第1話

季節は真冬、代官山のとあるカフェ


「ブレンド珈琲お待たせしました」


「有難う」


注文の品をお客に届けに行った女性に男性社員が言った。

「オーナー!アルバイトの仕事をとらないで下さい‼」


「いいじゃん!現場が好きなんだから」


「でもアルバイトの女の子が困ってるじゃないですか」


するとアルバイトの女の子が「大丈夫です」と言って空席のテーブルを拭き始めた。


「あの子もああ言ってるわけだし」

そう言ってオーナーは次の注文の品をお客に届けに行った。


その様子を見た男性社員はため息をついた。


オーナーは自由気ままに店内を歩き回る。するとオーナーが向かった先からこんな声が聞こえてきた。


「ひかるちゃん今日も美味しい珈琲を有難う。それにしても今日も一段と綺麗だね!」


「有難うございます」

笑顔で応対するオーナー、


そんな光景を見ていた男性社員は、オーナーがいると売り上げが上がるから良いかと思いオーナーをほおっておいて自分の仕事に集中することにした。


実際にこの店の売り上げの2割ぐらいはオーナー目当てでやって来る客が占めている。しかも男女問わずオーナーの美貌に心を奪われてしまうらしいのだ。


そんなことを言っているとそこの女性客が、


「ひかるさんは今付き合っている人いないんですか?」

とオーナーに尋ねる。すると、他の男性客からも、


「それは俺も聞きたいな!」

と声が上がる。その質問にオーナーは、


「秘密」

そう答えてにっこり笑った。


男性客からは彼氏がいないなら付き合ってほしいというぼやきが多数聞こえてきた。



カフェの名前は珈琲ひまわり、オーナーが無類の珈琲好きで一度でいいからお店を持ってみたかったという理由から始まったお店。


店の雰囲気はとてもアットホームで、店の従業員もオーナーが店の雰囲気を明るくしてくれそうな従業員を人選したのだ。


「今日も充実した一日だったな」

そうつぶやくオーナーであるが、昔は今とは全く異なる仕事をしていた。


それを語るには・・・


そうだなぁ・・・ここから先はオーナーに語ってもらうことにしよう。


そういうことだから続きを語ってもらってもいいかな?


「何?僕の話を聞きたいって?そうだね、そうしたら数年前まで遡らないといけないけどいいかな?」


よろしくお願いします。


「分かったよ、それじゃあ始めようか」



僕の職業は株のトレーダーで資産は200億円を優に超えていた。

家族は父さんと母さん、姉ちゃんと弟、そして僕を加えた5人家族。

東京の下町に祖父が建てた3DKの2階建ての一軒家で僕は育った。

家は築65年を超えたかなり年季の入った木造の家だった。

父さんは自動車の部品を造る下請けの工場を経営していた。

母さんは専業主婦。

裕福と言える生活ではなかったが、


「私立以外の大学だったら学費を出してやる」


そう父さんに言われた僕は、猛勉強をし都内でも有名な進学校の都立高校を受験し合格すると、高校では常に学力テスト校内ベスト3をキープ、現役で東大に受かることが出来た。


東大で文化二類から経済学部に進んだ僕は、昼は経済の勉学に励み、夜は経済に強い新聞社でバイトをこなして株の取引に必要な知識と資金を蓄えた。


大学を卒業後、資金がまだ少なかったので大手の商社で働きながら夜間に株の取り引きをしていた。


豊富な資金を蓄えた僕は24歳で会社を辞めて、都内の23区内にマンションを借りて自宅兼仕事場とし、本格的な株の売り買いを開始。

世間で言う個人トレーダーになった。


そして27歳の時、総資産200億円を超える億トレダーになることが出来た。


今は、恵比寿にある3LDKのマンションを購入し、そこで生活と仕事をしています。

8畳の仕事部屋には複数の液晶パネルとパソコンがあり、寝室には本棚とキングサイズのベッドが置いてある。約20畳のリビングには大型の液晶テレビがあるのだが、娯楽としてテレビを観るのは週に2時間程度で、仕事に関係する番組やネット動画を見る時間の方が長かった。


もうひとつある部屋は空き部屋で、姉ちゃんや弟が来た時の為に押し入れに布団が入っているだけだった。


因みに両親は一度も泊りに来たことはない、父さんに関してはマンションに来たことすらなかった。


理由は知らないけど、父さんは都会じみた場所が苦手なんだと思う。東京都民なのだけれどちゃきちゃきの江戸っ子なんだろうね。



土曜日は休みのため目覚めが何時もより遅い、だいたい午前10時頃まで寝てしまう。


疲れているのだろうか?


