最終話 つまんな! めちゃくちゃつまんな!

 『第一回~エミ氷河の不思議な笑いの世界~開催です!』


 別室のモニター越しに、春日友一はエミたちの様子をうかがっていた。


 ――――承太郎が面白い話を持った人を集めると言った時、同じように友一はその会に参加しようとした。

 「僕も参加させてください!」

 「友一さん。気持ちは分かりますが、あなたはご遠慮ください」

 「どうして?」

 「エミさんの精神はもうほぼ危篤に近い状態です。そこで、少しでもあなたの声やまして顔を見たとしたら、どれだけ甚大な影響をこの世界に及ぼすことか……」

 「うっ……で、でも。それでも俺は……!」

 「友一君」

 「美里……」


 美里はそっと友一の硬くなった右手を握った。


 「あなたがエミに話をしたい気持ちは分かるわ……でも、今はそっと見守っておいた方がいいと思うの」

 「だけど……」

 「あの子の状態が安定してから、もう一度話せばいいわよ」

 「でも、もしあいつがこのまま目を覚まさなかったら!」

 「絶対にそうはさせないわ! 私を信じてちょうだい」

 「美里……」

 「こう見えて摩訶不思議な体験はしてきたのよ。借金生活で食パンの耳をパン屋さんからタダでもらって飢えを凌いだことだって、今思えば笑い話よ!」

 「お前……本当に苦労させたな……」

 「そんな悲しい顔しないでちょうだい。もっと笑顔で話さなきゃ、エミも笑ってくれないからね!」


 美里は頬を赤らめて満面の笑顔で答えた。

 友一は分かったとだけ呟き、美里にこの使命を託すように硬く手を握り返した。――――


 「……美里、エミの事を頼む」


 モニターには円形のポケットにサイコロが転がり、一人目のスピーカーが決定した。


 「では、僕から。これはある日の夕方に飯を食いに行こうとラーメン屋に寄ったんですね。そこは家系ラーメンのお店だったんですが、メニューを見ると『真・家系ラーメン』というのがあって――――」


 一人目の奇怪な話が終わり、二人目の奇怪な話も終わる。三人四人と次々に話をするがエミが笑う気配は微塵もなかった。

 それどころか、部屋の温度は急激に下がっていきとうとう床が凍り付いてしまった。

 そして五人目のスピーカーを決めるため、聡がサイコロを手から放した瞬間。


 「もういい」


 それはエミのか細い声だった。


 「エミ!」

 「エミさん!」


 エミは目をつぶったまま徐に体を起こした。


 「もういいよ。私のためにここまでしなくて。私を治すためにこんなに人が集まってくれるなんて……」

 「そうなんだよエミ! みんなエミのために来てくれたんだ。俺だけの力じゃ笑みを元気にはできない。でもみんなに声を掛けたら、エミのために動いてくれたんだ!」


 承太郎が張りきった声で言った。

 エミが起き上がってくれたうれしさもあったのか、言葉がまとまってはいなかったが、熱意は感じられる、そんな発言だった。


 「こんなに人が集まってくれるなんて……、なんて私は情けない人間なの!!」


 エミは両手で顔をふさぎ、さめざめと泣き始めた。


 「エミ……」

 「自分の病気すら自分一人で治すこともできないなんて。それに初対面の人の迷惑もかけて、私のために面白い話を持ってきてくれてる優しい方々なのに、私のせいでこんな寒い思いまでさせて……。こんなことならいっそのこと私がいなくなれば……」

 「エミ! そんなこと言うな!」

 「うっさい!」


 エミの怒声は吹雪を纏い承太郎をのけ反らせた。

 エミの剣幕にスピーカーの顔がこわばる。

 ピリピリとした雰囲気に、その場にいた全員が氷漬けにされたようだった。


 「なんで……なんでみんな私に優しいのよ! 私は何の役にも立たない、ただの屑! 穀潰しよ! 働けば借金を背負い、生きてるだけで莫大な医療費がかかる。外に出れば周りを凍らせちゃう災害人さいがいびと! そんな人の……いや怪物のなにがうれしくてみんな構うのよ!」


