閑話・変わったのは1(セシリア視点)

 私に抱きついたアリシアは、イライアスをお願いと耳打ちすると、ずるずるとその場に崩れ落ちそうになった。慌てて支えようとしたけれど、体力の落ちていた私では支え切れない。アリシアの隣に座っていたイライアスが立ち上がり、アリシアを後ろから抱きとめた。


 だけど、どうして……。

 私は呆然とイライアスに抱き留められたアリシアを見つめる。眠っていてもその表情は憑き物が落ちたかのように穏やかだった。


 お母様が立ち上がり、私のそばに来て手を握る。


「……まさかアリシアがなりすましていたなんて。恐ろしいわ。だけどあなたが無事でよかった……」


 お父様もこちらへ来ると、私とお母様の肩に手を回し、抱き寄せる。


「本当にお前が無事でよかった。それにしてもアリシアは……。どうしてたった一人の妹を殺そうだなんて恐ろしいことを思いつくんだ」


 苦々しげなお父様の言葉。本当は違うのに、渇いた喉に言葉が張り付いて出てこない。真実を言ったら、今度は私が責められる──!


 はくはくと息をするので精一杯だった。そしてお母様は冷たい声で言い放った。


「ええ、本当に。むしろ、あの子が死ねばよかったのよ」

「おい、言い過ぎだ!」


 お父様が窘めるけど、お母様は更に言い募る。


「だって、あの子がセシリアを海に突き落として殺そうとしたのよ? 責められるべきはあの子でしょう」

「いや、まあ、そうだが……」


 海に落ちる前の私だったら、きっと両親と同じようにアリシアを責めていたと思う。だけど、私は海に落ちて命を救われて、他の人たちと関わっていろいろなことに気づいた。自分がいかに傲慢で、アリシアにひどいことをしたのかも。


 ◇


 私はずっと自分だけが不幸だと思ってきた。生まれ落ちた瞬間から、期待されてきたのはアリシアだったから。


 家を継ぐという生きる目的があって、この家に必要なのはアリシア。じゃあ私は──?


 私もアリシアのように生きる目的が欲しかった。だから、アリシアのようになりたいと思い、アリシアと一緒に勉強しようとしては両親に止められた。「お前は何もしなくてもいい」と。


 甘やかされて、怠惰に過ごすだけの無味乾燥な人生。いつも忙しそうで毎日が充実しているアリシアとは大違いだ。そうしてアリシアと自分を比べるたびに、アリシアへの嫉妬や憎しみは募っていった。


 それに合わせて、アリシアへの嫌がらせも増えていった。あの子には初めから生きる目的があるのだから、両親の愛情くらいは私にくれてもいいでしょう?

 私はあの子が孤立するように、両親にあることないこと吹き込んだ。愛されるのは私だけでいいと。


 そうやって均衡を保っていたのに、それを崩したのはイライアスだった。両親から婚約者の打診をされて会った彼に、私は正直興味を持てなかった。さして興味もなかった彼に興味を持ったのは、初めて会った時から忘れられなかったと告白されたからだ。


 ──会ったのは今が初めてなのに。


 そして話を聞けば聞くほど、それがアリシアだと確信した。だから私はイライアスの話に合わせた──アリシアから奪うために。


 優越感に浸りたかった。私はアリシアに劣ってなどいない。私の方が女としては優れていると。


 そして私たちは婚約した。イライアスを奪われて悔しそうなアリシアを見たかったのに、あの子は平然としていた。それが悔しくて私は躍起になってイライアスに近づいた。


 だけど、イライアスは私を見てくれない。私を通してアリシアを見ているようで、イライアスへの怒りが募っていった。


 その怒りは更にアリシアへの憎しみになり、私はとうとうあの日、アリシアを殺そうとしたのだ。


 結局、私が落ちたのは身から出た錆だった。それでもしばらくはあの子を恨んで過ごした。一時は危篤状態に陥り体力を消耗して、思うように身動きできなかったこともあると思う。考えが変わり始めたのは、お世話になった漁師の家で役割を与えられたからだった。


 料理や洗濯、掃除。貴族の娘として過ごしてきた私はまったくやったことがなくて、失敗ばかりだった。だけど、何度も根気よく教えてくれ、できれば褒めてくれ、私は初めて生きている意味を見出せた気がした。そうだ、私はずっと誰かに期待されたかったのだ。


 甘やかすだけが愛情じゃない。それを漁師一家は教えてくれた。


 そして、私は気づいた。アリシアは一度でも褒められたことがあるのかと。


 できて当然だと常に言われて、遊びたい時でも勉強勉強のアリシア。私はずっと自分の不幸に酔って、アリシアの気持ちなんて考えたことがなかった。その上、私はあの子に散々嫌がらせをして、奪うばかりだった。あまつさえ、命すらも奪おうとしたのだ。


 ──家には帰れない、帰りたくない。


 そうして私は元気になっても漁師の家に居続けた。

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