閑話・恋という名の打算1(イライアス視点)

 ──初めは打算で近づいた。


 出会いは私が十八の時だった。いかにも貴族という質のいい服に貴金属を身につけた女性が、城下を一人で歩いていた。いや、正確には護衛と二人か。これでは襲ってくれと言っているようなものだ。よほど苦労知らずで生きてきたのか。


 だから私は──腹が立った。


 私は伯爵家の次男とはいえ、跡を継ぐことは長男に何かがない限りあり得ない。そうなると自分で身を立てなければならないのだが、どうしても伯爵家の名前が付いて回る。


 自由であって不自由な身分。中途半端な立場にうんざりしていた。


 そして、貴族女性たちにも辟易していた。一時は本気で好きになった女性が、女友達と話しているのを聞いてしまったからだ。


「イライアスは結婚相手としてはちょっと。遊び相手ならいいのだけど。だって、伯爵家の次男とはいっても、財産がそれほどあるわけでもないし、地位も微妙だもの」


 ──所詮、私の評価なんてそんなものだ。


 恋愛感情なんてまやかしだ。その言葉を聞いて、私の心からは潮が引くように彼女から興味や好感が一気に消えてしまったのだから。


 きっと目の前にいる彼女も、あの彼女と同じ人種に違いない。私の心に残酷な気持ちが湧いてきた。


 ──だったら利用して何が悪い?


 助けて恩を売り、何かの役に立ってもらう。そして私は男に絡まれていた彼女に声をかけた。だが、まさかもう一人仲間がいると思わず、私は彼女を庇って殴られた。


 予定外だ。内心腹立ちを抱えながらも、殴られて怪我をした私を手当てする女性を眺めていた。


 真っ青になり、今にも倒れそうだ。きっと血を見るのは初めてなのだろう。それも納得だ。貴族女性が流血沙汰に巻き込まれるような事態は想像できない。目を逸らさずに必死の形相で私の手当てをする彼女に少し心が動いた。だが、それも演技なのではと打ち消す私がいた。


 そうして彼女と話しているうちに、私は気づいた。彼女と話していて不快になることがなかったのだ。こちらに媚を売る様子も見せず、控えめな印象。そして、どこか孤独感を感じさせるように時折見せるぼんやりとした視線。ここにいるのに心ここに在らずといった風情の彼女に、私はいつしか囚われていた。


 自分はどうなってもいいから家だけは許して欲しいと、泣きそうな顔で懇願する彼女の体は震えていた。怖くて仕方ないのだろう。


 ──ああ、彼女もまた家の犠牲になっているのだ。


 彼女に同情し、その細い体を抱きしめたくなった。それは恋というにはあまりにも打算に塗れたものだったのかもしれない。


 そして彼女は言った。


「あなたは自分の人生を選べるんです。それって素敵じゃないですか。それにあなたはあの家には必要ないと言いました。それは次男という立場だけなのではないでしょうか。あなた自身の価値は家格には付随していない。ただそれだけのことです」


 視界が開けたようだった。彼女は暗に、私自身の価値は家とは別にある、あなたはあなたの道を歩めばいい、そこについてくる人はいるから、と言ってくれているのだと私は思った。


 そうだ。私自身が自分で選択肢を狭めていたのだ。他人の価値観に振り回されて、自分自身に価値がないと思っていたが、そうじゃなかった。


 荒んでいた心に一筋の希望の光。彼女のおかげだ。私は彼女に完全に心奪われた。私は彼女にお礼を言いたいのと、自分で自分の価値を見出せるようになったら彼女に会いに行くつもりで、彼女の名前を聞いた。だが、彼女は慌てて走って行ってしまった。


 困った。彼女の正体を知る手がかりは、彼女のハンカチに施された刺繍。あれは確か、ヒースロットの家紋だった。


 そしてヒースロットにこういった娘がいないかと聞き回ったところ、一卵性双生児の娘がいると知り、私は途方に暮れた。外見がそっくりだとしても、二人は別人だ。私はあの日の彼女に会いたいのだから。


 彼女の正体を探りながらも、一方で私は自分の生きる道筋を見つけていった。貴族が働くなんて、と眉を顰められていてずっと足踏みしていたが、彼女の言葉に後押しされ、私は平民の男性と共同で事業を興したのだ。経営の才覚がある彼と、貴族の人脈がある私。お互いが得意な分野と不得意分野を分業し、補うことで、会社の業績は少しずつ上がっていった。


 それにつれて、労働貴族と私を馬鹿にし、蔑んでいた貴族たちの態度も軟化していった。その中には彼女の父親であるヒースロット卿もいた。

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