プロローグ 六十回目の記念写真(3)
「遅かったわね、お兄様」
姉である初音より数分遅れで撮影場所に到着した兄をジト目で見やる双子の妹である初老の女性ーーーーーー音羽。
彼女は今年五十六歳になるにも関わらず、その外見は自分と違って若々しい。それこそ初めて彼女を見る人皆が三十代と答えるほどに。
我が家の女性は姉である初音を筆頭に容姿が若々しく(初音は別であるが)、それは僕たち三姉弟の産みの母の影響が大きいと思われる。
彼女もまた実年齢より二十歳くらい若く見えるほどに若々しい容姿をしていた。
そんな妹であるが、子供も孫もいる立派な母親であり、お婆ちゃんでもあるのだから時が経つのは本当に早いものだ、と推古する勇一郎であった。
そんな勇一郎に長男夫婦が叔母である音羽を宥めながら近づいてきて、
「まぁまぁ音羽叔母様もその辺で勘弁してあげてください。さぁ父さん、早くこちらに。主役である初音叔母様も待っていることですし」
「お義父様、綾音と百合音も首を長くして待っていますので。どうぞ行ってあげてください」
「お母様!!」
「今日の主役はお祖父様じゃなくて私たちと初音おばあ様です!! 」
母親のからかうような言葉に顔を赤くして勇一郎の前に飛び出してきたのは双子の姉妹の綾音と百合音であった。
初音を幼くした外見の愛らしい容姿をした美少女であり、唯一違うのは髪の色と瞳の色であった。
綾音は黒髪に琥珀色の瞳、百合音は灰色の髪に黒い瞳、髪型は左右非対称のツーサイドアップを色違いのリボンで結い上げていた。
初音とお揃いのワンピースを身に付けており、さながら三人は年の近い姉妹のように見えた(初音とは年の差は四十近く離れているが)。
双子特有の距離感故か、常に彼女たちは手と手を繋いで行動を共にしており、今現在もその手は固く繋がれていた。
「ね、ねぇ、綾音ちゃんに百合音ちゃん。初音さんや海音さんも待ってるし、早く席に座ろうよ」
そんな彼女たちの背中に隠れるようにして、双子姉妹よりも小柄な少女が声をかけてきた。
その声は鈴の音がなるようにか細いが聞いていて非常に心地よい。
このオドオドとした雰囲気を纏ったこの少女は音羽の孫娘である鞠音だ。
野に咲く花のように可憐な容姿の少女で、幼い頃の音羽に良く似ている。
年は綾音たちより二つ下の十三歳で、彼女たちからも妹のように可愛がられている。
そんな鞠音の言葉を聞いてか、綾音と百合音は、
「はいはい、分かったわよ」
「可愛い鞠音には逆らえないしね」
と、納得がいかないながらも大人しく矛を納めて初音が腰掛けている椅子の元へと向かう。
五脚並べられた椅子の真ん中の席に初音が座り、その両隣を綾音と百合音が当たり前のように腰を下ろした。
相変わらず我が儘に生きている娘を見た長男夫婦は恥ずかしさを伴った笑みを浮かべて、
「それでは父さん、早く席に着いてください。僕たちは後ろに立つので」
問答無用で席に座らせようと促してくるが、普通ならば親であるお前たちが座るべきであろうと伝えるも、長男夫婦は首を振ってガンとして譲らなかった。
年寄り扱いしているのか、何とも複雑な気持ちだが致し方ない。このままでは何時まで経っても写真が撮れない。
この後に食事会が控えているのだから、無駄な意地を張らずサッサッと済ましてしまうのが得策か、と大人しく促されるままに席に着いた。
それは音羽も同じようで同じく長女夫婦に促されるままに席に着いていた。
緊張感が走る。
いくつになってもこの瞬間だけは慣れないものだ。
五脚並べた椅子の後ろに長男夫婦、長女夫婦にその娘の鞠音が並び立つ。
もちろん鞠音が真ん中だ。
せめてのもの温情なのだろう。初音の真後ろに鞠音は立っていた。その表情は嬉しそうに綻んでいた。
本来なら勇一郎の次男家族、初音の次女家族も参加する予定であったが、まだ子供が小さいのと遠方に住んでいるので今回は参加を見送ったのだ(双方ともに残念がっていたが)。
