第12話

実家に帰ってから色々とありましたが、僕はそろそろ自分の家に戻ることにした。


帰りの道中ヨウリンが話しかけてきた。


「まさか弟くんに襲われるとは思わなかったね」


「襲ってきた訳じゃないだろう?確かに危ないところだったけど」


「お姉さんが言ってたね、私みたいな娘が弟くんのタイプだって」


「そうみたいだね」


「それって今はひかるのことだよ!」


「そうだよね」


ヨウリンと頭の中で会話をしている間に恵比寿にあるマンションに着いた。


「ここがひかるの住んでいる家?」


「そうだよ」


7階でエレベーターが止まる、向かって右側の角部屋が僕の住んでいる家だ。


玄関の鍵を開け靴を脱ぎ、リビングのテーブルの上に家鍵を置いた。


ヨウリンは部屋を見渡している様子。


「本当にお金持ちだったんだね!」


「そうだね・・・て自分で言うのもおかしいけど」


「こんなに儲かるならトレーダー辞めなければいいのに」


「トレーダーはもう本当にいいんだ」


「そうなんだ、何だか勿体ない気がする」


「そんなことないよ、それよりもこれからのことを考えなくちゃ」


「どういうこと?」


「明日からカフェの開業に向けて本腰を入れようと思ってるんだ」


「そうなんだ」


「さてと、シャワーでも浴びてこようかな」


僕は脱衣所で服を脱ぎ、浴室でシャワーを浴びた。


何だか今日は弟とのこともあってか、やっと見慣れてきた自分の裸を見て恥ずかしい気持ちになってしまった。



それから半年が過ぎた。


僕は代官山にあるとある建物の中にいた。


座席や機材は大方揃った。


あとは社員を雇わなければならない。


そこで広告代理店を使って求人広告を出した。


その効果は抜群で20名以上の募集がきた。


応募してきた人達の面接をほぼ終えた僕は、日本バリスタ協会と食品衛生責任者の資格を持つ27歳の男性と食品衛生責任者の資格を持つ25歳の男性2名を正社員として雇うことに決めた。


そしてその日の夕方、面接に遅れると連絡があった女性がやって来た。


「遅れてすみませんでした!」


「全然大丈夫ですよ」


僕は誰もいない店内を案内し、女性に席に座るよう促した。


「それじゃあ面接を始めましょうか」


「よろしくお願いします!」


彼女から受け取った履歴書に目を通す。


名前と学歴を見た僕は彼女を二度見してしまった。


(川村千夏ってもしかして・・・)


僕の表情を見て何か感ずいたのか、


「何処かでお会いしたことがありましたでしょうか?」

と僕の様子を伺ってきた。


彼女は僕よりひとつ上の先輩で、高校2年の時に僕が告白をした人、川村千夏(かわむら ちなつ)さんだった。(フラれたんだけどね)


