第13話 エミ~その1~私の仮想通貨取引の生活は始まった

 私を孤独にさせる病室は真っ白で、ベッドと窓と冷蔵庫しかなかった。

 テレビすら置かれず、一切の娯楽もない地獄のような監獄は、足枷をつけて海に沈められるくらい苦しかった。

 私がこの藤山大学付属病院に入れられてからもう一年がたとうとする。

 にもかかわらず、一向に私の病気はよくならない。と、いうのも治療のすべがないというらしい。

 日本一大きく、名誉のある病院で手に負えないというのなら、いっそのことこの窓から飛び降りて、アスクレピオス先生の診療所へ行こうとも思ったくらいだ。

 一日中窓の外を眺め、時々飲み物を買いに病室を出る。

 暖房が利いた病院内でも、私が通ると氷が張るくらい寒くなるらしい。だが、私の体温は日に日に上がっていくのだ。

 いつものお汁粉を手に取り、私は「氷河笑美ひかわえみ様」と書かれた病室へとまた戻っていった。

 ベッドに腰掛け、お汁粉を飲もうとしたときには、お汁粉はすでにシャーベット状になっていた。


 「いつになったら温かいお汁粉が飲めるのかしら。この前承太郎君が買ってきてくれたこのコロニラもドライフラワーになっちゃったし。不老長寿っていう花言葉は嘘だったのかしら」


 私はコロニラの花びらにふっと息を吹きかけた。

 花びらは二三度揺れ、一枚がぽろっと桟の上に落ちた。

 シャーベット状になったお汁粉を喉に流し込む。

 アルコールの充満した空気と一緒に飲んだせいか、甘い消毒ジェルを口に入れた気分だった。

 ふと病院の外を見た。病衣を着た子供が元気に庭で走り回っている姿が目に入った。

 父親、母親と一緒にボールを蹴ったり投げたりして遊んでいる。


 「はあ。こんなにほほえましいのに、笑えない。ほほ笑むことすらできじゃいなんて。……いつからだろう。こんなふうになっちゃったのは」


 



