第2話

それから3日が経った。


午前中の取引をしている時、胸部に強い絞めつけと圧迫感を感じた。


この症状は3年前からあった。


安静にしていると治まるし、取引の時間を無駄にしたくなかったので病院には行かなかった。


でも今日の痛みはなかなか治まってくれない、冷や汗も出てきて吐き気もする。

これはさすがにやばいと思った僕は、かかりつけになっている病院もなかったので迷わず119に電話をかけた。


「はあ、はあ、胸の絞めつけと圧迫感が収まらないんです」


呼吸が荒くなっていることに僕自身気が付いていなかった。


「ほかに何か症状はありますか?」


と話しかけてくる電話越しの相手に答えようとしたが、言葉を発するのも辛くなってしまった。


「もしもし、もしもし!大丈夫ですか⁉」


問いかけに返事をすることなく僕は気を失って倒れてしまった。



目が覚めると僕は病院の集中治療室の中にいた。


「五十嵐さん聞こえますか?」


看護師さんの問いかけに頷くと、


「今、先生を呼んできますね」

看護師の女性は優しく微笑んでこの場から離れていった。


それから5分位経っただろうか、医者らしき30代ぐらいの男性が僕の寝ているベッドの横へとやってきた。


「五十嵐さん、今の気分はどうですか?」


「そんなに悪くないです」


「そうですか、まだ胸部に絞めつけを感じたり吐き気がしたりしますか?」


「今は大丈夫です」


「そうですか、それじゃあ五十嵐さんこのまま入院しましょう」


「え?」


「明日詳しく検査をしてから今後のことを決めましょう」


僕の中で入院という選択肢が無かったので直ぐに答えることが出来なかったのだが、


「はい、分かりました」


僕もこの機会に検査をしてもらえるならと思い、先生の言葉に同意した。


病院に駆け付けた家族にも先生は同じ説明をしたそうだ。



翌日、精密検査を受けた後、僕は一般病棟に移された。


検査後眠ってしまった僕が目覚めると、そこには心配そうに僕を見つめる母さんの姿があった。


「よく眠れたかい?」


「母さんこそ寝てないんじゃないの?」


「大丈夫よ、私たちはちゃんと家でぐっすり眠ってきたから」


「父さんも来てたんだね」


母さんは頷くと、15時に瞳と亮太も来るからと言っていた。


「15時に先生からお話があるんだって」


「そうなんだ」


家族全員で聞く話、僕は重い病気になってしまったんだと思った。


それを察した母さんは、僕の頭を優しく撫でながら、


「大丈夫、大丈夫」

と優しい声でそう言った。


15時になる少し前、姉ちゃんと弟がやって来る。


僕の顔を見た姉ちゃんは、


「大丈夫そうやな」


「何で関西弁なの?」


「何でだろう?」


何時もと違う姉ちゃんとのぎこちないやり取り。


そこへ看護師さんがやって来て、


「御家族の皆さんはお集まりになりましたか?」

と確認した。


「それでは先生からお話がありますので案内しますね」


「よろしくお願いします」


母さんは頭を下げた。


「五十嵐さん歩けますか?」


「はい、大丈夫です」


僕はベッドから降りて立ち上がった。


「無理はしないでくださいね。辛かったら車いすを用意しますから」


「大丈夫です、今は調子がいいですから」

と僕は笑顔を作ってそう答えた。



看護師に案内され同じ階の病室棟の一番奥にある部屋にやって来た。

部屋に入ると僕を最初に見てくれた30代の男性の先生が座っていた。


「どうぞお座りください、椅子足りますかね?ちょっと椅子をあと2つ用意して差し上げて」


看護師はテキパキとパイプ椅子を組み立て並べてくれた。


「わたくし五十嵐さんを担当します橋本と言います、よろしくお願いします」


「よろしくお願いします」


僕や家族の皆も頭を下げた。


橋本先生は液晶画面を使って説明を始めた。


「五十嵐さん、病名から言うと心筋梗塞です」


僕は相当やばい病気を想定してたけどそれをはるかに上回った答えが返ってきたと思った。


「五十嵐さんの心筋梗塞はだいぶ進んでいます。何か自覚症状はありませんでしたか?」


「3年ぐらい前から自覚はありました、ただの胸痛だと思ってました」


「そうですか」


橋本先生は画面に映った僕の心臓を指で指して色々と説明してくれた、だけど僕は動揺してしまって頭に入ってこない。

ただ、決して良い状態ではないということだけは理解した。

先生は僕にこう告げる、


「はっきり言います、根治は難しいです」


それを聞いた母さんが先生に尋ねる、


「それはもう助からないってことですか?」


「いや、あるにはあるんですが」


「何か特効薬はないんでしょうか?」

と父さんが尋ねる。


「薬では難しいですね」


「それじゃあどうすれば治るんでしょうか!」


父さんが強い口調でそう言うと、先生はこう答えた。


「心臓移植しかないです」