「いや、ちょっと知り合いに似ていたので。しかも名前が一緒だったから驚いてしまったというか」


「そうだったんですか、それはかなりの奇跡ですね!」


「本当にそうですね」


僕は深呼吸をして再び履歴書に目を通した。


「正社員希望なんですね」


「はい」


「コーヒーマイスターの資格をお持ちなんですね」


「はい、珈琲が大好きなんです」

彼女は笑顔でそう答えた。


「僕もです・・・それじゃあ面接はこれで終わりにしましょうか」


「え・もう終わりですか?」


「はい、十分に分かりましたから」


「そうですか」

と彼女は拍子抜けした様子だった。


「それでは気を付けてお帰り下さい」


「有難うございました」


彼女は深々と頭を下げて挨拶をして建物を出て行った。


建物の外に出た彼女は少し歩いた後、うしろを振り向いてこんなことを呟く。


「自分のことを僕って言うんだ、面白いオーナーさんだったな。しかも若くて美人・・・面接時間が短かったのは何だったんだろう?もしかして落ちちゃったかな」


彼女は不安そうな表情を浮かべ去って行った。


ひとり建物に残り履歴書を整理しているとヨウリンが話しかけてきた。


「さっきの女性綺麗な人だったね!」


「そうだね」


「どうするの?採用するの?」


「面接した限りでは断る理由が見つからない」


「顔で選んでるんじゃないの?」


「それも否定できないな」


「素直なんだね」


「そうかな?」


「ひかるのそういうところ良いと思うよ」


「有難う・・・っていうかヨウリン日本語がだいぶ上手くなったね!」


「本当?」


「凄く流暢な日本語だよ」


「有難う、何だか嬉しい!」


ヨウリンの声が弾んでいるように感じた。



それから2週間後、川村さんとふたりの男性を含めた正社員と15名のアルバイトを雇い、1か月後のオープンを目指して研修を行うことになった。


僕と正社員でブレンド珈琲の味を決めていく。


ある程度ではあるが僕はもう豆の配合を決めていて、正社員の3人に珈琲豆の配合と焙煎具合を調整してもらい、コクがあって飲み終わった後に珈琲の香りを感じながら後味がスッキリする僕のイメージにピッタリの珈琲に仕上げることが出来た。


