優しさのような棘

 ──懐かしい夢を見た。


 いつものような目覚めではない、穏やかな目覚め。だけど私の目元は濡れていて肌がヒリヒリする。眠りながら泣いていたらしい。器用なことだ。


 鼓動は落ち着いているのに、気分は晴れない。それもそうだろう。初恋はねじ曲がった形で成就してしまったのだから。


 一目惚れなんて生易しいものじゃない。家族とうまくいかなかった時は、イライアスの言葉に励まされていた。そうして繰り返し彼を思い出すうちに生まれて、膨らんでいった恋心。もしかしたら思い出を美化しているだけなのかもしれないけれど、その思い出に支えられて十七歳になった今まで生きてきたのだ。それなのに──。


 ため息を吐くとベッドから抜け出した。カーテンを開けると、朝だというのに曇天の空が広がっている。あの嵐の日を思い起こさせるような薄暗い空。お前は許されないのだと、空までもが私を罰しているようだ。


 いつものように鏡に向かって呟く。


「……セシリア。これがあなたの私への復讐なのね。だけど私もあなたを許せない」


 私はあの日まで、あの子が私に恨みを募らせていることに気づけなかった。もっとあの子と話をするべきだったのかもしれない。だからといって、あの子がやったことが正当化されるとも思ってはいない。ただ私は知りたかった。どうしてあの子がそこまで思い詰めたのかを。


「……どうして。私はあなたを殺したくなんてなかったのにっ……!」


 ずっとあの子が羨ましかった。いつも心配されて、欲しいものは与えてもらえる。見かけがそっくりだから余計に納得いかなかった。


 嫉妬の気持ちはいつしか憎しみに変わった。なんでも手に入れてきたあの子だけど、私にしか手に入らないものだってある。私は自分にしか手に入らなかったものを見てほくそ笑んでいた。あの子には手に入れられないだろうと。我ながら歪んでいる。


 だからイライアスも、思い出を共有する私じゃなくセシリアを選んだのかもしれない。


 イライアスに告白した後、イライアスは言った。


「あなたは自由に選べるのだと言ってくれたから、今の事業に挑戦しようと思ったんです。成功するも失敗するも自分次第。自分が責任を持って選んだからこそ、私は成功できたのだと思います」


 違う。私はそんな大層な考えから口にしたわけじゃない。ただ、セシリアと同じ立場のイライアスが羨ましくて、彼にセシリアを重ねて出た言葉だというだけ。


 私はイライアスが好きだと思っていた。だけど、こうしてセシリアとしてイライアスと話してみて、その思いは本物だったのかと疑いそうになっている。


 ──この気持ちが依存ではないと言えるの? セシリアに渡したくないと思ったから、彼を奪ってやりたかっただけじゃないの?


 自分の気持ちなのに判然としない。私はどうすればいいのか、どうしたいのか。


 わからない気持ちをはっきりさせるために、歪めてしまったものを元に戻したい。だけどそれにはセシリアの存在が必要。そう考えた自分に吐き気がした。どこまで私は自分本位なのだろうか。


「……本当にこのまま結婚していいの?」


 鏡に向かって問いかける。返事なんて返ってこないとわかっていた。答えは自分の心にしかないのだから。だけど、その自分すらもわからなくなりそうで、私はただ鏡を見つめていた──。


 ◇


 食堂に行くと、すでに両親が着席していた。それほど待たせていなかったようで、スープからは湯気が立っている。私も急いで席に着いた。


「おはようございます」

「ああ、おはよう、セシリア。昨日よりも顔色がいい。イライアス君と会って気が晴れたんだな。よかったよかった」


 嬉しそうなお父様。その隣でお母様も笑顔で相槌を打つ。


「ええ、本当に。やっぱりセシリアにとって彼は特別なのね。それなら結婚も急いだ方がいいのではなくて?」

「いや、それは……。アリシアのことがあったばかりだろう? 時間を置いた方が……」


 お父様は世間体を重んじたようだ。弔事があったばかりだというのに、慶事を行うのは流石に外聞が良くない。それも、後継ぎを喪ったばかりだ。


 だけど、お母様は顔を顰めて首を左右に振る。


「いえ、こういう時だからセシリアが心配なのよ。支え合う相手がいればこの子だって悲しみから立ち直りやすいでしょう?」

「いや、しかし……」

「あなた。わたくしたちは確かに遺族よ。だけど、それならいつまで悲しんでいればいいの? わたくしたちはずっと悲しみに浸っていなければいけないの? そんなのおかしいでしょう。わたくしたちはこれからも生きていかなければならないの。アリシアは可哀想だとは思うわ。だけど、いつまでも亡くなった人のことばかり思っていては前に進めないでしょう」


 ──聞きたくない!


 私はずっと自分の死を悼んで欲しいわけじゃない。だけど、一週間くらいでお母様は前を向いて生きていくために、私を忘れるつもりなのだ。私の存在はそのくらい軽い存在だったのだろうか。


 お父様やセシリアを思いやる言葉。なのに、私の心にはグサグサと棘のように刺さった。


 お願いだからお母様を止めて。そんな気持ちを込めてお父様を見ると、お父様も渋面で頷いた。


「……そうだな。この子まで失いたくない。おおやけな式はしないにしても、結婚を早めることはいいかもしれない」


 ──お父様まで何を言っているの?


 お父様までもアリシアの存在が軽かったのかと、私は言葉を失ってしまった。そしてお母様は悲しそうに言った。


「……アリシアが自殺なんてしなければよかったのよ」

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