から鞄を奪う。


「アリシア、どこへ行くつもりなんだ?」

「だからわたしはアリシアではないと言っているでしょう。物分かりの悪い人ね。アリシアでない以上、わたしがここにいる意味はないもの。当然出て行くわよ」

「違う! あなたの体はアリシアだもの! そんな勝手は許さない……!」


 セシリアの言葉に思わず失笑する。殺したいほど憎んでいたくせに、引き止めるのはどうして。まだアリシアをこの腐った家に縛り付けて苦しめないと気がすまないというのだろうか。


「……本当にどこまでも自分本位なのね、あなたは」

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