 吹雪が一層強さを増した。会場中の照明やカメラが揺さぶられ、落ちたり倒れたりした。

 床にはった氷は次第に空気をも凍らせ、ついにはスピーカーの足首まで凍らせてしまった。


 「うわ! 足が、足が凍ってる!」

 「落ち着け、落ち着けエミ!」

 「どいつもこいつもうっさい、うっさい、うっさい! いい加減黙ってよ、私はもう、この世界を氷漬けにするって決めたんだから!」

 

 スピーカー全員がビクッと体を振るわせ、閉口してしまった。


 「私が死んで悲しむというなら、全員と共に逝けば悲しむ人なんていなくなるでしょ! むしろいなくなって喜ぶでしょうけど! だから私もろともみんな――――」

 「エミ……」


 それは温かくやんわりとした声だった。


 「お……母さん?」


 エミはつぶった眼を少しずつ開いていった。初めはぼんやりとしていたが、ようやく焦点が合い、目の前にいる人がはっきりと自分の母だと確認できた。


 「お母さん……なんで?」

 「私もあなたのためにこの会に参加したのよ。あなたを笑わせる、いえ、あなたが笑ってくれるためにね」

 「でも、私笑う資格なんてない! お母さんもみんなにもとんでもない迷惑かけた! そんな私がわらっていいわけ――――」

 「いいのよ。あなたには笑ってほしいもの」

 「どうして。どうしてそこまで私に優しいの!」


 エミは声が裏返ってもなお、必死に言い放った。

 その表情を穏やかに受け止めるように、美里は微笑みながらこう返した。


 「だって家族だもの……」

 「家族……」

 「偶然にも次は私の番みたい」

 「え?」


 円形のポケットに目を落とすと、サイコロの目は氷河美里を示していた。

 美里は深呼吸をすると、眼をつむってゆっくりと喋り出した。


 「あれはそうね、エミが生まれて6か月くらいになったときかしら。離乳食が始まったころで、この子は本当に食べてくれるのかしらと不安に思ってた時だったんだけど、エミはもうそれは沢山お粥やすりつぶした人参を食べてくれたのよ。それでね、私が「美味しい?」って聞くとエミは必ずあることをしたの。覚えてる?」

 「え、全然……」

 「エミはね食べ物がおいしかったり、楽しいことがあると首を左右に揺らすの。まるで病院においてある首を左右に揺らすおもちゃみたいに。もうそれが楽しくて私とお父さんでなんども「美味しい? 美味しい?」って聞いちゃったのよ。何も食べてないときに美味しい? って聞いても、うんうんって言うように首を振るの。すごく可愛かったなあ……」


 エミは、美里の楽しそうに話す姿をまじまじと見ていた。


 「それとね、エミが一歳半くらいになったころ。『ちょうちょう』をエミは一生懸命歌おうとしていたの。滑舌はまだ一歳半だったからおぼつかないけど、音程はぴったりあっていたから「じょうず~~!」ってほめたのよ。そのあと、お父さんが一緒になって歌ったら、私がエミにしたみたいに、エミは拍手をして「じょーじゅー!」ってほめていたの、それも可笑しくて、たまらなくなってお父さんと一緒に大笑いしちゃったわ!」


