第19話 エミ~その7~第一回~エミ氷河の不思議な笑いの世界~
真っ白な室内に、真っ白なベッド。
脈拍計のピ、ピとなる音だけがこだまする病室。
美里と友一は、断熱ガラスで造られた窓から、苦悶の表情でベッドに横たわるエミを見守っていた。
「エミ……。まさかこんなことになってるなんて」
友一は軽く拳を握りしめ呟いた。
「エミはあの日のことをずっと抱えながら生きてきたの。中学校の時はそのせいで不登校になってしまったりしていたし」
「そうだったのか……。ごめんなエミ。俺の事憎んでるよな……」
エミは汗をたらし、ふーふーと声に出すかのように息をしていた。
首を支える枕が淡い青色のしみになっていた。
「美里さん! ご無沙汰してます!」
「あ、承太郎君と明子ちゃんじゃない。それに、翠……さん? さっきは悪かったわね」
「いえいえ、お構いなく」
翠は、顔一つ変えず会釈した。
「美里さん、エミの様子は?」
「見てのとおりよ、汗だくで苦しそうだわ」
「ほんと……エミ苦しそう。あんなにだらだら汗だくになって……」
明子はガラスに手を触れて、静かに見つめていた。
「エミは……」
承太郎は一度つばを飲み込んでまた言葉を紡いだ。
「エミはこれからどうすればいいんですか?! どうすればエミは元気になれるんですか!」
「それは……」
美里は、言葉を詰まらさた。そして、承太郎の後ろに目線を向けた。助けを求めるように。
承太郎が美里の視線の方向に気づき振り向くと、そこには聡が佇んでいた。
「こんにちは、承太郎さん。エミさんの容体ですが、非常に芳しくありません」
「そ、そんなことは分かってます! だから、これからエミはどうやったらよくなっていくんですか!」
「私たちの方でも、死力を尽くして投薬や施術をしてきました。しかし……大変申し訳ありませんが、もうこれ――」
「そんなことは聞きたくありません!!」
病室中に承太郎の声がこだました。断熱ガラスが微かに震えるほどに。
承太郎の親指が、ぎりぎりと人差し指の肉を押しつぶす。
承太郎は肩を震わせ言い放った。
「投薬とか施術とか、そんなことは当たり前でしょう! エミは心に傷を負ってるんです! ウイルスとか細菌とか、そういった風邪じゃないんですよ! 分かってるでしょう。もっと違う治療法があるはずです! それも全部やったんですか! やっても駄目だったんですか!」
「対症療法、高免疫療法、放射線治療、胸部カテーテル治療、リンパ節生検、全身の癌検査、認知行動療法、対人関係療法、運動療法、薬物療法などなど、250以上の治療法を試しました。しかし、どれもエミさんの体調を良い方向に向かせることはできなかったのです」
「そんな……」
「申し訳ありませんが……本当に手詰まりで……」
聡は、眼鏡のフレームの端を見つめるように視線を逸らした。
承太郎や美里たち全員は、聡が黙るとともに同じように黙ってしまった。
再び、心拍計のピ、ピという音だけが病室から零れている。
天井も床も壁も純白な廊下に、誰もいない待合室に心拍計の音は流れた。
ピ、ピ、ピ、ピ、ピ――
「……ダメです」
「え?」
「ダメです! 諦めてはダメです!」
静寂を打ち壊したのは明子の
「まだやってない治療法があるはずです! 私はお医者さんでも何でもないですけど、何かきっと、良くなる方法があるはず!」
「……」
「エミは自分自身の過ちを後悔している。それを償うために自分を痛みつけているんです。でも、そんなエミは見たくなくて……。彼女は自分の感情とか欲求とかを全然表に出さない。でもなにかしら彼女が必要としているものがあるはずなんです。絶対彼女を良くするヒントがあるはずなんです。そうすればきっと……」
「明子……」
明子は、しゃがれた声で必死に言葉を紡いだ。
一筋の涙が、握りしめた拳にぽとりと落ちた。
明子の強い意志に押されたのか、聡は目頭を押さえつけ、渋い顔をして言った。
「……ただ、これは仮説の段階なのでまだ実証はしてないのですが、一つ行っていない治療法があるのです」
「え! だったら早くそれを!」
「しかしこれには、大勢の人が必要となる。少なくとも9人は……」
「そんなのすぐ集まります! 9人何てクラスに声かければすぐにでも!」
「ですが条件があるのです……」
「条件……」
「それは――」
