第14話

とある日、カフェの開店準備をしている時にこんなことがあった。


「ちょっと出かけて来てもいいかな?」


「大丈夫ですよ、お店の方は人員が足りてますから」


「有難う、じゃあ後はよろしくお願いします」


そう言い残して店を出た僕はすぐにスマホを取り出し姉ちゃんに電話を掛けた。


「僕だけど今何してる?」


「家にいるけどどうかした?」


「ちょっとお腹が痛くって」


「大丈夫?お腹でも冷やした?」


「昨日も体調が悪かったんだけど、これってあれだよね?」


「ああ、なるほどね・・・とりあえず実家に帰ってこれる?」


「うん、今店のことを頼んで帰ろうっと思ってたとこ」


「そう、そんなに心配することじゃないから安心して帰ってきな」


その言葉を聞いて少し安堵した僕は電車に乗って実家に帰った。


「結構辛い?」


「そんなには、仕事に支障が出るほどではないよ」


「出血は?」


「してない」


姉ちゃんはタンスの引き出しからある物を取り出して僕に手渡した。


「ナプキン、それを着けておけば血が出ても大丈夫だから」


「これどうやって着けるの?」


すると姉ちゃんはタンスから自分のパンツを取り出しナプキンの着け方を教えてくれた。


「なるほど、そうやるんだね」

そう僕が言うと、


「今まで生理こなかったの?」


「うん、でも今は体がだるくて少し腹痛がする。あんまりいい気分じゃない」


「男子って学校で生理のこと習ったりしないの?」


「どうだろう、他の人は知らないけど僕の時は無かったよ」


「そうなんだ」


「私は授業で女性の体の仕組みについて習ったけどね」


「生理の仕組みとか?」


「生理は古くなった子宮内膜が剥がれ落ちることで起きる・・・まあ簡単に言うと妊娠する為の体のメンテナンスね」


「だいぶ説明を端折ったでしょ?」


「詳しいことは自分で調べなさい」


「分かりました」


そう答えて姉ちゃんの部屋を出ようとすると、


「店に戻るの?」


「うん、今はそんなに辛くないから」


「ひかる」


「何?」


「本当に今まで生理がこなかったの?」


「こなかった」


「不思議ね、周期的にくるもんなんだけど」


「手術の影響とかが関係してるんじゃないかな」


「そうかもしれないね」


玄関まで姉ちゃんが見送りに来る。


「もっと恥ずかしがると思ってたんだけど」


「僕は今の自分を受け入れてますから」


「そうですか」


「姉ちゃん有難う」


「辛くなったら無理しちゃだめだよ、女の体はデリケートなんだから」


「うん、分かった」


僕が実家を後にした後、姉ちゃんは僕を見送りながら、妹が出来たらこんな感じなのかなと呟いていた。



千夏と付き合い始めて1年が過ぎた。


仕事帰りに彼女の家に寄ったり、この前の休日は水族館に行ったりしたし、公園を散歩したり新しいカフェを探索したりふたりの時間を楽しんでいた。


僕はとても充実した日々をすごしていた。


そんなある日、ひとりの男性客が店を訪れた。


その日はアルバイトが足りていなかったので僕も現場に入っていた。


「注文は決まりましたか?」


そう尋ねると男性客は僕を見て固まっていた。


「どうかしましたか?」


「ヨウリン?」


男性は僕のことを確かにそう呼んだ。


何故この男がヨウリンの名を知っているのか、僕は動揺を必死に隠そうとした。


「注文はいかがなされますか?」


「そうだ、ヨウリンは死んだんだった。こんな所にいるはずがない」


そう言ってうつむいた男性は暫くしてから、


「ブレンドをひとつ下さい」

そう僕に告げた。


「ブレンド珈琲ひとつお願いします」


カウンターに戻り注文を告げた僕に、


「どうしたの?またナンパでもされた?」


と千夏が聞いてきたが、何でもないと答えて他の席に注文を取りに行った。