 美里は目に涙を浮かべて笑いながら話した。

 その涙の理由はどっちなのかわからないが、とにかく美里は楽しそうだった。

 エミの頬が次第に赤らんできた。会場の気温が少しずつ上げってきたのか、スピーカーの凍った足も少しずつ溶けだしていった。

 ただひとつエミは引っかかっていた。


 「お父さんと一緒に……?」

 「そうよ。お父さんはいっつもエミと一緒に遊んでいたり、駆け引きもしていたわわ」

 「駆け引き?」

 「ごはん好きのエミが突然食べなくなっちゃったときに、お父さんがこんな遊びをしたの」


 美里はスプーンをもつジェスチャーをして、物まねをし始めた。


 「まんま列車が通りまーす、次はエミ駅~エミ駅。エミトンネルを抜けたらエミ駅に到着デース。なんていいながら、エミが自然と口を開けるのを待っていたりしたの。ようやく開けてくれてご飯を食べたら、エミはまた首を左右に振ってたのよ。それみて私たちほっこりしたの……」

 「そんなことが……」


 エミはうなだれて、点滴の注射が差し込まれた腕を見つめた。

 そして、その手を軽く握り、決意を込めたように美里にこう言い放った。


 「最後に。もしこれが最後の願いになるなら、一度お父さんと話をしたい」


 場の空気が一瞬凍ったが、それは恐怖ではなく、驚愕によるもの。そしてじわじわと空気が溶けていくような気がした。

 だが、承太郎や明子など、エミと友一の間にある軋轢を知る者にとっては、生死どちらにも転がる一発逆転の提案だった。


 「ねえ、いるんでしょお父さん」

 「……!」


 美里を始めスピーカー全員がびくついた。それは友一も同じことだった。


 「これまで一切お父さんのことを話さなかったお母さんが、こんなにお父さんの事を話すってことは仲直りか、それに近い何かがあったはずよね。たぶんあそこの監視カメラで見てるんでしょ。…………一緒に話しましょう」


 エミは眉間にしわを寄せ、監視カメラを指さした。

 モニター越しに自分を指名された友一は、ごくりと唾液を飲みこみ、ゆっくりとその部屋を後にした。



 冷気が漏れる扉を押し開け中に入ると、友一だけを見つめた物凄い剣幕のエミがベッドに座っていた。


 「エミ……」

 「お父さん……うっ」


 エミは嗚咽を漏らした。すると再び床が凍り出した。


 「エミ! 大丈夫か、エミ!」

 「大丈夫なことある? どうしてこうなったか、あなたは説明できるでしょ?」

 「そ、それは……」


 友一は言い返すことができなかった。自分の都合で幼い娘に多大な借金を負わせたこと、その責任を取ると言って家を勝手に出て行ってしまったこと、その後エミのいじめや悩みに向き合えなかったこと。全て自分の責任だと、分かっていて言い返せなかった。

 それは自分を守るため? 父として恥ずかしいから? いや、人として自分自身が情けないから、言い返せなかった。

 だからこそ友一は自分の非を認め受け止めて、こう述べた。


 「それは全て俺のせいだ」

 「……!」

 「俺が調子に乗ってエミにベッドコインをやらせ、勝手に借金を作って、責任を取るとか言って勝手に家を出て行ってしまった。家を出て行ってしまっては、責任どころか、無責任だと、今更ながら反省している。それにエミがいじめにあったこと。それもこの前美里から聞いて初めて知った。エミが死を選んでしまうかもしれない、そんな大変な時に、俺がいなかったことに本当に情けないと思った。そして、それがきっかけで、エミが苦しい病に伏すことになってようやくのこのこ現れたことに、自分自身憤りを感じる。本当にすまなかった!」


 友一は深々とお辞儀をし謝罪をした。

 エミは唇をかみしめ、わなわなと震えた左手をベッドに叩きつけた。

 と同時にまたもや強烈な吹雪が会場を包み込んだ。


 「誰もかれも自分勝手で傲慢! どうしてそうも自分に矢を向けることしかできないの!」

 「エミ……」

 「お父さん。私がこうなった理由、お父さんは、自分にあるといったわよね!」

 「ああ」

 「違う! こうなった理由は、お父さんのせいじゃない! お母さんのせいでもない! 誰のせいでもない! …………私のせいなのよ」


 エミの涙が逆さ向けに氷づいた。


 「ベッドコインをしようって言ったのも私。いじめにあったけどやり返さないことを選んだのも私。病気になって結局治そうと思わなかったのも私。全部私が選んだことなの。そして今、私はこの世界を氷漬けにすることを選ぼうとしている。その私が選んだことのせいで、みんな苦しんでる! だったら、少しぐらい私を罵ったっていいのに……。どうしてみんな私を庇ってくれるのよ!」

