第15話 エミ~その3~右手だけ手袋?

 一面真っ白の診察室。

 扉は何重にもされていて、窓一つない。

 まるで誰にも聞こえないようにしているそんな診察室で、私は断熱ガラスに囲まれながら診察を受けていた。

 頭上には溜め込まれた冷気がゆらゆらと放散している。まるでコップにドライアイスを入れた時のようだった。

 どうやら断熱ガラスがないと私は周りを凍らせてしまうらしい。

 どこぞの海軍大将にでもなった気分かといえば悪い気もしないが、温かい味噌汁も冷や汁になるし、ステーキすら冷気がフォークを伝って、硬くて不味い肉になってしまうのだから、嫌な気分しか残らない。

 特に勘弁してほしいのは小豆バーがダイヤモンド並みに硬くなってしまうことだ。

 この世の中で最も硬いアイスに、氷が三層もコーディングされて叩いても割れないのだから、もうどうしようもない。

 善哉ぜんざいにしようにもポットに触れるだけでお湯が水になってしまう。

 私はとうとう善哉すら楽しめない体になってしまったようだ。

 嗚呼、何と悪きことかな一休さん。


 「……愛着性自己否定障害? 通称ぬくもり病ですか」

 「ええそうです。エミさんの過去の話を遡れば、愛着破綻に関連した自己肯定感の著しい欠如が見られます。そして、美里さん。……お母さんやエミさんの根も葉もない噂が、エミさんの心をチクチクと痛めつけ、結果以前私とお会いしたことがトリガーとなり重度のぬくもり病が発症したということです」

 「なるほど……。キッカケはあなただったんですね。さとしさん」


 聡さんは眉毛がきりっと整っていて、鼻が高く二重の端正な顔立ちに、黒縁の眼鏡が一層イケメンらしさを確立させていた。


 「人の顔を見て初めてゲロッたのが、モデルのようなイケメンで且つまさかお医者様だったとは思いませんでした」

 「その節は誠に申し訳ございませんでした。精神科医ともありながら、症状のトリガーになってしまうとは。本当に申し訳ございませんでした。ただ改めて弁明させてもらいますけど。私と美里さんは単なる友人で会って、そこに一切の妄りな感情はお互いございませんから」

 「そう言われても。まあ納得できるかはこれからの先生の言動に期待ってことにしておきましょう」

 「そういっていただいて救われる思いです」

 「でもあの時本当にヤバかったのに、今はなんでこうも平然といられるんでしょうか。ゲロッた相手を目の前にして、また吐かずにいられるなんて」

 「あんまり、ゲロッたゲロッたって言わないでください。そうですね、かねがね美里さんからエミさんの不登校や精神的な面についてお伺いさせていただいておりました。その際PTSDも疑っていたのですが、そういうわけではなく、このぬくもり病が全ての原因ですね」

 「というと?」

 「愛着性自己否定障害は文字通り、自己否定を重ねた病気です。重ねすぎた結果、自分の気持ちや感情の一切をうちに溜め込んでしまう。その結果、感情も全て内に秘めてしまい、痛みや不安、悲しみ喜びも感じられなくなってしまうのです」

 「そうなんですね」

 「また、重度症状として身体の溜熱りゅうねつ放冷ほうれいが見られます。溜熱は体の中心部である心臓に熱がこもることです。三十八度から九度が通常なのですが。八十度ともなると、これは重度。そして、心臓部に体内の熱を溜めてしまったため、末端部分に熱がいきわたらなくなり、氷のように冷えて行ってしまう。これが放冷です。その放冷がエミさんの場合、周囲にまで及んでいる。これは最悪の場合、この病院、いえ世界中を凍らせてしまうかもしれません」


 世界中をも凍らせる……。

 そう言われてみんなはどう反応するだろう。

 「うそでしょ?」「み、みんなまで死ぬの?」「うっひょー! やべえ能力!」こう言ったところだろうか。でも私はこうした時どんな反応をしたらいいのか、分からなくなってしまった。