僕はヨウリンに問いかけてみたが彼女からの返答は無かった。


男性客に、

「お待たせしましたブレンド珈琲になります」


そう言って珈琲の入ったマグカップをテーブルに置く。


男性客は珈琲には一切目をやらずに僕の顔を見たままだった。


この男はヨウリンを知っている、しかもただの知り合いではなくかなり深く繋がりのある関係だったに違いないと思った。


その男性客が帰った後、彼女はようやく重い口を開き、


「恋人」


そうひと言だけ告げてまた黙ってしまった。


僕は彼女に何も聞き返さなかった。


「今日はこのまま家に帰るね」


千夏にそう告げてマンションに直帰した。


マンションに着き部屋に入る、するとヨウリンの方から話し始めた。


「彼とは大学時代に付き合っていたの」


「前にスマホで見せてくれた人だね」


「そう、ひかるは気が付いていたんだね」


「最初は誰だか分からなかったけど」


「とても愛していた、将来この人と結婚するのだと思っていた。でも私は病気になってしまったから」


僕は何も言えなかった。


会話はそれだけで彼女はそれ以上語ろうとしなかった。



次の日のお昼時に再び昨日の男性客、つまりヨウリンの彼氏が現われた。


「今日は五十風さんはいらっしゃらないのですか?」


そうアルバイトの男性に尋ねたらしい。


ネームプレートを見て名前を覚えたのだろう。


自分の恋人にうりふたつの女性を見たんだ、名前を覚えることなど造作のないことだったに違いない。


その日、僕は何をしていたかというと千夏とデートをしていた。


次の日の朝、出勤した時にアルバイトからその話を聞き頭の中の彼女は動揺していた。


まだヨウリンは彼のことが好きなんだと僕は思った。


ヨウリンの彼氏は週に2日のペースで店に訪れるようになった。


勿論ヨウリンの姿をした僕に会いに来ていたのだろう。


毎日通いに来なかったのは彼なりに警戒されないように距離を取っていたのかもしれない。


来店した日はブレンド珈琲を頼んで僕と少し会話をしてから店を後にする。


僕はヨウリンの彼氏と会話をするのが嫌ではなかった。


彼はとても誠実で時にユーモアを交えて話してくる。


嫌な気持ちになるどころか好感さえもてた。


それはヨウリンも同じだった、彼女の喜んでいる気持ちが僕にも伝わってくるのが分かった。


ところがひとつ問題が生じた。


千夏の様子が最近穏やかではないのだ。


そりゃそうだ、自分の恋人が知らない男と楽しそうに会話をしているのだから。


「オーナー、あのお客さんのこと好きなんですか?」


千夏は他人行儀な言い方でストレートに聞いてきた。


「好きっていうかあの人の話面白いんだよ」


「それって本当に好きになってきてるんじゃないの?」


「安心して、千夏の思っている好きとは違うから!」


そう答えた僕は事務業務を行うために事務室に入った。


その様子を千夏は面白くなさそうな顔をして見ていた。


仕事を終えた僕は久しぶりに夕食を食べに実家に帰った。


「ただいま!」


「お帰りなさい!」


母さんが出迎えてくれた。


すると姉ちゃんが部屋から顔を出して手招きしているのが見えた。


僕が部屋に入ると姉ちゃんは部屋の戸を閉めて僕にこう言った。


「最近店で知らない男といちゃついてるみたいだけどどういうことなの?」


「いちゃついてる訳じゃないけど、何で姉ちゃんが知ってるの?」


「千夏から電話があった」


「姉ちゃんと千夏って知り合いだったの?」


「知らない電話番号だったから出るの迷ったんだけど出てみたら、私のこと覚えてる?って聞いて来て、その声はもしかして千夏?ってな感じになってさ」


「ふ~ん、そうなんだ」


「同級生なんだけどそこまで親しくは無かったんだよね、結構おとなしい娘でさあまり人とつるんむタイプではなかったと思う」


「そうなんだ」


(今とはイメージが違うな)

