悪魔の囁き
「何を言っているのです?」
そんなわけがないと笑い飛ばす。そんな私の背筋を冷たい汗が流れ落ちていった。
気づかれてはいけない。
だけど、それが何故なのか私にもわからなくなっていた。一生セシリアの影に怯えて生きるより、全てを明らかにして罪を認めて生きる方がどれほど楽だろうかと今ならわかる。
だけど、もう手遅れだ。
両親はすんなりと私の死を受け入れ、前へ進んでいる。進めないのはセシリアになりきれない私だけ。
だけど、最近はこうも思う。
──外見が瓜二つなら、中身なんてどうでもよかったのではないのか。
だったら私は自分を殺して、セシリアになりきればいいだけだ。セシリアは代わりのない存在? いいえ、違う。結局はセシリアすらも両親にとってどうでもよかったのかもしれない。ただ単に愛情を注げる相手がいれば、それだけで。だからあの人たちはセシリアが死んだことにも気づけない。
「私はセシリアです。それ以外の何者でもありません」
アリシアは死んだ。それは名目上だけではなく、実質的に。
人の死は二度訪れるという。一度目は命を落とした時。そして、二度目はその存在を忘れられた時──。
両親はアリシアの死を受け入れて、もうほとんど口にしない。アリシアはこうして二度死んだのだ。
じゃあ、今の私は誰なの?
アリシアは存在しないというのに。だから、私はセシリアでなければならない。セシリアであることすら否定してしまえば、私はただの亡霊だ。
笑顔を作ると、イライアスは角度を変えながら私の顔を覗き込む。どこか不自然なところがあったのだろうか。見抜かれないように願いながら、逸る鼓動を抑え込もうと深呼吸をする。
「そんなにじっと見られては緊張します。そんなことよりも、久しぶりに会ったのですから、アリシアの話はやめませんか? まだそのことを話すのは辛いんです……」
これは本心だ。イライアスがアリシアの死をどう思うのか、聞きたくない言葉が出てきそうで怖い。真っ直ぐに私を見るイライアスの視線の強さが、私が誰でどんな人間なのかを見透かしているようで、いたたまれなさに私は目を伏せた。
イライアスは慌てた様子で顔を離す。
「申し訳ない! 様子がおかしいから心配になっただけなんです」
「心配、ですか」
嬉しい気持ちと悲しい気持ちが交互に押し寄せる。心配してくれているのは今目の前にいる私に対してなのか、婚約者であるセシリアに対してなのか。
──私は傲慢だ。セシリアの人生を奪い、婚約者を奪い、更に彼の関心まで奪おうなんて。
人の欲は尽きない。こうしていればイライアスも私を愛してくれるのだろうかと期待してしまう。罪人である私を。
そこでふと気になった。イライアスはそもそも両親が見初めて、セシリアの婚約者になった。そこに恋愛感情はあったのだろうか。だけど、そんなことを直接は聞けない。考えた私は違う形で彼の気持ちを知ろうとした。
「……私の立場も変わってしまいました。それでもあなたは私と結婚するつもりですか?」
アリシアが当主になれば、セシリアは実業家の妻としてこの家を出て行くはずだった。だけど、アリシアがいない今、セシリアの伴侶が継ぐしかないのだ。事業家と子爵家当主を両立させるのは難しいだろう。だからイライアスも事情がない限り婚約を解消する、そう思ったのだけど──。
「ええ、もちろんです」
イライアスは曇りのない笑顔で即答した。私を安心させるためだったのだろう。だけど、今の私には逆効果だ。
「そうですか……」
それだけを言うのがやっとだった。それほどまでにイライアスはセシリアを思っているのだ。自分で聞いておいて自分で傷つく。何て愚かな私。
声が少し震えてしまったが、気づかれなかっただろうか。そんな心配も杞憂だった。
「私の初恋の女性であるあなたと結婚できるんです。こんなに嬉しいことはありません」
言葉と言うのは残酷だ。こんなに幸せな言葉が敷き詰められているのに、私を絶望の淵へ落とすのだから。
「……ありがとうございます」
喜ばなければ。笑おうとしたけれど、失敗した。顔を見られないように俯き加減になる。そして私は次の瞬間に目を見開いた。
「昔一度会ったきりでしたが、あなたを忘れたことはありませんでした。あなたも同じ気持ちだと知ってどれほど嬉しかったか──」
「……覚えて、いらっしゃったのですか?」
心が歓喜に震える。だけど、私は本当に学ばない。幸福の後には絶望がやって来ると知っていたのに。
イライアスは怪訝に問う。
「何を言っているのですか? あなたも覚えていると前に仰っていたではありませんか。だからこそ、この婚約を進めてきたのに」
──私は言ってない!
喉をついて出てきそうだった言葉を必死に飲み込む。すぐに悟ったからだ。イライアスの言葉が本当なら、それを言ったのは本物のセシリアしかいないと。
絶望に落とされた心は、徐々にやりきれない怒りへと変わる。
──どこまであの子は私から色々なものを奪うの!
あの子は私から、両親の愛情を奪うだけでなく、初恋の相手を奪い、私の大切な思い出まで盗んだのだ。
──なら、私が手に入れるはずだったものを取り返して何が悪いの?
罪悪感を凌駕する怒りに、私の中の悪魔が囁いた。そして私は
「……私もあなたが好きです」
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