体をそんなに動かす仕事ではないが、パソコンの液晶画面と向き合いながら数千から数億単位のお金を動かしているのだから精神的な疲れは相当溜まっているのかもしれない。


なので土曜日はなるべく実家に帰ってリフレッシュするようにしている。


夜に何も用事が無ければ泊ることもしばしばである。


恵比寿から実家のある西葛西へ。


西葛西の街を歩いているとインド人とよく出会う。


IT関係の企業に勤めるインド人が増え始めたのがきっかけと聞いたことがある。

インド人が経営するカレー屋やインド料理屋が多数あり、本場の味が楽しめると地元以外からも人が集まってくる。


駅から歩く事約10分、何時見てもぼろい・・・じゃなく年季の入った実家だ。


ガラガラガラ、引き違い戸を左から右へ。

今まで扉に鍵がかかっていたことがほとんどない。


「ただいま」


「おかえり」

真っ先に母さんが出迎えてくれる。


居間に行くと座布団の上に胡坐をかいて座りながら新聞を読んでいる父さんがいた。


「おかえり」

新聞に視線をやりながら僕に言う。


「ただいま」と返事をした僕は父さんとテーブルを挟んだ向かい側の座椅子にもたれかかると、テーブルの上の木の器に手を伸ばしてみかんをひとつ掴んで皮をむいた

僕は淹れたてのお茶を差し出してくれた母さんに、鞄から取り出した封筒を手渡した。


「お疲れ様でした」

母さんはそう言うとタンスの引き出しを開けて封筒をしまった。


僕は実家に毎月10万円入れている。

きっかけは僕がお金を出すから家を建て替えようと言った事からだった。最初は父さんに猛反対され、


「じゃあ100万円仕送りさせてくれ」

そう僕が言ったら、


「100万円だと?ふざけるな俺の稼ぎだけで充分食っていけらあ!」

と怒鳴られてしまい、


それを聞いていた母さんが、

「光もお金を稼ぐようになったんだし少しだけ入れてもらいましょうよ。10万でどうかしら?毎月もらってもいいのかい?」


「ああ、大丈夫だよ」

僕がそう答えると父さんは顔を背け、読みかけの新聞を広げて読み始めた。つまり母さんがその場を収めてくれたという訳です。


「姉ちゃんはいるの?」

そう母さんに尋ねたのだったけれど・・・・


そういえばまだ家族の紹介をしていませんでした。


まずは僕から、名前は五十風 光(いがらし ひかる)現在27歳 性別は男。

父さんの名前が哲也(てつや)59歳

母さんが由美子(ゆみこ)55歳

姉ちゃんが瞳(ひとみ)28歳

弟が亮太(りょうた)21歳

以上の5人家族です。


瞳姉ちゃんはひとり暮らしをしていたのだが、家賃がもったいないという理由で2年前に突然実家に戻ってきました。


その姉ちゃんは今日は仕事が休みの様で、母さんに呼ばれた姉ちゃんが今にやって来た。


「姉ちゃん元気そうだな」


「まあね、光は少し痩せたんじゃない?」


「そうかなぁ」


「ちゃんとご飯食べてるの?」


「ちゃんと自炊して食べてるよ」


自炊、これは僕がひとり暮らしをする際に母さんが唯一付けた条件だった。


「冷えたご飯を買わないでちゃんと温かいご飯を食べなさい」

母さんが僕を思って言ってくれてた言葉だとちゃんと理解しています。


「そういえば亮太は?大学にちゃんと行ってるの?」

そう僕が尋ねると、


「サークルがなんちゃらかんちゃら言ってたわね」

母さんが答えてくれた。


「どうせ遊んでるんでしょう」

姉ちゃんはみかんを食べながらそう言っていた。


「それより仕事の方は順調なの?」

まだみかんが口の中に入った状態で姉ちゃんが僕に聞いてきた。


「おかげ様で今月もバッチリ稼がせてもらいました」


「椅子に座ってるだけで金儲けができるなんて羨ましいものね」

そういう姉ちゃんに、


「ただ座っているだけじゃもうからないよ」

そう答えた僕に姉ちゃんは、


「冗談よ」

そう笑いながら僕に言った。


家族は何だかんだ言うこともあるけど、僕の仕事を認めてくれている。

それは僕の苦労や努力をちゃんと見てくれていたからだと勝手にそう解釈している。


手に取ったみかんを口へと運ぶ、やっぱり家族といるのが一番落ち着く。

実家は仕事でたまったストレスを洗い落としてくれる。

だから僕は毎週土曜日は出来るだけ実家に帰るようにしているのだ。


僕の部屋は弟の亮太と相部屋になっている。

今はすっかり弟の好みにカスタマイズされている。

唯一現状をとどめているのは二段ベッドだけだった。

たまに帰ってくる僕の為に残しておいてくれているのだ・・・と信じたい。


「ちょっと散歩してくる」

そう母さんに告げて実家を出た僕は荒川を目指して歩き始めた。


子供の頃遊んでいた馴染みのある道を辿りながら歩いていると、10分も経たないうちに荒川の河川敷にたどり着いた。

どこか座れるところがないか探しながら川沿いを歩く。

少し歩くと木製のベンチを発見し、そこに座るとデジタルな世界とは対照的な川の流れを眺めながら僕の心は癒されていった。


どのくらい時間が経ったのだろう、何も考えずただ川の流れを見ていたら太陽がだいぶ西の空へと沈んでいた。

