体調の異変
異変は少しずつ起こり始めた。
イライアスとのやりとりの後、何故か私は疲れやすくなった。悪夢を見た日もそうでない日も、眠った気がしない。そのせいか、昼間でもやたら眠くて居眠りをしてしまう。
今はセシリアとして過ごしているため、当主教育を受けていない。空いた時間は両親やイライアスに誘われることが多いのだけど、彼らと過ごす時間が増えれば増えるほど、自分の意識が途切れるのだ。
──私は一体どうしたのだろう。
ただ単に眠っているだけならまだいい。だけど、私の意識がない間にも、私は何かをしているようで、両親に私の記憶にないことを言われた。
私の中にまるで別の誰かがいるような──。
考えて、ぞくりと背筋が寒くなった。そんなわけがないと打ち消しても、私の中の疑惑は膨らんでいくばかり。そして、その疑惑は決定的になった。
◇
「セシリア。何故今日は敬語なんだ?」
もう夏も終わりに差し掛かったある日、自室でイライアスにそう問われて私は困惑していた。それは私が聞きたい。いつの間にイライアスはこんなに砕けた話し方をするようになったのだろうかと。
「いえ、特に理由があるわけではないのですが……」
「だったら敬語はなしにしよう。君が先に敬語はやめようと言ったんじゃないか」
──それはいつ?
自分の知らないうちに、自分が自分でなくなっていくことが怖い。あれだけセシリアになりたいと思っていたのに、いざ自覚のないまま自分が消えそうになってそれが怖いなんて、矛盾している。だけど理屈じゃない恐怖が私を襲う。
今の私は夢か幻なのだろうか。それともセシリアが海に落ちたのが夢で、私はその夢の延長にいるのだろうか──。
そう考えて血の気が引いた。今が夢だとしたら、じゃあどこまでが現実だった──?
わからない、いや、たすけて、こわい……!
酷い眩暈と耳鳴りに、私の頭が傾いだ。寒気がして、歯の根が合わない。そして背中を流れ落ちる冷たい汗。焦ってセシリアを呼ぶイライアスの声も遠くなり、やがて聞こえなくなった──。
◇
「……う、ん……」
身動ぎをしたけど、手を掴まれていて、あまり動けない。ゆっくりと目を開くと、一番に心配そうにこちらを覗き込むイライアスの顔が目に入った。そして背後に見慣れた天井がある。どうやら私は自分のベッドに横たわっているようだ。
はっとイライアスは目をみはると、私に問いかける。
「……よかった。急に倒れるから驚いたよ」
「あ……申し訳ありません……」
自分の声ではないようなひび割れた声が出た。そう考えておかしくなった。そもそも私が私をわかっていないというのに。
自分の個性、自分が自分である証明。そんなものはどこにもない。私が自分ではっきりと言えないのだから、証明しようもない。
私はずっと他人に自分が自分である意味を求めてきた。他人に決めてもらうことで自分を保っていたのだ。
長女、次期当主、アリシアであること。その役割を演じることで自分が自分であると認識していた。それは自分の価値を他人に委ねることしかできない主体性のない人間だったから。
だから私は揺らぐのだろう。だけど気づいたからといってもう遅いのだ。私は既にアリシアという役割を捨てたのだから──。
「セシリア?」
今はその名前が胸に重くのしかかる。私はまた、セシリアという役割を演じて、主体性のない私になるのだ。
あの子の命はそんなに軽いものだったのか。そんなわけがない。あの子の命が重いものだからこそ、私はこんなに苦しいのだ。
──やっぱりこのままではいけない。
私が消えてしまう前に、真実を話さなければ。一時は覚悟を決めていたものの、私はずっと足踏みしてしまっていた。こうして追い詰められなければ私はきっと逃げ続けていただろう。
もうすぐ終わるかもしれないというのに、私の心は凪いでいた。イライアスに嫌われ、軽蔑され、憎まれることが怖かった。だけど、それ以上に怖いのは、私が消えてしまって私の罪と本当のセシリアが消えてしまうことだ。
私はセシリアに嫉妬していたし、憎んでさえいた。それでもやっぱり、あの子を消してしまいたくはないと思ってしまった。
好きの反対は嫌い。そんな単純な問題じゃない。人の心なんて一言では片付けられないくらいに複雑だ。私の中にもセシリアを憎く思う気持ちと、まだあの子を思う気持ちが残っている。だから、消えていく私の代わりに、イライアスには本当のあの子と、私の罪を覚えていて欲しかった。
「……すべて、お話します。私の話を聞いていただけますか──?」
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