あの日の真実

 上半身を起こそうとすると、イライアスが私の背中に手を回して支えてくれた。そのままベッドヘッドにもたれかかる。


 着ているドレスは普段用に誂えた薄紫色の薄い生地。それなのにずっしりと重く感じるのは、それだけ私の体力が削られている証拠。


「……全て話すと決めたものの、何から話せばいいのか悩みますね」


 笑うつもりだった。だけど、それだけを言うとうまく空気を取り込めず私は咳き込んだ。胸を押さえて前屈みになる私の背をイライアスはさすってくれる。


 しばらくして私の息が整いつつあるのを確認したイライアスは、サイドテーブルにあるグラスに水を入れて私に飲ませてくれた。


「大丈夫なのか? 今は無理して話さなくても……」

「いえ。今でないと駄目なんです。そうでなければ折角の勇気が消えてしまうから」


 ぎゅっとシーツを握りしめる。意を決してイライアスと視線を合わせた。近い距離にいる彼の瞳には私の姿が映っている。それが悲劇の始まりだった。


「……以前、あなたは仰いましたね。あなたは本当にセシリアなのか、と」


 唐突な問いにイライアスは面食らったようで、どもりながら答える。


「あ、ああ。だが、それが何か?」

「……私は、セシリアでは、ありません」


 言葉を噛みしめるように区切りながら話す。これで逃げ場はないのだと自分に言い聞かせるためだ。そして、言葉に出すと同時に私の心に重くのしかかっていたものがいくらか減ったような気がする。誰にも言えない秘密というのは存外しんどいものだったようだ。


 だけど、イライアスは軽く目を見開いただけで慌てた様子を見せなかった。


「……もしかしたら、と思うことはあったよ。たまに違和感を感じたから」

「それなら何故、私を問い詰めなかったのです?」


 自分の婚約者になりすました女だ。何を企んでいるのかと怪しむのが普通ではないのだろうか。


 イライアスは考えるように視線を上へ向けた。


「……そのうちに話してくれるだろうと思ったし、君がたまに苦しそうな表情をしていたから、かな。じゃあ、君はアリシアなんだな」


 問われて言葉に詰まった。今の私は果たしてアリシアと言えるのか。考えた末に私は頷くことしかできなかった。


「……亡くなったのはセシリアなのか」


 イライアスは沈んだ声で一言だけ言った。その一言にどれだけの思いが込められているのかを考えると、自分がどれほど罪深い人間なのかを思い知らされる。私は深々とイライアスに頭を下げた。


「本当に……申し訳ありません」

「何故君が謝る? セシリアになりすましたからか? そのことなら謝らなくてもいい」

「……違います。あの子が死んだのは私のせいです。私があの子を──殺したんです」


 自分でも罪の重さはわかっていたつもりだった。だけど、口にすると生々しくてその事実から目を逸らしたくなる。


 イライアスは息を呑み、目を見開いたかと思うと、顔を歪めた。その表情には嫌悪と侮蔑が混じっているような気がして、見ていられなくてつい俯いた。


「……あの日、あの子が海に落ちた日ですが、あの子が話をするために私の部屋に来たんです」


 話しながら私はその時のことを思い出す。もう眠る準備をしようと思っていた時だった。ノックの音がして訝しんだことを覚えている。


 私の部屋は海にほど近く、入口寄りの両親やセシリアの部屋からは遠い。しかも、ただでさえ私の部屋を訪れるのは家庭教師くらいのものだった。そんな夜更けに誰が訪れるというのかと思いながら、私は扉を開いた──。


 そして、私の部屋に来たセシリアは歪な笑みを浮かべてイライアスの話を始めた。自分がいかにイライアスに大切にされているかという自慢だったように思う。話を聞くことに倦んだ私は、適当に流してセシリアを追い返すつもりだった。


「話といっても、私が一方的に聞いていただけです。話し終わって満足したらあの子は帰るだろうと、適当に流しながら聞いていました。それがよくなかったのでしょう」


 だけど、そんな私の態度に苛立ったセシリアは何を思ったのか、突然窓辺へと向かい、窓を開け放った。その日は折しも吹き荒ぶ海風と、視界が見えないほどの酷い雨だった。窓辺にはみるみるうちに水たまりができていた。


「怒ったあの子はあの嵐の中、窓を全開にして部屋を水浸しにしました。それが嫌がらせだったのか、それとも別の意図があったのかは、私にはわかりません。ただ、その水たまりで足を滑らせては危ないからと、セシリアに声をかけました」


 セシリアの部屋の床には毛足の長い絨毯が敷かれているけれど、私の部屋にはなかった。剥き出しの大理石は濡れたせいでより滑りやすくなっているのがわかり、私は危ないから窓を閉めてこっちに来てとセシリアに声をかけた。


 だけど、あの子は風雨に晒されながらも笑っていた。張り付いた髪を払うこともなく、ただただそこに立っていたあの子に、私は薄ら寒いものを感じた。


「だけど、あの子は動かなかった。だから私は窓辺に近づいてあの子の手を引っ張った」


 ──いいからこっちに来て。


 引っ張っても、セシリアは動じなかった。むしろ反対に、強い力で私は引き摺られた。そして──あの子は私を窓から突き落とそうとしたのだ。


 ──どうしてアリシアばかりがいい思いをするの。私が手に入れるはずだったものを易々と奪っていくの。返して。お願いだから返してよ……!


 悲痛な声で叫ぶあの子の声は、荒れ狂う波や叩きつける雨音にかき消されそうになりながらも、私の耳に届いた。


 私はそれが許せなかった。


 両親の愛情を奪い、イライアスという最後の希望を奪い、それでも足りないと私の命まで奪おうとするあの子の強欲さが許せなかった。


 ──っ、私が何を奪ったっていうの! 私から奪っていったのはあなたでしょう! お願いだから、これ以上私から奪わないで……!


 そして、私たちは揉み合いになり、私は弾みであの子を突き飛ばした。その先には荒れ狂う海があると気づいていたのに──。


 あの子の体が傾いで上半身が窓から乗り出したとき、私は一瞬、手を伸ばすことが遅れた。その一瞬のうちにあの子さえいなければと欠片でも思ってしまったのだ。殺意があった時点で、あれは事故ではなく殺人になってしまった。私は本当になんてことをしてしまったのだろうか──。


 だけど、セシリアが私を殺そうとしたことはイライアスには黙っておくことにした。彼の愛したセシリアには、綺麗な思い出のままでいて欲しかった。


「そして私たちは揉み合いになって、私はセシリアを窓から突き飛ばした。これが全てです」

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