二人の思い出2(回想)
その頃の私には"家"が絶対だった。それも教育の賜物だったのだろう。疑問を持たず、植えつけられた価値観に従うだけ。だから咄嗟にその言葉が出てきたのだ。
そして彼──イライアスは眉を顰めた。
「何故そんなことをしなければならないのです?」
何故? それは私が聞きたかった。何故あなたは怒らないのかと。
このグラスフィール王国は王政で、王に忠誠を誓いその手足として働く貴族が連なっている。私の家であるヒースロット子爵家もそうだが、イライアスのファレル伯爵家もそうだ。
そして、その貴族の中でも序列がある。まずは王家に連なる方々が与えられる公爵位。次に血縁ではないけど、国に多大な貢献をした方々に与えられる侯爵位。そして、国境を守る要職となる辺境伯位ときて、伯爵位となる。その下が子爵位、男爵位、準男爵位と続く。
つまり、私はイライアスよりも家格が下ということだ。そんな私がイライアスに無礼を働いた。大袈裟ではなく、これは私とイライアス個人の問題ではなく、家同士の問題になってくる。そうした上下関係をきっちりしないとその家が舐められるから、イライアスは怒るべきなのだ。家が大事なら。
「……私はあなたの顔に泥を塗ったようなものです。ですから怒られても仕方ありません」
「それは私にも非がありますから。あの状況で声をかけたら余計に怖がるということを失念していました。本当に申し訳ない」
真摯に深々と頭を下げる彼に、私は余計にいたたまれない気持ちになる。
「謝るのは私の方です! 本当に申し訳ありません……!」
「いや、こちらも悪いのだから……」
「いえ、私が!」
ここは譲れない。気軽な気持ちで勝手に城下に遊びにきたのは私だ。家族の言う通り、留守番していた方がよかったのかもしれない。
本当に私は……。情けなくて涙が出そうだ。顔を見られたくなくて俯いた。
「大丈夫ですか?」
「はい……。もうこれ以上謝らないでください」
「だが……いえ、何でもありません。それならあなたももう謝らないでください。私はただ、切羽詰まった顔で歩いていたあなたを放って置けなかったんです」
まだ言い募ろうとしたイライアスは、そこで言葉を一旦切った。だけど、私はそんな顔をしていたのだろうか。
「あ……気にしていただいてありがとうございます」
申し訳ないと言いかけたけど、その言葉を言うとまたイライアスが気にしてしまう。代わりにお礼を言うと、イライアスは笑った。
「いえ。ですが、護衛がいるとはいえ、女性一人では危ないですよ。お一人で来たのですか?」
「いえ、護衛と一緒に……今日はお勉強の日だったんですが、お休みをいただいたので」
「なるほど。お忍びというわけですか。そうですよね。たまには休まないと息が詰まります」
「え……」
てっきり、怠けることはよくないと言われるかと思った。少なくとも私の両親ならそう言うだろう。
余程私は不思議そうな顔をしていたのか、イライアスは苦笑した。
「休むことで頭が冴えて、逆に効率も上がるんですよ。休むことは悪いことじゃありません」
「……休んでいるのではなく、怠けているとは思わないのですか?」
「本当に怠けている人は、自分はどうなってもいいから家は許してくれとは言わないと思いますよ」
イライアスの言葉に鼻の奥がつんと痛んだ。そうだ。私はずっと誰かに自分が頑張っていることを認めて欲しかった。たまには休んでもいいんだと、そう言って欲しかっただけなのだ。
「ありがとうございます……」
「あ、いや、本当に申し訳ない……」
泣き出してしまった私に、イライアスが謝る。そして、自分のスラックスのポケットから出したハンカチで私の涙を拭った。私は小さく笑う。
「なんだか立場が逆になりました。私が手当てしていたはずなのに。申し訳ありません」
イライアスに釣られて、私もまた謝ってしまった。イライアスは首を振る。
「いや、こちらこそ。それに、あなたは私が伯爵家の者だからと気にしているようですが、私は後継ぎではありません。ですから気にしなくても」
「いえ、そういうわけには。あなたも私と同じ。家という看板を背負っているのですから」
イライアスは自嘲気味に笑った。
「……私はあの家には必要ないのですよ。あくまでも兄が継げなかった時の代わりですから。自分で身を立てる方法を考えなければ」
私と立場は違うのに、彼からは同じ孤独を感じた──。
あの家で、私を私として必要としている人なんていない。後継でないセシリアが愛されて、私は家のためにしか存在することができないのだ。
「……自由、なのですね」
家に縛られないのであれば、彼は自由に羽ばたける。翼を持った鳥のように、どこへでも行けるし、やりたいことができる。ポツリと溢れた呟きには、意図せず羨望の気持ちがこもった。
「自由?」
「ええ、そうです。あなたは自分の人生を選べるんです。それって素敵じゃないですか。それにあなたはあの家には必要ないと言いました。それは次男という立場だけなのではないでしょうか。あなた自身の価値は家格には付随していない。ただそれだけのことです」
人としての魅力があれば愛されるのだ。セシリアのように──。話しながらぼんやりとしていたけれど、彼の声で現実に引き戻された。
「……ありがとうございます。おかげで視界が開けた気がします」
「え……私は何も」
「わからないならいいんです。ただ私が勝手にお礼を言っているだけなので。それで、あなたのお名前をうかがっても……」
だけど、それ以上彼の言葉が耳に入ってこなかった。両親とセシリアの姿が視界を横切ったのだ。
見つかったら怒られる。私は慌ててイライアスに謝罪をすると、家族とは反対の方向へ駆け出した──。
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