「移植すれば治るんですか?」

母さんがそう言うと、


「心臓移植が成功すれば今よりずっと体の調子は良くなります。ただ日本は圧倒的にドナーの数が少ない」


「それって移植を待っていても間に合わないかもしれないこともあるってことですよね」

と姉ちゃんが言う。


「お姉さんの言う通りです」


姉ちゃんの質問に答えた橋本先生は僕の目を見て名前で呼んだ。


「光さん」


「はい」


「心臓移植を希望しますか?」


僕の答えは迷わず、


「はい」

の一択だった。


僕はまだ生きたい、生きてやりたいことがまだまだ沢山あるんだ!


「分かりました、ただこれだけは頭に留めておいてください。光さんに適応するドナーでないと移植は出来ません。でも諦めず希望を持ち続けてください」


僕の顔を見ながら先生は話を続けていたが、正直ショックが大きすぎて先生の話をあまり覚えていなかった。



それから3か月が過ぎた。


姉ちゃんが見舞いに来てくれていた。


僕は病室の窓から外を眺めている。


「金持ちはいいね、こんなに立派な病室にいられるんだから」


僕は個室の病室に移った。


「今日はパソコンをいじってないんだね」


「もう1時間使っちゃったからね」


「そっか」


僕の生活はただ待つのみ、1日に1時間だけパソコンの使用許可をもらった。

パソコンを使わせてほしいと先生に言ったら先生はあまりいい顔をしなかったけど、


「何もしないでただ待っていることの方がストレスです」


そう言ったら先生は1時間の条件付きで許可をしてくれた。


リクライニングベッドの上体を起こして外を眺めている僕、


「もうちょっと端に寄ってくんない?」


そう言って僕の横に寄り添うように体を寄せてきた。


「ちょっとどうしたの?」


「いいからもうちょっと端に寄んなさい!」


仕方なく体をずらす、


「本当に光は真面目だよね」


「何処が?」


「そういうところだよ」


「どういうこと?」


「約束を守るところ」


僕は何も言い返さなかった。


「ネットの検索履歴を消すの止めたんだね」


姉ちゃんは何故か僕のノートパソコンをベッドに持ち込んできていた。


「プライバシーの侵害だぞ」


僕はずっと力のない声で姉ちゃんと話している。


「今までは履歴消してたじゃん、どうして止めたの?」


「面倒くさくなったから」


「そうなんだ」


姉ちゃんは僕の検索した履歴を見ていた。


そこには心筋梗塞と心臓移植に関することがずらりと並んでいた。


「焦るよね、不安になるよね」


僕はまた黙る。


「家族には弱音を吐いていいんだよ」


姉ちゃんが僕に優しい言葉をかけてくれる。

だけど僕には何て答えればいいのか返す言葉を見つけることが出来なかった。



それからもドナーが見つかることはなく月日は流れていった。



僕の日課はネットで心疾患の検索をすること。


そこで、つい最近【心疾患や臓器移植でお困りの方へ】というサイトを見つけた。

どうして今まで気が付かなかったのだろう?

検索順位が低かったから検索に引っかからなかったのだろうか?

そう思いながらカーソルを合わせクリックしてみた。


すると、「100億円で人生続けてみませんか?」とだけ書かれている画面が出現した。

それを見た僕は、これは怪しいやつだと思いパソコンの電源を切ってしまった。


次の日も心疾患について調べていると、そのサイトが気になってしまい検索してまたクリックしてみた。


「100億円で人生続けてみませんか?」と表示された画面が出現する。

カーソルを合わせてみる・・・のだが僕はクリックするのをためらいまたパソコンを閉じてしまうのだった。



それから3日後パソコンを開き検索サイトで「心疾患でお困りの方へ」と入力する。

「100億円で人生続けてみませんか?」の表示にカーソルを合わせる。

少し躊躇したのちクリックをしたら電話番号と短い文章がこう記されていた。


「心臓移植が間に合わない人の力になります」と、


僕は電話番号をメモ帳に書いて病室の隅にある棚の引き出しに閉まった。



数日後、弟の亮太が訪ねてきた。


「調子はどう?」


「悪くないよ」


「そう、それなら良かった」


「そうだ兄貴、パソコンで調べたいことがあるんだ。借りてもいい?」


「棚に置いてあるから勝手に使っていいよ」


弟はパソコンを手にすると、電源を入れてネットで何か検索をし始めた。

調べものが終わったのか弟はパソコンを元の場所に戻した。


「しばらくパソコン使ってないんだね」


「履歴調べたのか?お前もお姉ちゃんと同じことするんだな」


「怒った?」


「別に怒ってないよ」


僕はあれから1週間パソコンを使っていなかった。

電話を掛けようか掛けまいか、問答を繰り返していた。

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