第18話 エミ~その6~まだ、笑っていたい

 「体内温度急上昇! 大概温度急降下! 心拍数350、血圧上580、下760。凄まじい勢いで呼吸器官が侵食されています!」

 「急いでラフカターゼを300ml投与しろ! それと、超断熱防護服を全員分用意だ! 氷河さん、氷河さん! 聞こえますか。大丈夫です絶対あなたを助けますから!」


 頭がボーっとするせいか、医者や看護師の慌ただしい声がバイノーラルのように聞こえる。

 起き上がることもできず、声を出すことすらできない。自分の心臓が握りつぶされそうで破裂しそうな訳の分からない痛みが私を蝕んでいる。

 かろうじて目を見開くと、ストレッチャーが通った廊下が、あたり一面氷漬けになっていた。

 

 「氷河さん! 気づきましたか。今手術室に着きます! 大丈夫ですあと少しの辛抱ですから、絶対あきらめないで!」


 防護服越しに大声を出している聡さんの姿がぼんやりと見えた。

 聡さんは、一緒にストレッチャーを押す看護師やら医師たちに怒声を飛ばすほど慌てふためいていた。

 

 (何を諦めるというのだろう。……ああそうか。私はとうとう死の縁に立たされてしまったのか。

 心臓が確かにこれ以上ないまでに痛い。身体もマグマに落とされたと思うくらい熱いし、体は南極の海に落とされたと思うくらい寒い。

 でもなんだかこの暑さと寒さがちょうど交わっている部分が、ぬるま湯につかっているように心地いい。

 このまま温泉に入ったような気分で死ぬのは、悪くないかも……。)


 私はそのホッとするような温かさを感じながら目を閉じた。

 すると、徐ろに浮かび上がってきたのは、友達と一緒に遊んだ思い出、承太郎と本の世界を旅歩いた思い出、そして小学生のころ父と母と一緒に過ごしたあの家での思い出だった。

 その一つ一つの思い出に共通して見えてきたのは、友達と、承太郎と、父母の笑顔、そして、私の笑顔だった。


 (…………まだ、笑っていたい)




 ――――品切ピンキリ高校の図書館で、安富と承太郎が立ち話をしていた。


 「ええ。だって、氷河エミさんって、氷河美里さんの娘さんですよね」

 「そうです! 美里さんのことも知ってるんですか?」

 「ええもちろん。だって美里さんはここの司書さんですから」

 「ええ?! そうだったんですか。知らなかった。世間ってなかなか狭いですね」

 「確かにそうですね。それで、エミさんがどうかされたんですか?」

 「いえ実は、エミは今入院しているんです。僕は優秀な医者じゃないんで何もできないですけど、少しでもエミが喜んでくれるならと思っていつもいろんな小説の中に入って体験した出来事を話してるんです」

 「なるほど」

 「今まではエミも一緒に言ってたんですが、最近は頻繁に発作が起こるようで一緒に行けないんです」

 「そうだったんですか。失礼かと思うのですが、エミさんってどういったご病気で?」

 「ぬくもり病という病気なんです」

 「ぬくもり病? 聞いたことないですね」

 「ですよね。僕も初めて知りました。なんでも特効薬や治療のすべがないという難病らしいんです」

 「それほど重篤なご病気に……」

 「ええ。体内温度が40度以上、酷いときは80度にまで上がるのですが、表面温度がマイナスになって、あたりを凍らせてしまうという訳の分からない病気なんです」

 「な、なんですかその奇病……」

 「でも、あいつも頑張って生きようとしているんです。だから、少しでもあいつを笑顔に出来たらと思って……」

 「なるほど……お優しいですね。私も何かご協力しますよ。くしくもここは図書館です。その病気について調べることぐらいしかできませんが、ご協力させてください!」

 「本当ですか! とても頼もしいです。ありがとうございます」


 承太郎が小さくお辞儀をすると、承太郎のスマホの着信音が鳴り響いた。


 「ちょっと、すみません。……はい。本田です。……え、エミが? ……はい、はい。分かりました。すぐ行きます!」

 「どうされたんですか? 今美里さんから電話があって、エミの容体が急変したって言う連絡が」

 「本当ですか! だったら早く行ってください! 私はここでその病気についてとことん調べますから! 何かあったらこの電話番号に連絡ください!」

 「すみません。ありがとうございます。あ、僕の連絡先も置いておきます!」


 承太郎は電話番号をメモ帳に走り書きし、受付台に叩きつけた。

 