 遡ること四年前。

 私は普通の家族に生まれた普通の小学六年生だった。――――




 「パパ! 今日の国語のテストも満点だったよ!」

 「凄いじゃないかエミ! っておい、これ模範解答と一字一句同じじゃないか!」

 「そうだよ、前日にテスト解答例のデータがある先生のPCを、外部のPCからハッキングしてデータを盗み取ったんだ!」

 「いやビルゲイツもびっくりの仕事ぶり! じゃなくて、そんなことしたら絶対ダメだろ。カンニングよりたちが悪いじゃないか」

 「でもPCを教えてくれたのはパパでしょ。この先株やFXができるようにPCを覚えなきゃだめだっていったじゃない」

 「そう言ったけどさ」

 「だからPCでプログラミングとか――」

 「PCって小学生が言うのやめてくれるかな! なんか仕事仲間と話している気分だから、エミには普通にパソコンって言ってほしい」

 「分かったよ。でもね、パソコン覚えてからいろんなところで本当に役に立ったんだよ」

 「そ、そうなのか」

 「例えば行事のデザインを任された時なんかは、HTML&CSSやJavaScriptとRuvy使って修学旅行のしおり作ったし。あ、いまはね、SQLに挑戦してるの」

 「いや小学生の会話じゃねえ! というかエミ、なんでパパより詳しいんだ?」

 「うーん。なんかねえ。友達にプログラミングが詳しいお兄さんを紹介してもらって、教えてもらってるの」

 「そ、そうなのか。そのお兄さんは優しいのか?」

 「うん! とっても優しいよ。プログラミングに興味がある友達を、同じ月額サービスの教室に何人か誘ったら、収益の3%をお小遣いとしてくれたもん!」

 「マルチ商法か! パパそんな話聞いてないぞ。というか月額サービスの教室? 誰がそのお金払ってるの?」

 「私よ」

 「美里ぉ~。どうしてエミを怪しげな教室に入れたんだ?」

 「それはこの子がプログラミングをやってみたいって言ったからよ。それにあなただって言ったじゃない。この子がしたいと思うことは尊重してやらせてあげるって」

 「いったけどさぁ、でも法に引っ掛かりそうな怪しいところには……」

 「大丈夫だよパパ! この会社東証一部上場してるし、年々売り上げも上がってきている会社なんだ。それにカコ・カーラとか、ユニシロの広告デザインとかも提携してやってるホワイトな企業なんだよ! 会社も渋谷のマベアタワーズの一室にあって、一階はステバのあるオシャンな仕事場なんだ!」

 「なんかいろいろ混ざってる気がするけど、とにかくオシャレをオシャンっていうのはやめなさい! あとポテチ食べた手でキーボード触らないで!」

 「大丈夫だよパパ! キーボードはラッピングしてあるから汚れてもすぐ取り換えられるんだ」

 「流石だわエミ。外部セキュリティも完ぺきね!」

 「外部セキュリティも完ぺきね、じゃないわ! とにかくパソコンしてる時はポテチやめなさい!」

 「ちぇー。わかったよ」

 「にしても、エミがここまでパソコンに詳しくなるとはな……もしかしたら……」

 「ん? どうしたのよあなた。諸葛亮公明みたいな悪い顔してるわよ」

 「そうか? いやな、エミがプログラミングもハッキングもできるというなら、仮想通貨取引や株式投資もやれるんじゃないかって思ってな」

 「まあ! あなた本当にそれ言ってるの? まだお酒もたばこも知らない小さい子どもに借金を負う覚悟を背負わせる気なの?」

 「いや言ってみただけだよ。流石に折れ線グラフの山と谷をずっと見続けるなんて面白くないし、エミもきっとやる気にならないからな」

 「そういうこと言ってるんじゃないの! 初めは儲かったとしても、大きな損失になったら責任はどうなるのよ。資産運用をエミがやるとなったら、あなた責任とれるの?!」

 「もちろんエミが資産運用したとしても、使うのは俺の金だからな。責任は全部俺だよ」

 「だとしても……さすがにエミは……」

 「やるよ!」

 「え?」

 「ベットコインでしょ? やるやる」

 「エミぃ!」

 「エミっ! 学校の係決めじゃないんだから、こんなギャンブルみたいなこと二つ返事で了承しないでちょうだい!」

 「確かに係決めとは違うよね。でも、パパもママも仕事。料理や洗濯は早く帰ってきた方が分担してやってる。家政婦一人雇えればいいけど、そんな資産もない」

 「悪かったな、うちが上流貴族じゃなくて」

 「それに私はまだ十二歳。仕事ができる年齢じゃない。でも、ベッドコインなら一番早く帰ってきた私がやって家政婦一人雇えるくらいの資産は築きあげられるんじゃないのかな?」

 「エミ! よく言った!」

 「でも、月五百円じゃ投資はおろか、銀行口座すら開設できない。いったいどうしたら……」

 「大丈夫だエミ! 運用する資産なら、パパのを使っていい。大学卒業するまでに貯めたお年玉やら入学祝やら全部合わせて二百万円が口座に入ってる。これを元手に自由にやってみるといいさ!」

 「あなた! そんな簡単に大金をエミに背負わせないでって言ったじゃない。それにそんな大金初めて知ったわ。それがあれば家政婦の一人や二人雇えるでしょうに!」

 「そうかもしれないが、もっと自由な時間を得るにはお金が必要なんだ。お前も俺も仕事は何時から何時までだ?」

 「八時から残業合わせて夜の十時まで」

 「エミと遊んだり自分に使える時間はどれくらいだ?」

 「一時間もないわね」

 「そうだろ? それよりもっと、エミと過ごす時間を俺は欲しい。それにはいくらかお金が必要だ。でも俺らは本業で手一杯。副業もやる時間がない。なら仮想通貨とか株で資産の仕組みづくりをしなければならないだろ! お前も今の生活ずっと続けたいか?」

