最後の願い

 セシリアを連れてくるという約束を男性と取り付けると、私はすぐにイライアスへ手紙を出した。用件はもちろん、本物のセシリアが帰ってくるので来て欲しいと、正直に書いた。もうこれ以上取り繕うことはないのだから。


 そして私はこれで終わらせると決心していた。両親の前で私は罪を告白して、セシリアの人生を返す。これが私にできる唯一の償いだろう。刻一刻と自分でいられる時間が減っていく中で、その目的があったからまだ踏ん張ることができたのかもしれない。


 期限は約束の日である三日後まで。その間に、もし自分に何かあっても大丈夫なように、できることをしていた。そうしていると、本当に自分が自殺するかのようで複雑な気分になった。


 消えたくないと泣き叫べばよかったのだろうか。そんなことをしても、聞いてくれる人は誰もいない。自分が惨めになるだけだ。最後まで矜持の高い自分に呆れる。


 これも教育の賜物かもしれない。物心ついた頃から当主に相応しく高潔であれと言われ、育ってきた。国に尽くせ、領民に尽くせ、家に尽くせ──。大義のためには私心は必要ない。


 だけど、それは本当に正しかったのだろうか。自分という柱がしっかりしていないと誰かを助けることなんてできないのではないか。


 私の脳裏にイライアスの姿が浮かぶ。セシリアでもアリシアでもない私には、イライアスにしてあげられることなんて何もなかった。


 恋から始まり、愛に終わる。与えられることばかり求めているうちは、ただの恋に過ぎなかったのかもしれない。だけど、イライアスに近づき、接する中で、私は彼を愛した。だからこそ今、私は彼のためにできることをしたい。


 そんな覚悟でセシリアが帰ってくる日を迎えた──。


 ◇


 応接室のソファには、両親とイライアスがすでに着席している。両親が並び、向かいにイライアス。私は悩んだ結果、イライアスの隣に座った。そしてこの後、セシリアが入ってくる手筈になっている。


 突然私に話があると呼ばれた両親は、困惑の表情を隠せない。一方で、イライアスの表情からは、私は彼の考えが読み取れなかった。もっと嬉しそうな顔をしてもいいのに、どこか浮かないように見えるのだ。それでいて、私に何かを言いたそうに口を開いては、やっぱり何でもないと口を閉じる。


 だけど、それもセシリアが入ってくるまでだった。


 メイドが「お連れしました」と扉を開き、入ってきた人物に、みんな声を失った。当然だろう。私と瓜二つの金髪に青い瞳。一時は危なかったせいか、面やつれし、細身の体は更に細くなって、桃色のワンピースから覗く手足が哀れを誘う。


 私は笑顔で告げた。


「お帰りなさい、──」


 両親とイライアスは目を瞠る。だけど何故イライアスが? 彼は本物のセシリアが帰ってくると知っているのに。


 セシリアは沈痛な表情で俯いた。この子の気持ちも私にはわからない。子どもの頃は分かり合えていたのに、いつからこうなってしまったのだろう。寂寥感に苛まれる。


 驚愕から立ち直ったお父様が前のめりになって、私を問い詰める。


「どういうことだ、セシリア!」


 本物のセシリアが戸惑ったように、私とお父様の間で交互に視線を彷徨わせた。


 ──ごめんなさい、セシリア。今、あなたに返すから。


 私は不敵に笑う。


「……私はアリシアで、こっちが本物のセシリアです」

「な……」


 お父様は言葉を失ってしまった。お母様も青い顔でセシリアを凝視している。イライアスは顔を顰め、首を振っていた。三者三様の反応に怯みそうになる自分を叱咤して、私は続けた。


「私は──セシリアを殺そうとしました」


 今度はセシリアが目を見開く。それでもまだ私の告白は終わらない。


「……その自分の罪から逃げたくて、私はセシリアの振りをしました。だけど、やっぱり偽者は偽者。本物には敵いません。私はもう、セシリアではいられません」


 アリシアに戻るとは言えなかった。きっと、私はどちらにもなれない。


 お母様が震える声で私を責める。


「アリシア……。あなた、なんてことを。たった一人の妹でしょう?」


 ──そうね。たった一人の妹。だけど、私たちが憎み合うように仕向けたのは一体誰?


 だけど、今更そんなことを言ってどうなる。セシリアが帰ってきた、それでもう充分だ。


「セシリア、ちょっとこっちに来てくれる?」

「え……アリシア?」


 セシリアは戸惑ったように私の名前を呼ぶ。こんな時なのに私はつい笑顔になる。セシリアは私が姉であっても、いつも私を名前で呼んでいた。


「お願い。こっちに来て」


 再度呼ぶと、セシリアは恐る恐る私に近づいてくる。私が仕返しすると思っているのだろう。


 私はもう、恨んだり憎んだりすることに疲れていた。ただ、もう静かに休みたい、それだけだった。


 手が届く距離までセシリアが近づいてくると、私は立ち上がり、セシリアの手を掴んで引き寄せると抱きしめた。


 お父様の怒号が響く。


「っ、アリシア! お前はどこまで腐っているんだ……! まだセシリアを傷つけるつもりか!」


 そんなつもりは毛頭ない。ただ、私は最後に託したかっただけだ。セシリアの耳元に口を寄せて囁く。


「……あなたに、全て返すわ。奪ってしまってごめんなさい。イライアスを、お願いね──」


 張り詰めていた糸がプツンと切れた。私は満足してセシリアに抱きついたまま、意識を失った──。

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