聡が言い出そうとした瞬間、承太郎のスマホが鳴り出した。
「安富さん? ちょっとすみません……もしもし、安富さん。今ちょっと話せなくて後で――」
「違うんだ承太郎君! ぬくもり病についての本が見つかったよ!」
「え、本当ですか!」
「ああ、この本によると、以前のぬくもり病では虐待にあった少女がその憎しみをうちに込めて大陸中を凍土と化してしまったらしい。でもその彼女も本当はそんなことをしたくなかった。単純にあることを必要としていただけなんだ」
「あることを必要としていた?」
「Laugh is warmth. 「笑いはぬくもり」これが彼女が死の最期に言った言葉らしい。つまり彼女は笑いを必要としていたんだ!」
「笑い……!」
ふと、承太郎の脳裏にあの時の出来事が蘇った。
――――「いや、家」
「家?! あ、子犬の?」
「ううん、軽井沢に」
「一等地?! 無用の長物じゃん」
「そう思ってエミに聞いたんだよ。本当に欲しいものある? って」
「そしたら?」
「『何もいらない。ただ、笑いたい。』だってさ」――――
「笑いだ……! ありがとうございます安富さん!」
「だがその笑いには……」
承太郎は安富の話を途中で切り上げ、スマホを耳から放してしまった。
「笑いですね!」
「え? 承太郎、どゆこと?」
「笑いなんだよ、エミが必要としているものが! エミは何もいらないって、いっつも言ってた。でもそれでもずっと欲しかったものがあるんだよ、それが笑いなんだ!」
「承太郎君の言ってること、ちょっとわからないけど。よくよく考えれば、エミが笑ってるとこって、小学生以来見てないわ……」
「エミは俺と初めて書籍旅行したとき、本当にかわいい笑顔を見せてくれたんです。でもそこからあまりいい笑顔がみれなくて。なんというか作っている感じがして。だから俺も笑みを笑わせたくていろんな小説を読み漁ったんです……。なんで気づかなかったんだ! たぶん、エミは心の底から笑いたいんだと思います!」
「その通りだ承太郎君。エミさんを救うには、笑いによる治療が最後の手段だ。笑いは心筋梗塞や癌の治療にも効果的なんだ。だからぬくもり病にももしやと思ってね」
「だったら、俺も参加します! それにうちのクラスにも面白いやつは一杯!」
「まあ焦らないでくれ。条件があるといったろ」
「そうでした。その条件って……?」
「それは、『誰もが経験したことのない面白い体験』を話すことです」
「誰もが経験したことのない面白い体験……」
「通常の日常から切り取られた面白い話では、おそらくエミさんは満足できません。奇想天外、唯一無二な、そういった体験談が必要なのです。そしてそこにハートフルで温かみがあり、誰も傷つけない内容が好ましく思えます」
「なるほど……」
「そういった話をできる人を9名厳選してエミさんの前で話すことがこの笑い療法になります。集められますか?」
承太郎は涙を拭きとり、キリッとした表情で。
「集めます、絶対に!」
そこから承太郎、美里、友一、明子は自分の知り合いや友達に『誰もが経験したことのない面白い体験』を聞き出した。
そして数日後、承太郎らを含む9名のスピーカーが集まった。
熊沢明子17歳、学生。
近藤達哉32歳、整体師兼、ユーバーイーツ配達員。
大平正樹46歳、会社員。
大平努18歳、学生。
安富望27歳、司書。
紅田渡32歳、アマ小説家。
太田
氷河美里40歳、司書兼、ホステス。
本田承太郎18歳、学生。
総勢9名のスピーカーは、通常の二倍あるカジノテーブルにセットされた椅子に腰かけた。
ディーラー側には断熱ガラスで囲われたエミが、イヤホンをしてベッドに横たわっていた。
テーブルのディーラー側には円形にくりぬかれたポケットがあり、そこに十面体のサイコロが置かれていた。
サイコロの目には数字の代わりに各スピーカーの名前が書かれており、余った一つの目にはハートマークが施されていた。
そして全員の準備が整った。
「それではただいまより、『第一回~エミ氷河の不思議な笑いの世界~』開幕です!」
「ダーダッ、ダッダラダラダダーダッ、ダッダラダラダダーダッ、ダダーラ!」
軽快な音楽とともに、眼鏡をかけた白衣姿の医師、
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