偽物の婚約者

「ああ、そういえば。今日こそこちらに伺うと、イライアス君から連絡があった。彼も心配していたよ」

「え……」


 お父様の言葉に私は思わずフォークを持つ手を止めた。


 イライアスというのは、セシリアの婚約者だ。伯爵家の次男でありながら自分で事業を起こして成功しているため、両親が彼に婚約を打診して、彼が受け入れたと聞いている。


 私が彼と会ったのは、約一月前セシリアに紹介された時だ。実業家というイメージにぴったりの質のいいシャツとスラックス。そんな服に着られることのない威風堂々とした態度。そして、赤茶の明るい髪色とそれに負けないくらいに鳶色の瞳を細めて輝く笑顔。美形というよりは親しみを感じるような造りだと思う。一目見て惹きつけられる、そんな男性だった。


 だけど、私は昔一度だけ彼に会ったことがある。きっと彼は忘れているだろうけど、あの頃から変わらず、私は彼が好きだった。


 そんな彼と妹が婚約した時は、本当に辛かった。それでもどうにもならないことはわかっていたから諦めようと思っていたのに──。


 自分の心であってもままならないものだ。諦めようと思っても、彼の名前を聞くだけで鼓動が跳ねる。


 だけど、今の私はセシリアじゃない。その上、私がセシリアを死なせてすり替わっている。


 あの時本当のことを話すべきだった。それをしなかったのは私の弱さだ。


 セシリアがいなくなれば両親が悲しむ。

 アリシアはいてもいなくてもいい。それならいない方がいい。

 一度でいいから家族に愛されたい──。


 私は欲に負けてしまった。それにしても、人を殺してしまうと、もっと罪悪感に苛まれると思っていた。だけど私はまだ正気を保っている。そんな私は誰よりも冷たい人間なのだろう。


 セシリアに申し訳ない気持ちを持ちながらも、自分の保身も考えてしまう。今彼に会ってしまうと私の正体がバレるかもしれない。だから会いたくない、会えない、と。


 こうなった今、私は彼と結婚できない。やっぱり本当のことを話すべきなのだろうか。だけどそれをしたら私は──。


「……セシリア、セシリア?」


 いけない。今の私はセシリアだった。怪訝に名前を呼ぶお父様に笑顔を作る。


「ごめんなさい、お父様。あまり眠れなかったせいで頭がぼうっとしてしまって。ですから、イライアス様にもそう言って断ってもらえませんか?」

「それは無理だ。今日はすごい剣幕だったからな。アリシアとも仲良くしてくれていたから、色々と思うところがあるんだろう。会ってあげないと気の毒だ」


 どうあっても断れないらしい。不安は尽きないけど、私は渋々受け入れた。


 ◇


「久しぶりですね。アリシア嬢が亡くなってからもう一週間経つんですね……」


 私の部屋を訪ねてきたイライアスの声は沈んでいた。ひょっとしたらアリシアの死を悼んでくれているのは、イライアスだけなのかもしれない。両親は悲しいというよりも、後継を失ったことを嘆いているようにしか思えなかった。そして言うのだ。セシリアが無事でよかったと。


 きっとイライアスだって、アリシアの死を悼みつつも、亡くなったのがアリシアでよかったと思っている。私はイライアスの次の言葉をどこか諦めの境地で待った。


「あなたは大丈夫ですか? 双子は繋がりが強いと言うでしょう? アリシア嬢を失って辛いのではないかと心配していたのです」

「イライアス様……私なら大丈夫です。ただ、アリシアがいなくなったことでヒースロット家の後継問題で両親が悩んでおります。この際、イライアス様にヒースロットを継いでいただくことも考えているようです」


 これには私も驚いた。アリシアが亡くなってすぐに死亡届を出したのだけど、その直後、勉強をしてこなかったセシリアでは当主になるには不十分だから、イライアスを婿に迎えて、当主に据えると言い出したのだ。


 だから余計に両親は冷静で、アリシアがいなくなったことなど気にも留めていないと感じた。


「アリシアは……いなくなってよかったのです」

「セシリア、何を……」

「いてもいなくても変わらない人間なんて、いない方がいいのではありませんか? そうでしょう──?」


 何でもない風を装って笑う。今の私はちゃんと笑えているだろうか。あんなにも笑顔を作るのが苦手だった私が。


 これは私の本心であり、セシリアならこう言うだろうと思っての言葉だ。


 イライアスの表情が険しくなる。


「前から思っていましたが、実の姉でしょう? アリシア嬢の死を少しは悼んではいかがですか」


 私がの死を悼むの? 死んだのはセシリアなのに。命を失ったけどそれを知られずに今もこうして愛されるセシリアと、生きているのに存在を抹消されたアリシア。どちらも生きているのに死んでいるようなものだ。果たしてどちらが幸せなのだろうか。


「悼む……というよりは哀れだとは思います」


 当主になるためだけに存在して、いくらでもすげ替えのきく人間だった。アリシアという人格を見てくれる人なんていなかった。両親の手のひらで踊るだけの人形。それがアリシア。


 イライアスは何かに気づいたかのように目を見開くと、私の顔を覗き込んできた。


「……あなたは本当にセシリアですか……?」

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