第18話
それからもヨウリンとの不思議な同居生活は続き、僕はある決意を固めた。
「姉ちゃんとふたりっきりで話がしたい」
僕は姉ちゃんに電話して閉店したひまわり珈琲店に呼び出した。
店の扉が開く音がする。
「いらっしゃい」
姉ちゃんが僕の急な呼び出しに応じて来てくれた。
「話って何?」
「まあ座って、今珈琲淹れるから」
「だったらカフェラテにしてくれない」
「分かった」
「ちゃんとラテアートもよろしくね」
「それは無理」
と笑って答えた。
姉ちゃんにカフェラテの入ったカップを渡し、僕はもう片方の手に持った珈琲の入ったマグカップをテーブルに置いて椅子に座った。
姉ちゃんはカフェラテを飲みながら、
「で、話って何?」
僕は珈琲をひと口飲んでから話を切り出した。
「僕がこの体になって2年経ったよね」
「もうそんなに経ったっけ?」
「うん」
「そっか、すっかり慣れちゃったもんね」
「こんなに普通に生活できるとは正直思っていなかった」
「女性の容姿で生きていけるか不安だった?」
「そりゃそうだよ、女性の大変さを身に染みて知りました」
「女性の私から言わせてもらうと当然のことなんだけどね」
「僕は心までは変えるつもりはなかったから」
「それは自分で選んだ道だからしょうがないよね」
「選んだ道か、僕の選んだ道は他人から見れば邪道だよね?」
「急にどうしたの?」
「僕の命ってもって半年位だったでしょ」
「そうだったっけ」
「彼女の体のおかげでもう2年も生きている。感謝という言葉しか見つからない」
「私さあ、ちょっとどうかしちゃってるかもしれないんだけど、たまになんだけどこの頃ひかるのことが別の女性に感じることがあるんだよね」
「姉ちゃんが今言ったこと間違ってないよ」
「え?」
「僕の中にはもうひとりの人格がある」
「本当に?」
「姉ちゃんが感じた女性って僕のこの容姿にぴったりな感じがしなかった?」
瞳はひかるにそう言われてピンときた。
「それってまさか?」
「姉ちゃんが感じた女性はヨウリンという名の女性、この体の本当の人格だよ」
姉ちゃんは言葉が出なかった。
「最近意識を入れ替える方法を見つけて1日置きに交代しているんだ」
ひかるの言っていることが本当なら自分の感じた違和感に納得できると瞳は思った。
「それで、ヨウリンが昔の彼氏に会って凄く楽しそうにしているのを見て僕も嬉しくなっちゃって」
「そんなことしてるんだ」
姉ちゃんは自分の感覚を疑っているわけではないが、まだ半信半疑の様子だった。
「彼女の体を借りた分、今度は僕が返さないとね」
「そう」
「もっと彼女には幸せになって欲しいと思うようになって」
「うん」
「それで僕に出来ることは何だろうと考えたんだ、そうしたらこれしかないんじゃないかなと思った」
「これしかないって?」
「彼女に体を返そうと思う」
「ちょっと待って!あんた何言ってるか分かってるの?」
「分かってるよ、彼女に体を返すんだ」
「何を馬鹿なこと言ってるの?その体で生きていくって決意したんじゃなかったの?」
「そうだったんだけど」
「私達家族がどれだけ悩んだと思ってるの?」
「そうだよね」
「今更勝手なこと言わないでよ!」
僕は何も言い返せなかった。
「今の話、彼女は聞いてるの?」
「彼女は聞いてないよ、今は眠っているから」
姉ちゃんはため息をついた。
「仮に彼女に返したとして、ひかるの意識はどうなるの?」
「彼女が彼氏のことを思っている時に不思議な世界に行ったことがあるんだ」
「不思議な世界?」
「行ったという記憶があるだけなんだけどね。僕はその世界が死後の世界とリンクしているんじゃないかと思っているんだ。だから多分だけど死後の世界に行ったままになるじゃないかと思ってる」
「それは完全な死ということ?」
「そういうことになるよね」
すると姉ちゃんは席を立ち、
「ごめん、今日はもう帰るわ」
そう言って店を出て行ってしまった。
それから3日が経った。
僕は実家に帰り、自分の考えを伝えるタイミングを伺っていた。
しかしそのタイミングは一向に訪れなかった。
何時もは夕飯を食べ終わると、弟の亮太と一緒にバラエティー番組を見ている姉ちゃんだったが、今日は夕飯を食べ終わるとさっさと自分の部屋に行ってしまった。
その様子を見ていた僕は姉ちゃんの部屋の前に立ち襖をノックする。
「はい」
「姉ちゃん入ってもいい?」
「いいよ」
雑誌を読んでいる姉ちゃんにちょっと話をしてもいいかと尋ねた。
「どうぞ」
「この前の続きなんだけど」
「いいけど彼女は大丈夫なの?」
「ヨウリンのこと?」
「そう」
「今は眠ってる」
「そう、都合よく寝てくれるわね」
「彼女と入れ替われるようになってから副人格の時によく寝るようになったんだ。多分まだ主人格になった自分に慣れてないんだと思う」
「そっか、それで話って何?」