 「それじゃあ行ってきます!」

 「行ってらっしゃい! 早く饅頭怖いの話を聞かせてあげてください!」

 「はい!」

 承太郎は疾風の如く走り去っていった。

 口から洩れる吐息がダイアモンドダストとなり棚引いていた。



 ――――河川敷を手を繋ぎながら美里と友一は歩いていた。

 二人は娘の思い出話に花を咲かせ、一歩一歩ゆっくりと歩を進めていた。


 「あれからエミにそんな面白い友達ができるなんてな」

 「ええ。明子ちゃんはとっても明るくて楽しい子だわ」

 「まさかあの時仕事を手伝ってくれた子とエミが友達だったとはな」

 「明子ちゃん知ってるの?」

 「まあ俺の仕事を立て直してくれた恩人の友達だよ」

 「そうなのね。世間って中々狭いのね」

 「そうだな。しっかし、エミにも春が来るとはな」

 「承太郎君はハンサムでとても礼儀正しい子よ」

 「そうなのか。でも、嫁に行かせるにはまだまだ芽吹いたばかりの青野菜だな」

 「それを言うなら青二才でしょ。相変わらずダジャレが好きね」

 「なんでだろうな。二十歳超えてからどんどん止まらなくなってな。でもそのおかげでエミが笑ってくれたこともあったな」

 「そうね。布団が吹っ飛んだっていう古典的なダジャレで、エミが大笑いしていたのを思い出すわ」

 「あったなそんなこと。二人で笑ってたら強風が吹いてさ、本当に布団が吹っ飛んで行っちゃったもんな」

 「あの時は三人で小さく布団が吹っ飛んだって呟いて大笑いしたわね」

 「あれは爆笑したよな。はー。あんな日がまた来るといいな」

 「そうね……」


 二人は黙りこくってしまった。数分間静かに歩いていると、その静寂を断ち切る着信音が鳴り響いた。


 「はい。氷河です。……え?! エミが……。分かりました。すぐに行きます!」

 「どうした?」

 「エミの容体が急変したって」

 「本当か!?」

 「ええ。こうしちゃいられない。早く行きましょう! あと承太郎君に電話しなくちゃ!」

 「そうだな。あとちょっと待ってろ、すぐに行く方法があるから」

 「え? タクシー何てここにないわよ」

 「大丈夫」


 友一はスマホを取り出し電話を掛けた。


 「もしもし翠さん? 今ホワイトホールって俺のとこに持ってこれたりできる? おっけ。ありがとう。荒川の河川敷にいるんだけど。位置情報、今から送るから」


 友一が通話を切り十秒もしないうちに翠は何もない空間からホワイトホールを使って現れた。


 「久しぶりね春日さん」

 「その節は本当にありがとう翠さん」

 「いいえ。でもどうしてホワイトホールが必要なのかしら」

 「端的に言えば、うちの娘が。エミが入院していて容体が急変したらしいんだ」

 「娘さんの名前は?」

 「氷河エミ」

 「氷河エミ……。それって明子の友達の……分かったわ。それならこれを使ってちょうだい。行先さえこのタブレットに書き込めばすぐに行けるから」

 「分かったありがとう!」

 「エミさんによろしく言ってちょうだい。このこと明子にも伝えておくから」

 「ありがとう! 何度も助けられてばかりで本当に申し訳ない」

 「そんなことないわ。娘さんを元気にできるのはお医者さんか親の友一さんしかいないのだから」

 「翠さん……」

 「それじゃあ、また!」

 「ありがとう!」


 翠は小さく会釈をしホワイトホールの中に戻っていった。

 美里は豆鉄砲を食らった鳩のように目を丸くさせていたが、顔をぶるぶると振り正気に戻ると、脳内に溜まった情報を怒涛の勢いで友一にぶつけた。


 「なんだったの今の、え?! テレポーテーション? 翠さん? って誰?! その節ってどの節? 明子ちゃんと友達なの?!」

 「1、ホワイトホールはテレポート技術。2、翠さんは明子さんの友達で仕事を立て直してくれた俺の恩人。3、その節というのは俺の仕事を立て直してくれたこと。以上。」

 「私の疑問を箇条書きで消化しないで!」

 「詳しい話は後でするから。とにかくホワイトホールに乗ってエミのとこまで行くぞ!」

 「わ、分かった!」


 二人は河川敷の空間に白い空間を作り出し、藤山大学附属病院と行き先を特定し飛び乗った。


 「よし出発だ!」


 「ぐわら~ん」という効果音があたりに響き、ホワイトホールは二人を包み込んだ。

 荒川は次第に凍り付き、飛び跳ねた魚が結氷けっぴょうに落ちて、のた打ち回っていた。



 ――――明子はカイヂュウ駆除のバイトが終わりエミのもとへ向かっていた。

 「早くエミが私の漫談で笑ってくれる顔みたいなー。ニシシシ!」

 「やあ、明子。なんとも上機嫌ね」


 明子が走っている隣に、翠がホワイトホールから顔を出し、同じスピードでついて来た。


 「うわぁ! 翠かびっくりしたぁ。いつもホワイトホールで出てくるの止めてもらいたいわ。いくつ心臓があっても足らないくらいショック死しそうになるから」

 「そう。次回はびっくりさせないようにホワイトホールから出て、後ろから話しかけるようにするわ」

 「いや結局びっくりさせるじゃん! てか、ホワイトホール使いながら移動までできるのね」

 「そうよ。時空を歪ませながら修復をさせることでこれが可能になるわ。修復させないと、歪んだ空間が壁に落書きされたカラースプレーのように残ってしまうの」

 「それはたいへんね。人が誤って取り込まれたりしたらただ事じゃないわね」

 「そんなことよりもっと困ることがあるわ」

 「もっと困ること? どんなこと?」

 「素晴らしい街の風景が落書きされたみたいになって、ダサくなることよ」

 「いや、至極どうでもいい! むしろ人が絶滅してしまう方が危惧することでしょ!」

 「こんな人類いなくなっても構わないわ。むしろ景観が――」

 「あーわかったわかった! 翠が時々厭人家えんじんかになるの思い出したわ。てかそんなことよりいきなり現れてどうしたの?」

 「それがね、氷河エミさんの容体が急変したそうよ」

 「え! うそ!」

 「さっき友一さんから聞いたの」

 「友一さんから? どうして友一さんがエミの事」

 「友一さんはエミさんの父親だったのよ」

 「うっそ! マジで! そうだったんだ。友一さんが置いてきちゃった娘さんってエミの事だったんだ……」

 「だから今友一さんとその奥さんはもう一つのホワイトホールを使ってエミさんのもとに向かっているの」

 「そうなのね。分かったわ、だったら――」

 「ええ、一緒に行きましょ!」

 「流石みどり話が早い。早くエミのもとに行って元気にさせなくちゃ!」


 明子は走りながら、ホワイトホールの中へ背面飛込みをして乗り込んだ。

 ホワイトホールが閉じた瞬間、あたり一面のビル群が凍てついた。

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