第6話

岩田先生は家族の待つ病室を訪れて手術が無事終了したことを告げた。


「魂を定着させる為に2日間集中治療室で様子を見ます。家族の方も出入り禁止でお願いします。魂がまだ不安定な状態なので、しゃべりかけたり体に触れたりすることは出来ません、ご理解のほどよろしくお願いします」


そして2日後


僕は家族の待つ病室へ戻ることが出来た。


「目が覚めるのに術後3日から1週間程度かかりますが、脳はに異常はありませんでしたので安心して下さい」

そう言い残して先生は病室を後にした。


そうは言われても目が覚めるまでは気が気ではなかったと家族皆が言っていた。


先生の言う通り、手術から4日後の朝に僕は目を覚ました。


目を開けると母さんと父さんの安堵した様子が目に映った。


「お腹が空いた」

小さな声で僕がそう言うと、


「ちょっと待ってて、先生に聞いてくるから!」


そう言って母さんが駆け足で病室から出ようとしたところに、看護師の倉田さんが良いタイミングで現れた。


「目が覚めたんですね、良かったですね五十嵐さん!」


「倉田さん息子がお腹が空いたようなんです、何か食べさせても大丈夫でしょうか?」


「大丈夫ですよ、こちらで用意しますので少し待っていてください」

そう母さんに告げた倉田さんは病室を出て行った。


「母さん、倉田さんって呼んでるんだ」


「え、何が?」


母さんが僕の問いかけに答えられないでいると姉ちゃんが、


「光が眠っている間、あの看護師さんが私達の身の回りの世話をしてくれたんだよ。それで母さんの話し相手までしてくれて、今では父さん以外は倉田さんって呼んでるんだよ」

そう説明してくれた。


「そうだったんだ、良い人だね倉田さん」


そんな話をしていると、倉田さんが朝食を病室に運んできてくれた。


「胃に負担がかからないように軽めの朝食ですけど」


「全然構わないです、食べられるだけで幸せです」

そう言って僕は上半身を起こした。


トーストされた食パン1枚と温野菜のサラダ、そして野菜スープの3品だった。


久しぶりの食事、生きて食べられることが奇跡だと思った。


ゆっくり時間をかけ、感謝しながら食事を頂いた。


「ご馳走様でした」


心から幸せと思える食事は久しぶりだった。


倉田さんは食器を配膳台に片付けると、


「先生を呼んできますね」

と言って病室を出て行った。


それから少しして、部屋の呼び出し音が鳴った後、岩田先生と倉田さんが病室に入ってきた。(病室に鍵はありません。部屋が広いため呼び出し音で知らせるようになっています)