 「続けたいかと言われたら、続けたくはないし、もっとエミと過ごす時間は欲しいけど。……でもやっぱりエミ一人にこんな大仕事を任せるのは……」

 「ママ! 私やるよ!」

 「エミ……」

 「私もママとパパと一緒に遊びたい。いろんなとこ旅行したり、遊園地にも行きたい。ママとパパが笑って幸せになってくれるなら、私ベッドコインでも株式でもなんでもやるよ!」

 「エミ……」

 「それでこそ俺たちの娘だ! 自分がやりたいと思ったことはどんどん挑戦していけ! お金は心配すんな責任は俺が全部取るから!」

 「分かった! やってみる!」


 そうして私の仮想通貨取引の生活は始まった。

 家に帰れば父と母が帰ってくるまでずっとパソコンの前でトレードとにらめっこし、タイミングを見計らってはお金をつぎ込んだ。

 初めは少しずつ儲かっていき、最高で月に四百万を稼ぐこともできた。

 しかし、やはりビギナーズラックだったのか、一度大金を得るという感覚、アドレナリンが放出するこの感覚を知ってしまってからはもう沼から戻ってこれなくなった。

 その結果……。


 「二千万の損失……?」

 「ごめんパパ。過去一か月の値動きが大きかったから便乗したんだけど、便乗したとたん値下がりが始まって……それで」

 「わかったもういい。あともとではどれくらいだ?」

 「三百万……でも次こそは!」

 「ああ。任せる。エミの好きなようにやってくれ」

 「パパ」

 「大丈夫。心配するな。責任は全部俺が取るといったろ」

 「パパ……!」

 「だからエミは今まで通り頑張ってくれればいい」

 「うん、わかった!」

 

 そして私は負けても「今度は勝てる! 絶対もうかる」と焦り、どんどん投資金額を増やしていった。

 それは父親も同じ。貯金の二百万が消えてからはあらゆるカード会社でクレジットカードを作り、ついには親戚を回ったり、銀行からお金を借りた入りした。そして膨れ上がった借金は……二億円。

 親子そろってどっぷり沼に沈んだ。

 いまでもその利息は日に日に膨らんでいる。

 そして家の中のソファや冷蔵庫、テレビまでもが差し押さえ撤去されもぬけの殻となったある日、とうとう父は置手紙だけを残して忽然と姿を消した。


 『これでもうなにもかもお終いだ。エミ、本当に悪かったな……お前をこんなひどい目に合わせて。俺が悪かった。借金はお前のせいじゃない。いや何もかもお前のせいじゃない。借金の返済。そしてエミと美里の幸せな生活を奪ったのは俺だ。だからおれはすべての責任を背負って、この家を出ていく。そして、全てを戻してから俺はお前たちを迎えにくるから。それまでどうか細く強く生きていてくれ……。友一』


 嗚呼、なんと無責任なんだろう。

 私は子ども心にそう思った。すべての責任は自分だと言って、家を出て行ってしまった。明日の生活も分からないまま、手に職もない小学生を放置して野垂れ死ねというのか? すべての責任が自分だというなら、ぐちゃぐちゃに壊した私たちの生活を元通りにしてから消えてほしい。いや、本来それをするのは父ではない。

 私だ。

 私がやった。私が狂わせた。私がパパとママの生活をめちゃくちゃにした。

 いなくなればよかったのはこの私だ。もう何もしたくない。裕福な暮らしとか家政婦とかいらない……。ねえ、戻ってきて。戻ってきてよ……。

 もう、ハッキングとかしないから、調子乗ってプログラミングとかしないから、スマホもねだらないし、ポテチも食べないから、戻ってきてよ……パパ!


 こうして私の心から感情というものが失われ、この時から私は――――


 笑うことを忘れた。

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