生きていた「本物の」セシリア

 聞き終わった後、イライアスはしばらく無言だった。その静寂がより私を責めているようで逃げ出したくなる。だけど、そんなことは許されない。断罪覚悟で私はその時を待った。やがて、はあ、と重いため息がイライアスから漏れて、私は俯いてきつく目を瞑った。


「……すまない。混乱してどう言っていいのかわからない。今日のところは帰るよ……」


 イライアスが立ち上がる気配がして、私は弾かれたようにイライアスを見上げた。刹那、視線が絡んだけれど、イライアスに目を逸らされてしまった。


 ──こうなるとわかっていたじゃないの。


 じくじくと胸が痛む。それでも私は気にしていないように笑った。笑うしかなかった。


「はい。お気をつけて──」


 言葉とは裏腹に手を伸ばしかけて、力なく落ちた。一体私は引き止めてどうしようというのだろうか。


 遠ざかっていく背中を眺める。これが最後かもしれないと、イライアスの姿を目に焼き付ける。


 せめて最後に罵倒でもされた方がよかった。それくらい憎まれれば私はイライアスの心に棲んでいられるから──。


 それに、中途半端な優しさは残酷だ。あわよくばと期待してしまう醜い私が顔を出す。


 イライアスの優しいところが好きだ。だけど、それが同時に憎い──。


 カツカツと廊下を遠ざかっていく硬質な靴音だけが静寂の中で響いていた。


 ◇


 イライアスは案の定来なくなった。当然だ。誰が好き好んで偽者の婚約者に会いたいと思うものか。


 そして、私のひび割れた心は更に亀裂が大きくなった。イライアスを失ったことで、それまで踏み止まっていた心の支えが無くなったからだろう。


 錯覚だったとしても、一度手に入れて失うと、余計に辛いのだと初めて知った。いつのまにか私は初めから手に入るはずがないと諦める癖がついていた。手に入らないのだから、失うこともない。そうすれば私は傷つかなくて済むと、無意識にわかっていたのかもしれない。


 今にも消えそうな自分を持て余していた。いっそ消えてしまえば楽になれるのに、私の理性がそれを許してくれない。


 途切れ途切れになる意識をかろうじて保っていた私に、イライアスと最後に会って一月後のある日、客人が訪ねてきた。


 ◇


「へえ、ここが……さすがにでかいな」


 浅黒い肌に、日に焼けて金色がかった茶髪。黒い瞳はきょろきょろと忙しない。歳の頃は四十くらいだろうか。漁師というだけあって逞しい男性が感嘆したように漏らす。


 ここはヒースロット邸の応接室で、見慣れた私からすると、そんなことはどうでもよかった。それよりも早く本題に入って欲しいと私は焦燥を滲ませながら彼を促す。


「……それで、あなたがセシリアを見つけてくださったのですか?」


 そう。彼がヒースロットを訪ねて来たのは、セシリアのことで話したいことがあるからだった。


 平民である彼が突然訪ねて来たところで追い返されるのは目に見えている。そこで彼はセシリアから預かったとセシリアの私物を門番に見せたのだ。そして、屋敷にいた私に秘密裏に門番から話が来た。


 門番が両親に言わなかったのは、私がセシリアの振りをしていることを知っていたからだ。事が大きくなる前にと、先に私に話してくれた。


 話を聞いた時にこうなる運命だったのだと悟った。結局罪からは逃れられないということだ。


 男性ははっと視線を私に移すと、頷いた。


「ああ、はい。あの嵐の日、無茶だと思いながらも船を出していたんです。視界は悪いわ、時化はひどいわでえらい目に遭った……って関係ないな。で、ええと、何かが落ちてくるのに気づいてそこに向かったら、女の人が沈んでいくから、慌てて引き上げたんです」

「……セシリアは、無事なのですか?」


 それが一番知りたかった。祈るような気持ちで尋ねる。すると彼は笑顔で頷いた。


「ええ。一時は危なかったんですが、うちの女房がつきっきりで看病してだいぶ良くなりました。だからこんなに連絡が遅くなってしまったんですが」

「そう、なのですね……よかった」


 あの子を殺そうとした事実は残るけど、あの子は生きている。人殺しにならずに済んだという浅ましい気持ちと、イライアスにセシリアを返してあげられることでほっとしていた。これで私に心残りはない。そう考えて、まるで自分が自殺するみたいだと気づいた。両親に私は自殺なんてしないと腹を立てたくせに、これでは両親を怒ることなんてできない。


 ──偽者はもういらない。


 私はもう用済みだ。本物のセシリアが帰ってくる。仮初めに私がセシリアから奪ってしまったものを返す時が来たのだ。


「……あの子を、セシリアを連れてきていただけますか?」

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