「この前の続きなんだけど、今まで姉ちゃんや家族の皆に迷惑をいっぱいかけたけど、この2年間生きられただけでも幸せだと感じてるんだ。でもこの体は僕の体ではない。彼女の心が存在するいじょう返すのが本筋ではないかと思うんだ」
「それでひかるはどうするの?」
「僕は本来だったらもう生きていない人間だ。だから本来いるはずだった場所へ行くよ」
すると姉ちゃんは立ち上がって僕の腕を掴んで皆のいる居間へ僕を連れて行った。
「父さん、母さん、亮太、私じゃもうこいつを説得できないよ!」
すると父さんが、
「テレビを消しなさい」
そう弟に言った。
テレビから流れだす音が消え居間が沈黙に包まれる。
その沈黙を父さんが破る。
「話は瞳から聞いている、俺はお前の意思を尊重する」
そして母さんも、
「私は正直分からないの、でもひかるは一度言い出したら誰が何と言おうと自分の意思を曲げない子だものねえ」
そう言って優しく微笑んで僕を見つめた。
「何か最初から最後まで随分と自分勝手だよな!」
「亮太」
弟は何も映っていないテレビを見て僕を見てくれなかった。
「皆ごめん、そして有難う」
そう言って居間を出ようとした時、
「兄貴、俺も自分のしたいようにすればいいと思ってるよ」
そう亮太は言ってくれた。
そして帰り際、姉ちゃんが後ろから抱き着いてきた。
「何が正しいかもう滅茶苦茶だね」
僕は、
「そうだね」
と答えた。
「でもひかるがやろうとしていることを見守ることにした」
そう言ってくれた。
翌々日、珈琲をお客さんに出した後、僕はカウンターの中でマグカップを拭いていた。
「今日はお客さんが少ないね」
そうヨウリンが話しかけてきた。
「雨が降ってるからじゃないかな」
「そう言えば最近千夏さん来てないよね?」
「休みが欲しいって彼女から言ってきたんだよ」
「もしかして、うまくいってないの?」
「そうじゃないよ、彼女が珈琲の勉強をしたいって言うから許可したんだ。今は他の店で働いて珈琲の勉強をしてるらしいよ」
「そうだったんだ」
「そうだったのです」
実は1ヶ月前に千夏と別れた。
ヨウリンはそのことを知らない、変に気を使わせたくないから知らせていない。
僕がもう付き合えないと一方的に千夏を突き放した。
彼女は納得してくれなかったけど、翌日さっぱりした顔で僕の前に現れ、
「最近のひかるを見てて何となくこうなる日が来るんじゃないかと思ってたんだ」
「そうだったんだ」
その後千夏から実はもっと珈琲のことを深く知りたいと思っていたことを告げられて、彼女から退職したいと言われ僕はそれを承諾した。
「そっちこそ彼とはうまくいってるのかい?」
「フェイロンとはただの友達よ」
そう言っていたけどヨウリンと彼が一緒にいる時、僕の記憶が無くなったりする時があるのはそういうことなんだろうと僕は思っていた。
仕事を終え帰りの途中でスーパーに寄り、三元豚のロースとしじみを買った。
今日はとんかつを食す。
マンションに着くとエプロンをしてキッチンの前へ。
レジ袋から豚肉を取り出すとラップを外して豚肉をまな板の上に乗せ筋切りをする。
両面に塩と胡椒をふって、バットに卵を割って溶きほぐす。
豚肉に薄力粉を薄くまぶし余分な粉を落とす。
それを溶き卵に着けた後パン粉を着ける。
油の温度は170度。
衣をまとった豚肉を油の中にそっと入れ、3分後に強火で1分揚げるととんかつの完成。
あらかじめ切っておいたキャベツの千切りをとんかつのわきに添え、しじみの味噌汁をお椀に注ぐ。
炊き立ての白米をお茶碗に盛って、とんかつ御膳の出来上がり。
「美味しそう!」
ヨウリンがそう言うと、
「今日は我ながら上手に出来た」
と自画自賛。
ダイニングテーブルに出来上がった料理を並べると、エプロンを外して椅子に座った。
「頂きます」
揚げたてのとんかつにとんかつソースをかけ、切り分けたとんかつの左端を箸でつまみ口の中へと運ぶ。
とんかつが口の中に残っている状態でお茶碗を手に取り白米を食す。
豚肉の油の旨味が白米とよく合う。
キャベツの千切りが口の中をさっぱりとしてくれて、またとんかつに箸が伸びる。
しじみの出汁がしっかりと出た味噌汁ととんかつの相性の良いこと。
とんかつと白米、時々千切りキャベツのスパイラルから抜けると味噌汁をゆっくりと味わいながら飲み干した。
「ご馳走様でした」
洗い物をすませた僕は、リビングでテレビを見ながらヨウリンとたわいのない話をしながら時間を過ごす。
お風呂に入った後、普段はゲームをしたり録画をしておいたドラマを観たりするのだが、今日は珍しく2時間位ヨウリンとおしゃべりをして過ごした。
「さあ寝ようかな」
僕はベッドに潜り込んだ。
僕は明日彼女と入れ替わったらもう戻らないと覚悟を決めていた。
眠るイコール僕の死なのだが、これから死んでいく人間とは思えないほど心は穏やかだった。
僕はヨーリンよりも確実に早く起きる為に何時もよりも2時間早く起きるイメージをして眠りについた。
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