というか無理に参加しようとしたのを初音が止めたのだ。写真など何時でも撮れる。それより貴方たちにもしもの事があったら事だと。
家族思いな姉を体現するかのような言葉であった。この言葉があったからこそ泣く泣く諦めたと言っても過言ではない。
それに参加したかったのは何も子供たちだけではない。
一年前に亡くなった我が伴侶や、五年前に亡くなった妹の伴侶も参加したかっただろうからな、と未だに居なくなったことの実感が持てず勇一郎は亡き最愛の妻へと想いを馳せた。
妹は五年間もこの喪失感に耐えているのか、ひとえに我慢できるのは子供や孫の存在のお陰か。
彼らの存在が無ければこの悲しみに耐えられていたかも分からない。もしかしたら悲しみに押し潰されていたかもしれない。
だが自分たちの悲しみや孤独感など、我が姉に比べたら大したことはない。
むしろ彼女の方がこれから先辛いことが待ち受けている。
だからこそ、写真をたくさん残すのだ。
寂しくないように、何時でも家族のことを思い出せるように、懐かしむことが出来るように。
そして、この慣習を続ける限り決して姉を一人ぼっちにしないという決意を込めて、勇一郎は大きく息を吸い込んで吐く。
それを数回ほど繰り返して漸く待ちわびている姉へと声をかけた。
「ーーーーーー姉さん、準備はいいです
か?」
「えぇ、何時でもいいわ」
その言葉を合図に、勇一郎は写真を撮るべく適切な距離を取った海音へと目配せした。
彼は年季の入ったカメラ一式を持参し、よく集合写真を撮るカメラマンのような仰々しいカメラを設営していた。
家屋が日を遮っているためフラッシュをたくことを告げるとカメラに被せた布の中へと潜り込んで最後の微調整に入る。
写真を撮る前に彼も一緒に写るように声をかけたが、
「婆ちゃんを差し置いて俺は写れませんし、それに俺は撮っている方が好きなんで」
とやんわりと断られたのを不意に思い出した。
何とも彼らしい断り方だ。サッパリとしていて後腐れの無い竹を割ったような好感の持てる性格が好ましく思う。
だが姉は海音くんのことを気に入っている。出来たら一緒に写ってもらいたかったが無理強いはできない。
だから、まぁ今回はこれで許してもらおう。
現にこれはこれで姉も気に入っているやうだし結果は上々のようだ。
そうこうしている間に彼の準備も出来たようで、ひょっこりと布から抜け出すと、
「ーーーーーーじゃあ、皆さん。こちらを向いて、そうそう。このレンズに視線を合わせて下さい。あっ、出来たら極力瞬きもしないで、フラッシュたきますけど我慢してくださいね」
よく通る声を張り上げる海音。大きい手振りで写真を撮る合図をこちらへと送るのを見て思わず吹き出しそうになる。
それが緊張感を和らげる手助けになったのか、皆一様に先程とはうってかわって固く張り積めた表情から一転柔らかな険の取れた表情へと変わっていく。
一瞬の隙も見逃すように、海音は手にしたシャッターのボタンを押す。
ついで迸る眩い閃光に、一瞬だけ白く染まる視界。
そして耳障りな音に、皆一様に眉を潜めるが気合いで瞬きをすることはなかった。
フラッシュが収まるのと同時に再び布の下へと潜り込むと、写真の出来を確認する。
というか古いカメラなのにそんな機能ついているのだろうか?
どうやらそれは的中だったようで、海音は恥ずかしそうに布から這い出ると、誤魔化すように頬を掻いて、
「・・・・・・ははは、あと何回か写真を撮りますので、皆さん前と同じように楽にして前を向いてください」
そんな彼を見てどこからともなく笑いが溢れる。
それは姉も同じようで、人形のように怜悧な美貌に温かみの宿った微笑が浮かんでいた。
あぁ、本当に彼に頼んで良かった。
そう心から思いながら、勇一郎は姉の記念すべき六十歳を祝う写真を撮るべく佇まいを直すのであった。
エルフ病と呼ばれた少女と始める二度目の恋のやり方 @nama96
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