「五十嵐さん手術は成功です!」


「岩田先生、有難うございました」


「顔色も良いですね」


「そうですか?」


「もうご自身の姿はご覧になられましたか?」


そう言われれば、僕はまだドナーと入れ替わった自分の姿を見ていなかった。


先生が手鏡を僕に渡すように倉田さんに言った。


僕は手渡された手鏡を持って深呼吸する。


そして鏡をゆっくりと顔に近づけて覗いてみた。


鏡に映っているのは見知らぬ女性だった。


そうだった、先生は確かドナーは女性だと言っていた。


先生は僕の反応を見ながら自分の仕事を進めていく、


「目覚めてすぐに悪いのですが、この書類に目を通して大丈夫だったらサインして下さい」


僕はまだ鏡に映った女性に意識を持ってかれていて先生の言葉がまったく入ってこなかった。


「五十嵐さん、聞こえてますか?」


「あ、はい何でしょうか?」


先生はにこやかな顔で僕にこう尋ねた、


「自分の顔を見てどうですか?」


「いや、なんて言ったらいいか・・・鏡に映っているのは僕なんですよね?」


「そうですよ、手術前に写真を見せたはずですが?」


「あの時はもう目が霞んでてほとんど見えていなかったんです」


「そうだったんですか」


鏡に映った女性はとても美しく、すべてが綺麗だった。


「こんなに美しい人だったんですね」

僕がそう言うと、


「そうですか?私には普通の女性に見えますけど」

と先生が答える。


すると倉田さんが、

「先生の好みの女性は世間的に言うとちょっと変わってるんです」

と小声で僕達家族に言った。


先生は咳ばらいをし、


「さあ、話を進めましょうか」


先生から手渡された書類には名前、生年月日、性別やら、個人情報を記入する欄があった。


僕の戸籍を改ざんするのに必要らしい。


書類に記入し先生に手渡すと、


「年齢は詳しく調べるとかなり正確に出るんです、だからここは23歳に書き直して下さい」


「分かりました」


「では詳しい話を1時間後にしましょう・・・そうだ、ご自身の名前を決めておいて下さい」


「名前ですか?」


「そうです、これから名乗る五十嵐さんの下の名前です」


「そうですよね・・・」


「それじゃあ1時間後にまた来ます」


先生達が病室を出た後、


「そりゃそうだよね、男の名前じゃおかしいもん」

弟がそう言うと姉ちゃんが、


「光は名前の事考えてたの?」


「全く考えてなかった。そうだよね、僕には新しい名前が必要だね。ただそれよりも・・・」


僕は家族皆の方を向いた。


「今まで心配をかけてすみませんでした。僕の我儘を聞いてくれて本当に有難う」

家族皆に頭を下げた。


「生きていてくれて本当に嬉しいよ」

母さんは薄っすら涙を浮かべていた。


「本当に悔いはないんだな?」

と父さんが問いかける。


「覚悟を決めて手術に臨みました。後悔はありません」


「そうか」

父さんはそれ以上問い詰めることはしなかった。



それから1時間が過ぎ、岩田先生と倉田さんが再び病室に訪れていた。


「五十嵐 光は戸籍上死んだことになります」


「はい」


「名前は決まりましたか?」


「名前ってひらがなでも大丈夫ですよね」


「問題ないですよ」


「それじゃあ、ひかるでお願いします」


「平仮名でひかるですか、考えましたね。女性でも多くいらっしゃいますもんね」


「光と名付けてくれた両親に感謝です」


「本当ですね」


話を聞いていた父さんと母さんはお互いに顔を見合わせ、母さんは恥ずかしそうに笑っていた。


先生はその様子を伺いながら話を続けた。


「戸籍の書き換えは組織の方で行いますので、五十嵐さんは日本で手続きをする際は生年月日や性別など間違えないようにして下さいね」


「私に妹が出来るとは思ってもいなかったなぁ」

姉ちゃんがそう言うと、


「本当ですね」

先生は微笑し話を更に進めた。


「ここからは私の提案なんですが、ひかるさんを養子に迎え入れたことにするというのはどうでしょうか?」


「養子ですか?」


「そうですお父さん、例えばこういう話はどうでしょうか?」



ここから少し、岩田先生の作ったお話にお付き合い下さい。





「表の張り紙を見たのですが私を雇ってもらえないでしょうか?」


学制服を着たひとりの少女が作業場の前に立っていた。


「お前さん年はいくつだい?」


「16歳です」


「高校生は学校で勉強でもしてればいいじゃねえか」


「はい、その勉強をする為に学費が必要なんです」


「そんなもん親に払ってもらえばいいだろう?」


「私の両親は先月交通事故で亡くなりました」


その言葉を聞いて言葉に詰まるお父さん。


「私は頼れる親戚もいなくて、しかもひとりっ子なので自分で生活費を稼ぐしかありません」