ジーパンのポケットに手を突っ込んでスマホを取り出し時間を確認すると、午後の5時を過ぎていた。

特に何もすることもなくこの場にいたが、僕にとってとても有意義な時間だった。


「ただいま」

再び実家に戻る。


「兄貴おかえり!」

弟の亮太が大学から帰ってきていた。


「サークルに行ってたんだって?」


「そう、テニスをやっていたんだ!」


「そっちのサークルね」


「何だと思ってたの?」


「飲みの方だと思ってた」


「昼間からそんなことする訳ないじゃん!」


僕自身が大学時代サークル活動に参加したことが無かったのでサークル活動がどういうものをちゃんと理解できていないのかもしれない。


「今日も泊っていくんでしょ?」


「いや、今日は帰るよ」


「ふ~ん、そうなんだ。でも飯は食ってくんでしょ?」


「もちろん!」

僕はそう言って玄関を上がった。


弟の亮太は私立の中堅大学に通っている。

あまり勉強が得意ではなかった弟は大学に入るのに一浪している。

弟が私立に通えているのは僕が学費を出しているからだ。

母さんは説得するまでもなかったが、父さんを説得するのは大変だった。

僕は大学を出ておいた方がこの先人生の幅が広がるし就職にも有利なんだよと父さんに言い続け、一浪までなら許してやるとのお言葉をもらい、亮太はその言葉を守ったのである。


大学に受かった時は家族みんなで大はしゃぎした。(父さんは控えめに)

だって本当に弟は勉強が苦手だったから。


「母さん、ご飯できた?」

と母さんを急かす僕。


「19時まで待ちなさい」


そう、我が家の夕飯は昔から19時と決まっていた。

台所から母さんの声、僕にどこに行っていたのか聞いてきた。


「荒川に行ってきた」


「体が冷えただろう、お風呂に入ってくれば?」


そう、今は11月。

川沿いに吹く風で体がすっかり冷えてしまった。


「そうさせて頂きます」


服を脱ぎ浴室に入った僕は、湯船からお湯をすくって体の汚れを流し湯船につかった。

それはそれは極楽な気分だった。

冷え切った体も温まり、頭と体をきれいに洗った僕はもう一度湯船につかった。


風呂から出てきた僕に母さんが冷たい麦茶を出してくれた。

本来なら、ここでビールといきたいところなのだが僕はアルコールが苦手、だから母さんはいつも僕の為に麦茶を用意してくれた。


夕飯まで居間でテレビを観ていた。

父さんはまだ新聞を読んでいる。

娯楽番組を観るのは実家ぐらい、僕の家でもテレビを観るがユーチューブ動画やネット配信サービスで映画をたまに観るくらいだ。


さあて、テレビを観ている間に食卓の上に夕飯のおかずが出そろった。

家族も全員集まり机を囲んで着席した。


「頂きます」

そう父さんが言うと、


みんなで声を合わせて、

「頂きます」

と言うと、僕は白米を口に頬張った。


今日のメインのおかずは鶏のから揚げだ。

そのから揚げを箸でつまんでひとかじり、口の中に肉汁があふれ再びご飯を脳が欲する。


味噌汁も何時もと同じ味、これぞ母さんの味噌汁。

家で作ってもこの味が出せないんだよなあ。


「光、彼女は出来た?」

姉ちゃんからの不意を突く質問が飛んできた。


「今はいないよ」

里芋の煮物を頬張りながら僕は答えた。


「あんた大学卒業してから彼女がいたことあったっけ?」


「ひとりいたよ」

まだ里芋が口の中に残っている。


「そうだったけ?」


「言ったことなかったっけ?」


すると姉ちゃんは、

「聞いたことないよね、ねえ亮太」

と弟に話を振った。


すると弟は、

「ないね」

淡々とそう答え夕飯を黙々と食べ続けていた。


「何で別れちゃったの?」

しつこく迫る姉ちゃん。


「そんなの分からないよ」


「何で?」


「家族そろって食事している時に話すことでもないだろう」

そう僕が答えると、


「大学の時の彼女と同じ理由じゃないの」

そう弟が言い、姉ちゃんも頷いていた。


大学の時に付き合っていた彼女は僕がアルバイトにのめりこみすぎて別れてしまった。

僕は心の中で理由は分かっていますと呟いた。


夕飯を食べ終えた僕は、テレビを観ながら家族団らんのひと時を過ごしマンションに戻ることにした。


「それじゃあまた来るから」

僕がそう言うと、


「今度は何が食べたい?」

と母さんが聞いてきた。


「ちょっと母さん光のこと甘やかしすぎじゃない?」

と姉ちゃんが小言をひとつ。


「豚肉の生姜焼きが良いな」

そう答えると、


「了解!」

母さんはそう言ってにっこり笑った。


帰り際、


「姉ちゃんも早く彼氏見つけなよ!」

と余計な一言。


すると、姉ちゃんが怖い顔をして今にも玄関を飛び出してきそうだったので、


「じゃあ皆おやすみなさい!」

急いで引き戸を閉めて実家を後にした。


帰りの道中、姉ちゃん美人なんだけどどうして彼氏が出来ないんだろう?そんなことを考えながらマンションへと帰った。




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