覚悟を決める時
既視感を感じて、つい顔が綻んだ。
「初めてお会いした時も、こうして私の涙を拭ってくださいましたね。あの時、私もあなたの言葉に救われたんです。自分が怠けているような引け目を感じて、城下を散策していても楽しめなくて……。でも、あなたが休んでもいいのだと言ってくださったから。休んだ分また頑張ろうって元気が出ました」
するとイライアスは怪訝な顔になる。
「……そのことははっきり覚えていないと言っていませんでしたか? 襲われそうになって怖かったからと……」
浮かれた気分は一気に現実に引き戻された。
──そうだった。話を合わせなければ。
「そう、でしたね。きっかけがあったからはっきり思い出せたんだと思います。怖くはあったけど、あなたとの大切な出会いですから」
言い訳がましい自分。まるで詐欺師のようだ。嘘の中に真実を織り交ぜて、相手を信じさせる手法。私は一体どこまで堕ちていくのだろうか。演じれば演じるほど、真実を告げているのに、その真実すら歪められていくようで、更に自分を嫌いになる。
私は思い切り、爪が食い込んで痛みを感じるほどに拳を握りしめた。これは戒め。調子に乗ってセシリアの領分を超えようとした私への。
イライアスは厳しい表情を崩さない。まだ私を疑っているのが目に見えてわかる。見ていられなくて私は視線を逸らした。
「……セシリア。一体何を隠しているのですか?」
思わず息を呑んだ。あれで気づかれない方がおかしいとはわかっている。だけど、問い詰められて私はうまく誤魔化す自信がなかった。お願いだから、流して欲しい。そんな私の願いも虚しくイライアスの口からそんな問いが出てきた。
──話して楽になりたい。だけど憎まれたくない。
相反する思いが交互に押し寄せる。どこまでも保身に固執する自分の醜さが気持ち悪い。どうしようどうしようと、焦燥感が増していくにつれ、言葉は浮かぶ端から消えていく。その沈黙をどう捉えたのか、イライアスはため息を吐いた。びくりと私の体が震える。
「私は信用してもらえないのですね……まあ、当たり前か。婚約して二ヶ月程度で私の人となりなんてわかりはしないか」
自嘲するような呟きが聞こえ、私は弾かれたようにイライアスの目を見る。悲しそうな色を湛える鳶色の瞳。私は慌てて首を振った。
「違います! そうではなくて……!」
「気を遣わなくてもいいですよ」
「本当に違うんです!」
強い口調で言い切って、私は肩で息をする。思った以上に興奮して呼吸を忘れそうになった。イライアスはおずおずと手を伸ばし、私の背中を撫でてくれる。慰撫するような優しい手。この手を失いたくなかったから言えなかった。だけど、自分の気持ちを優先させてイライアスを傷つける方が辛い。
考えた末に私は観念した。
「……あなたに話したいことがあります。ですが、少し時間をいただけませんか? 今の私にはうまく説明することができなくて……」
「ええ、待ちます。話させるように仕向けたようで申し訳ない。ただ、あなたが今にもどこかに行ってしまいそうで不安なんです」
イライアスは真剣な表情でそう訴える。
だけど、彼の言うあなたというのは誰のことなのだろうか。セシリア自身なのか、セシリアを演じている私なのか。いずれにせよ、真実が明るみになれば彼はどちらも失ってしまうだろう。私は真実を話すことでもまた、彼に残酷なことをしてしまうのだ。私はどこまで罪深い人間なのだろうか。
だけど、そんなことはおくびにも出さない。私は意識して口角を上げる。
「私はどこにも行きませんよ。どこに行けると言うのです?」
「いや、はっきりとどこへというわけではないのですが、今にも儚くなってしまいそうな危うさを感じるというか……」
アリシアが亡くなったばかりだからか、イライアスは言葉を選んで歯切れ悪く答える。
付き合いの浅いイライアスの方が、実の両親よりも私をよく見ているのが皮肉だ。自分が少しずつわからなくなる中で、イライアスが最後の希望だった。それもじきに終わる──。
「……心配してくださってありがとうございます。本当にあなたに会えてよかった」
「……セシリア?」
「あなたに感謝しているのは嘘ではありません。あなたの言葉がずっと私を支えてくれていた。あなたが本当に好き……」
でした、と続けようとして、イライアスに強い力でかき抱かれた。突然のことに私は驚いて言葉を失う。彼から香る柑橘系のフレグランスが私の鼻腔をくすぐった。ここまで近づかないと気づかなかった彼の香り。これも最後かもしれないと思って、目を瞑って堪能する。
「……突然、どうしたんですか?」
「わからない。わからないが……捕まえていないと居なくなるのではないかと不安になって。失礼なことをして申し訳ない」
そう言いながらも、イライアスは私を離そうとしない。
──手を伸ばしても、いいだろうか。
いつも振り払われるのが怖くて、手を伸ばすことができなかった。愛されるのはいつもセシリアで、アリシアはずっとおまけ。そんな私が愛されるわけはないとずっと諦めていた。
だけど、私もずっと愛されたかった。おまけではない私自身を。
今だけは私が愛されているのだと錯覚したかった。私もイライアスの背に恐る恐る手を伸ばす。手を伸ばしたらたまらない気持ちになって強い力でしがみついた。
「……本当に、ありがとうございます。ですが、きっと私の秘密を知ればあなたの私を見る目は変わってしまうでしょう。それが私には怖い。今だけはこうすることを赦してください──」
幸せを味わいながらも終わりの足音が少しずつ近づいてくるのを、どこか諦観の気持ちで感じていた。
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