 だから「そうですか」としか答えられなかった。


 「いきなり、世界中も凍らせるなんて言われてピンと来るはずがありませんよね。私も言ってて何バカなことをと思ってますよ。でも一度このぬくもり病で世界は死にかけているんです」

 「はあ」

 「エミさんが生まれるちょうど一年前、海外でぬくもり病にかかった少女がいました。その少女は両親からの虐待や、学校ぐるみでもいじめなどを絶えず受けてきた結果ぬくもり病を発症しました。そしてレベルファイブにまで悪化した結果、その少女の国全土が凍結、日本もその影響を受け、夏は平均気温三度。途轍もなく寒い一年を過ごしました。そしてこのぬくもり病の影響を重く見た各国は首脳会談をし、ある方策を取ったのです。どういった結果だったか、ご存じですか?」

 「いいえ。特効薬でも作ったんでしょうか」

 「そうだったらよかったのですが……。どの国も特効薬を造るどころか、まず少女に近づけない。そこで各国は無人ミサイルを少女に放ち、焼き殺したんです。世界の平和を取り戻すために、一人の尊い少女の命と引き換えに。そしてその少女とこの病気について、各国はすべてを隠蔽しただの異常気象だと、地球寒冷化だとして収束させたのです」

 

 私は絶句した。感情破綻している私だが、やはりなぜだか共感できるものがあったのかもしれない。いつも以上に胸が熱い。

 もし私が少女と同じ運命をたどるとしたなら……。


 「ですが、絶対に私はエミさんをその少女と同じ運命にはさせません」

 「でも、特効薬はないんですよね」

 「ええ薬では治りません。あくまで心の病気ですから」

 「だったらどうやって?」

 「これはまだ仮説の段階ですが、一つ治療法はあります。ただそれには人が大勢必要になる」

 「それはどういう治療法なんですか?」

 「それは――――」




 ――――「それで本当に治るんでしょうか」

 「まだ仮説ですので分かりませんが、必ず。あなたを治して見せます」


 「責任」その言葉を聞いた瞬間胸が張り裂けるように熱くなった。そして、私は……。


 「ゔ、ゔぉえ゛ぇ……!」

 「え、エミさん!」

 「はぁっ……はぁ~。PTSDもあるかもしれませんね」



 私は放熱性の病衣を纏って自分の病室に戻ろうとした。

 さっきの話を聞けば、なんで隔離されないで自由に動いていいのって我ながら疑問に思うが、先生は病人を隔離させないで治療をしたいらしい。


 「私は人を隔離してまで治療はしたくないんです。最近の感染症も隔離だのなんだの騒いでますが、その人の最期が病院の中じゃいやじゃないですか。少なくとも私が病気で死ぬときは、断崖絶壁の孤島でケバブを丸々噛り付きながら死にたいですね」


 と意味の分からないことを言ってたし。かと言って私はこの病気で人を死なせようとも思わないから、まあ大丈夫といえばそうかもしれない。

 でももし私が動けないくらい重度になって、皆を氷漬けにしてしまうようなことがあれば、私は、私の意志で隔離してもらうということを先生に誓った。

 先生はあっけにとられた顔をしていたが、口角を上げて、「分かりました」とだけ告げた。

 病室まで戻る途中。CTスキャンへ行く狭い道で一人の男の子がコソコソ何か本を開いては閉じることを繰り返していた。


 「右手だけ手袋? 何してるんだろう」


 私は気づかれないよう摺り足でその男の子に近づいた。

 あと一歩で彼に手が届きそうなとき、彼は徐に手袋を外しその本に右手をかざした。

 と同時に私は彼の右肩に手が届いた。

 そして次の瞬間。

 ぐにゅーん。という効果音とともに小説の中に吸い込まれ、気づいたら私はドラゴンの背の上で四つん這いになっていた。

 また、背中に彼を乗せて。


 「なに……これ」



 これが承太郎との初めての出会いだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る