「学費に生活費、とてもうちで働いてまかなえるとは思えねえな」


「両親が残してくれたお金が多少あるので大丈夫だと思います」


「でもなあ、その年でうちの仕事はちょっと厳しいかもしれねえぞ」


そこへ、後ろで聞いていたお母さんが口を挟んできた。


「父さん、雇ってあげればいいじゃない」


「お前なあ、そんな簡単に言うなよ」


「大丈夫よ、あなたにもできる仕事はあるから」


「本当ですか?私何でもやります。一生懸命働きます!」


「何だか勝手に話が進んでるなあ、ところであんたの名前を聞いていなかったな」


「ひかるです!ひかると言います‼」


「それじゃあひかるちゃん、明日から働けるかしら?」


その言葉を聞いた少女は満面の笑みを浮かべながらうれし涙をこぼしていた。


それから半年後、少女は住み込みで働くようになり家族の一員のようになっていた。


「ひかるちゃん、ちょっと話があるんだけど」


お母さんがひかるを居間に呼ぶと、そこには家族全員が集まっていた。


「お父さん」

そう母さんが呼びかけると、お父さんはこう切り出した。


「ひかる」


「はい」


「うちの養子に入らないか?」


「え?」

ひかるは耳を疑った。


「瞳も亮太もお前の事を本当の妹だと思っている」

それを聞いた姉と弟は笑顔で頷いた。


ひかるの目から涙がこぼれる。


「いや、別に嫌なら今のままでいいんだぞ。ただ俺はひかるに五十嵐家の一員になって欲しくて言っただけだ、だから泣くな」


そう言ってうろたえるお父さんにひかるは言った。


「違うんです」


「え?」


「嬉しくて泣いてるんです」

ひかるは笑みをこぼしながらそう答えた。


「そ、そうか!」

と安どした様子のお父さん。


こうしてひかるは五十風家と家族になった・・・





「というのはいかがでしょうか?この方がこの先、例えば親戚の方や知り合いに会った時に話を合わせやすいし疑われにくいと思うんですよね」


「養子ですか・・・」

父さんは渋い顔をしていた。


僕は少し考えた後、


「先生、それでお願いします」


「本当にそれでいいの?」

母さんが僕に聞いた。


「実子だと先生の言う通りこの先辻褄が合わなくなってしまうことが起こるかもしれないし」


姉ちゃんも僕の意見に賛成してくれた。


「実の息子であることはこれからも永遠に変わらないんだからさ」

僕が笑顔でそう言うと、


「そうね」

と母さんも笑顔で答えてくれた。


その様子を見ていたら先生は、


「それでは養子にしておきますね」


「お願いします」

僕はそう答えた。


「それとドナーには日本への渡航歴がなかったので、おそらくですが今のひかるさんを知っている人はいないと思います」


「そうですか」


「ただドナーは日本語が堪能だったらしいので友達がいないとは言い切れません。もし知っている人に出会った時は素性がばれないように気を付けて下さい」


「分かりました」


「学歴は小学校と中学校そして高校は今は廃校になった東京の学校を卒業したことにしておきます。大学はひかるさんの出身大学で問題ないのでそのままにしておきますね」


「大学は大丈夫なんですか?」


「まあ深く詮索しないで下さい」


「はい、分かりました」


先生の顔を見てこれ以上聞かない方がよさそうだと察した僕はこれ以上聞くのを止めました。


「警察に深いところまで調べられると万が一ということがありえますのでなるべく警察のお世話にはならないようにして下さい」


「はい」


「今までに取得した資格は当然使えないのでご了承下さい。パスポートの更新も3ヵ月待って下さい」


「はい、でも帰りはどうしたらいいのでしょうか?」


「それなら大丈夫です」



そして今、僕達家族は某国の国際空港にいる。


空港には組織の用意したプライベートジェット機があり、根回しもしっかりとされていた。


当然着陸する日本の空港も。


帰りの飛行機の中で僕は岩田先生と交わした最後の会話を思い出していた。


「先生、最後にどうしても聞いておきたいことがあるんですけど」


「何でしょうか?」


「死んだ僕の体を治してから魂を僕の体に再移植することは出来なかったのでしょうか?」


「魂は一度離れたら元の体に戻ることは出来ないようです。それが出来るのなら皆にそうしていますよ」


そう言った先生は微かだが笑みを浮かべていたような気がした。


それは神には抗えないと悟った表情のようにも見えた。


まもなく飛行機は成田空港に着陸する。


「日本に帰ってきたぁ!」


僕は喜びを抑えることが出来なかった。


その様子を家族は優しく見守ってくれた。





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