 「決まってるじゃないか」

 「え?」


 友一は美里や承太郎に目配せをした。三人は同時になって、こう告げた。


 ――――エミの笑顔が見たいからだよ――――


 ふわっと、春風が吹雪を押し上げてエミの顔を包み込んだ気がした。


 「僕は、エミが小さいころから、エミの笑顔が大好きなんだ」

 「エミの笑顔を見ていると、本当に心が温かくなるの」

 「書籍旅行した時だって、俺は絶対にエミが笑ってくれる世界やイベントを探していた。それはエミの笑顔をみるとこっちも物凄く楽しかったり、うれしかったり、そんな気持ちになれるからさ」


 友一、美里、承太郎はゆったりと何かを思い出すように微笑んで話した。

 エミは唖然としてぽかんと口を半開きにしていた。 


 「そ、そんな理由?」

 「そうよ。こんな理由じゃダメ?」

 「簡単なように見えて、簡単じゃないんだぞ。エミを笑わすのは。だって見て見ろ、こんな面白い話を持っている人たちがいて、一笑もしないんだから」

 「床まで凍らせて、話すたびにスベリ散らかすのを物理的に表現しなくてもいいじゃないか」


 本当にそうだよな。それそれ。とスピーカーたちの朗らかな笑い声が会場を包み込んだ。その様子を見ながら、エミは未だにあっけにとられ口を半開きにしている。


 「結局、僕もこの人たちもエミの笑顔が見たくて集まったんだ。人を笑わすというのは全く持って簡単なことではないけど、でもやっぱり笑ってくれると嬉しい。だから、精一杯ボケたりツッコんだり、一緒に楽しんだり、ふざけたりするんだ。エミが笑ってくれると、僕らも笑えるからね」


 エミは半開きになった口を閉じ、冷徹な顔でこう言った。


 「なにそれ結局自己満足じゃない。人を喜ばすためとか言って、自分がうれしい気持ちになるために人を笑わせるんでしょ。傲慢極まりないわね。でも……」

 

 それまで怒りの表情で固まった口角が、緩く、上がった。


 「私の笑顔に、みんなが喜んでくれる不思議な力があるとはね」

 「ああそうだよ。エミの微には、みんなを笑顔にさせる力があるんだ」


「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 シーン――――そんなオノマトペが聞こえるくらい会場は静まり返った。

 しかしその静寂を破ったのは。


 「ぷっ。ぷくくくくく。ふーははははははは!」


 エミの笑い声だった。


 「つまんな! めちゃくちゃつまんな! 過去一で全然つまらないダジャレだったよ、お父さん! つまらなすぎて逆にサイコー!」

 「んな! 今のは意図してやったことじゃ……でも」


 友一も美里も、スピーカーの全員が、エミの大笑いした姿を見て微笑んだ。じわじわとくる友一のクソつまらないダジャレに吹き出すものもいれば、エミと同じように腹を抱えて笑うやつもいた。

 それを見て友一はこう呟いた。


 「エミが、みんなが笑ってくれたからいいか……」


 エミの笑い声は外まで響き、世界中の氷が解けきるまでずーっとこだましていた。

 ビルに張り付いた氷や、野原に積もった雪は溶けだし、雲が一斉に散り散りに消え去り、太陽が顔を出した。

 そして、氷河笑美えみが笑い続けている間、無数のタンポポが町中に咲き乱れた。

 

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