当店ではこのブレンド珈琲にアイスコーヒーとアメリカンコーヒーと、そしてフェラテを加えた4種類の珈琲と子供向けにオレンジジュースを出すことに決定。


珈琲を美味しく飲んでもらうためにケーキを出そうと考えていた僕は青山にある有名な洋菓子店を訪ねた。


「すみません、お忙しいところにお邪魔してしまいまして」


するとパティシエの中年の男性が小声で、

「いや、あなたのようなお美しい方大歓迎ですよ」

そう呟いた。


「すみません、今なんて言ったか聞こえなかったんですけど」

そう僕が聞き返すと、


「いや、何でもありません。私の独り言ですので気になさらないで下さい」


パティシエの男性は爽やかな笑顔を見せてそう答えた。


「早速ですが本題に入らせてもらってもよろしいでしょうか?」


「勿論です」


「実は喫茶店をオープンすることになりまして」


「その若さでお店を開くなんて凄いですね」


「有難うございます、そこで田所さんのケーキを私の店で提供したいと思い伺いました」


「私の名前を知っていたのですか?」


「雑誌で紹介されていたのを拝見しました」


「そうですか、名前を覚えて頂けただけで光栄です」


「それでケーキを当店で提供したい・・・」


「良いですよ、私の作ったケーキ使って下さい」


僕がしゃべり終わる前に田所さんはケーキの提供を承諾してくれた。


「本当ですか!」


「ただ、ひとつだけ条件があります」


「条件ですか?」


「あなたのお店の珈琲を飲ませて下さい。私の作ったケーキに合うか知りたいのです」


「合わなかった場合はどうなるのでしょうか?」


「残念ですがこの話は無かったことにしてください」


「分かりました、それは当然のことだと思います」


「ご理解いただけて助かります、それでは何時にしましょうか?」


「え?」


「私があなたのお店に伺う日です」


「ああそうですね、私は何時でも構いませんが出来ることなら1週間後位までに来て頂けると助かります」

そう僕が言うと、


「それでは明日にしましょう」

田所さんは即答した。


「大丈夫なんですか?」


「オープンが近いのでしょう?だったら早い方が良いんじゃないですか」


「有難うございます!」

僕は深く頭を下げた。


「それでは明日お待ちしております」


席を立って挨拶した僕に、


「その前に名前を伺ってもよろしいでしょうか?」


と田所さんが尋ねてきた。


「すみません私まだちゃんとご挨拶していませんでした!本当にすみません‼」


「良いですよ」


田所さんの人柄に救われた。


「五十嵐ひかると申します」


にこやかな笑顔で名前を言い、丁寧にお辞儀をした。


「なんて美しいスマイルなんだ!」


「え?」


「すいません、つい心の声が漏れてしまいました」


田所さんの返答を僕は愛想笑いでやり過ごし、


「それでは明日お待ちしておりますので」


そう言って田所さんのお店を後にした。


「良い人そうで良かったね」


「ヨウリンも聞いてた?」


「おじさんにしては若いパティシエさんだったね」


「雑誌には35歳って書いてあったかな?それより明日が勝負だな」


一方その頃、洋菓子店では田所さんの興奮が収まらない様子だったようで、


「なんて美しい人なんだ!あんなに美しい人に出会ったのは初めてだ‼」


「生きていて良かったですね」


女性の従業員が作業をこなしながら田所さんの相手をしていた。


「明日も会えるなんて、早く明日が来てほしい」


「でも珈琲がうちのケーキと合わなかったらどうするんですか?」


そう女性従業員が言うと、田所さんはさっきとは打って変わって冷静になり、


「その時は縁がなかったと思って諦めてもらうしかないかな」


「そこはちゃんと線引き出来てるんですね。安心しました」


そう言いながら淡々と作業を進める女性従業員。


「そこはちゃんとわきまえてるよ、それに断ることになったとしても珈琲を飲みに通うことは出来るからね」


田所さんは笑みを浮かべてそう言った。



そして翌日、午後2時になる少し前、日本バリスタ協会の資格を持つ男性社員と僕は田所さんの来店を待っていた。


昨晩連絡があり、仕事が落ち着いた時間に伺いたいとのことで午後2時に会う約束をしたのだ。


約束通り午後2時に田所さんが来店、


「失礼します」


「お待ちしておりました」


田所さんの希望もあって店内を案内して差し上げた。


「落ち着いた雰囲気のお店ですね」


「そうですね、お客様にはリラックスした時間を過ごして頂きたくて。観葉植物を多めに置いて、席を少なくしゆったりと出来るようにしました」


「木目調の壁が落ち着きますね、良いと思いますよ」


「そう言って頂けると嬉しいです」


「こちらの席に座ってもよろしいですか?」


田所さんはカウンター席ではなく窓際の席を指差した。


「どうぞお好きな席に座って下さい、それでは珈琲をお持ちしますので少々お待ち下さい」


僕は男性社員に珈琲を淹れるようにお願いした。


「五十嵐さんが淹れるんじゃないんですね」


「私はまだ半人前なので」


「そうですか」


「もう少しお待ち下さい」


僕はカウンターの前に立って男性社員が珈琲を淹れる様子を見つめていた。


「オーナー、ブレンド珈琲準備出来ました」


「有難う」


トレンチに淹れたての珈琲を乗せて田所さんの座ったテーブルに向かう。


「お待たせしました、ブレンド珈琲です」


テーブルの上に珈琲の入ったマグカップを慎重に置いた。


マグカップの持ち手を掴んだ田所さんはカップを鼻に近づけて香りを嗅いだ。


そしてゆっくりと口元へ運ぶと珈琲をひと口、口の中に含んだ。


僕がテーブルを挟んだ向かいの席に座ると、田所さんは手に持ったマグカップを静かにテーブルの上に置いた。


しばらく無言の田所さん、その様子を見て僕は不安になって何度も、


「どうですか?」


そう言いそうになったけどなんとか我慢した。


今思うと、それは田所さんが僕の珈琲と真剣に向き合ってくれた時間だったんだと思う。


「五十嵐さん」


「何でしょうか?」

そう答えた僕は田所さんの表情を伺った。


すると田所さんは、


「美味しいです」


笑顔でそう言ってくれた。


「本当ですか!」


「コクがあるのに後味はスッキリするんですよ。これなら私の作ったケーキと合うと思います」


「ということは・・・」


「はい、合格です」


柔和な顔でそう言ってくれた田所さん。


僕は喜びがこみ上げて大きくガッツポーズをしそうになったけど、それはそれで少々大人げないと思い控えめにガッツポーズをした。


でも、その様子を田所さんに見られてしまい笑われてしまったんですけどね。


田所さんは帰り際、


「今度は私の店に来て下さい。お店に置くケーキを決めましょう」


「分かりました、伺わせていただきます。今日は本当に有難うございました」


「いえいえ、私もケーキが売れるんだから私にとってもいい話です」


「これからもよろしくお願いします」


田所さんから差し出された手をしっかりと握って握手を交わし、店を後にする田所さんを見送った。



そして開店1週間前、開店準備はほぼ整った。


残るは宣伝だ。


出勤できる従業員を集め、店から半径2キロ圏内を中心に手分けしてチラシを配りオープン当日を迎えた。


開店初日はブレンド珈琲1杯400円を半額で提供した為、テイクアウトも含め用意していた1000杯分の豆が無くなり、閉店時間よりも2時間早い16時には店を閉めた。


それから1ヶ月が経過したが客足が落ちることなく店の経営は軌道に乗った。



ここまでが僕の過去の話。

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