そう僕は思った。


「そんなことより千夏、心配してたよ」


「分かってる」


「本当に?ついに女の性が目覚めたんじゃないの?」


「そんなんじゃないよ!」


「そんなに強く否定しなくてもいいじゃない」


「僕は女性が好きなの!姉ちゃんにもそう言ったでしょう」


「女性の体に変わるとさ、女性ホルモンとかが影響して心にも変化を与えることがあるのかなぁ、なんて考えてみたりして」


「僕は千夏のことが本当に好きなの!」


「左様ですか・・・ってあんた千夏と付き合ってるの?」


「ご飯できたわよ!」


母さんの声が家中に響いた。


「今行く!」


ふたりで返事をする。


「そうだよ、何か文句ある?」


「そう言えばあんた学生の時千夏のこと好きだって言ってたね」


「そういうこと」


そうかそうかと頷く姉ちゃん。


「私の方から心配いらないって電話入れとくわ」


「有難う、僕も誤解されないように気を付けるよ」


「しかし、千夏から何で電話が掛ってきたのかさっぱり分からなかったけど話を聞いて納得がいったわ。千夏も五十嵐家に妹がいたなんて知らなかったって言ってたしね」


「千夏には五十嵐家の養子だと話した」


「そうなんだ」


「岩田先生の言う通りにして正解だった」


「そうね、実子にしていたらややこしいことになっていたかもしれないわね」


姉ちゃんの言葉に僕は頷いた。


「さてと、この話はここまでにして晩御飯を食べようかな」


そう言って姉ちゃんは部屋を出て行った。


僕が姉ちゃんの後を追って部屋を出ようとした時、


「ごめんなさい」


そうヨウリンが謝ってきた。


「何でヨウリンが謝るの?」


「ひかるは私の為に彼と話をしてくれてるんでしょ?」


「それはどうかな?」


「え?」


「本当に好きになっちゃたりして!」


「それは駄目!」


「あはは、冗談だって」


「でもひかるが彼のことを本当に好きになったら私に止める権利はないわ。私は死んでるだから」


「あのさ、友達になることはあっても恋人になることは絶対にないから」


僕とヨウリンは少し沈黙する。


「ごめん」


そう謝る僕に、


「何で謝るの?」


とヨウリンが聞いてきた。


「僕が君の体に入り込まなければこんなことにならなかったから」


また少し沈黙した後、


「謝らないで、私が今こうしていられるのはあなたのおかげなんだから」


こうしてふたりで話していると、


「ひかる何してるの?ご飯冷めちゃうわよ!」


母さんが大きな声で僕を呼んだ。


「ごめん、今行くから」


そう言いつつもヨウリンが気になって姉ちゃんの部屋から出ない僕に、


「私に気を使わなくていいからね」


「そんな、気を使ってる訳じゃ」


「この話はここまで、お母さん部屋まで呼びに来ちゃうわよ」


彼女にそう言われ僕は姉ちゃんの部屋を出て行った。



今日のおかずは豚肉の生姜焼き。


家族で食卓を囲み、たわいもない話をしたりテレビを見たりしながらいつも通りの夕食の風景。


時々、弟が僕の方をちらちらと見るのが気になる。


「顔に何かついてる?」


「べ、別に何もついてないよ」


僕達の様子を見ていた姉ちゃんはにやにやと笑っていた。


食器を洗うのを手伝って、お風呂に入って疲れを癒し、テレビを見てリラックス。


そして眠たくなったので姉ちゃんの部屋へ行く。


部屋に入ると姉ちゃんが寝る準備をしていた。


「布団を敷くの手伝って」


「うん」


姉ちゃんと僕の布団を敷く。


「姉ちゃん、僕と弟の様子を見て面白がっているでしょ?」


「そんなことないよ」


「本当に?」


「ひかるには千夏がいるじゃない」


「そうだけど・・・まあいいや」


そう言って僕は布団の中に潜り込み、それを見た姉ちゃんは部屋の明かりを消した。





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