染み込んでいく毒と幸せな夢
お父様は慌ててお母様を止める。
「おい! あれは事故で……!」
「あなたはそう思いたいのでしょうけど、わたくしはアリシアは自殺したのだと思っています。あの子はきっと責任に押しつぶされたのです」
──聞いていられない!
どうしてあなたが私のことを決めつけるの? 私の何を知っているというの……!
今までの思い出が頭の中を駆け巡る。お母様がこれまでに私を気にかけたことはあっただろうか。そんなお母様が知ったような口を利くことが許せなくて、怒りに目の前が真っ赤に染まった。
私は自殺なんてしない。逃げたいと思ったことは何度もあるけれど、いつかは家族に自分の存在や努力を認めさせるという一心で生きてきた。自殺という手段を選んでしまえば、そんな私の努力は無駄になってしまう。私のプライドにかけてそんなことはしない……!
そして、押しとどめていた感情が押し出され、言葉になって零れ落ちる。
「違います……!」
「セシリア? どうしたんだ?」
怪訝なお父様の声に、昂っていた感情は一気に冷めた。途端に押し寄せる自己嫌悪。今の瞬間に、私は自分のプライドと、自分の罪を隠すことを天秤にかけて、自分の罪を隠すことに傾いてしまった。プライドのない今の私は、ただの抜け殻だ。そんな私が何を言えるというのだろう。
「何でも、ありません」
答えた言葉も空虚だ。私は虚ろな視線をお母様に向けた。だけど、お母様は私の様子に頓着することなく話を続ける。
「わたくしたちがあの子に何でも押し付けたのが悪かったのでしょう。後悔したところで全てが元どおりになるわけではないけれど……だからこそ、セシリア。あなたには幸せになって欲しいのよ」
私に向けられる慈愛に満ちたお母様の眼差し。だけど、お母様は私を見ているわけじゃない。私を通してセシリアを見ているだけ。
自分にかけられているだろう言葉を、私は他人事のように受け止めた。
「ありがとうございます」
他人事のように受け止めた言葉に返す言葉も所詮は他人事。意識もせずに反射的に返す感謝の言葉に何の意味があるのだろう。
私は考えることを放棄した。そうすれば心が動かずに済む。両親のセシリアへの愛情を含んだ言葉の棘に気づかなくても済むのだ。だけど、その棘には多分にアリシアへの毒が含まれていて、じわりじわりと私を蝕んでいく。
「……ああ、そうだな。あの子の分までセシリアには幸せになってもらわなければ。イライアス君に結婚を急ぐ話をしてみようと思う」
「ええ、それがいいわ。セシリアの幸せがわたくしたちの幸せ。初恋の相手と結ばれるなんて、セシリアが羨ましいわ」
「ああ、イライアス君がそう言っていたな。まさか、昔城下で二人が会っていたとは。本人も運命的なものを感じたと言っていたし、恋愛結婚をする貴族というのも珍しい」
「さすがはわたくしたちの娘だわ。あの頃、わたくしたちが必死でセシリアの婿候補を探していたというのに、本人がちゃっかりと見つけてくるんですもの。幸せを掴み取る能力というものがあれば、あなたには充分に備わっているわね、セシリア」
両親の言葉を右から左に受け流しながら、目の前に置かれたスープに機械的にスプーンを運ぶ。いつのまにか冷めきってしまったスープを頑張って飲み下す。味なんてまったく感じない。だけど、そんなことを微塵も感じさせないように、私はただただ機械的にスープを減らすことに腐心する。
早く独りになりたかった。
◇
ようやく両親から解放されて私はセシリアのベッドに寝転んだ。食べたばかりでよくないとは思うけれど、横になりたかった。起きて何かをする気力は、両親に根こそぎ失われたのだ。
こうして独りになると、考えたくないと思っていたことが何度も
私が楽な方に逃げて自殺したと思い込んでいる両親に、それを違うとも言えず口をつぐんだプライドのない自分。二人だけの大切な思い出を両親に話したイライアスに、嘘をついたセシリア。
考えれば考えるほどにいろいろなものに対する怒りと憎悪が湧き上がってきそうで、私は自分の気持ちから目を逸らしたかった。こんなに汚い感情なんて見たくない。
目を瞑ると瞼の裏に浮かぶのは、あの日の海とセシリアの姿。
──これ以上私から奪わないで。
私の口から溢れた本音は、セシリアの言葉でもあったのかもしれない。私たちは元は一つだったのに、二人として生まれたことが悲劇だった。だから私たちはいろいろなものを奪い合うことしかできなかった。
お互いに今現在自分が持っているものに満足できず、相手が違うものを持っていることが妬ましくて許せなくて。
──セシリア、ごめんなさい。またあなたと一つになれたら……。
そうすれば全て解決するのかもしれない。セシリアと私の思い出や持っているものを共有して、もう一度……。
そんなことを考えたからか、その晩は悪夢を見なかった。その代わりに見たのは、幸せな夢。子どもの私とセシリアが喧嘩をして仲直りをし、やがて、私たちは溶け合って一つになる、そんな幸せな夢を見たのだった。
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