……そしてッ!! #6

「あ……え……?」


 二の句が継げず、口をぱくぱくするリーネ。


「ふむ、小生の言葉はわかるかね? 言葉が通じないとなるとなか/\やっかいであるが――」

「わ、かる、が……」

「よろしい。では二つ目の質問である。」


 そこで初めて、リーネは青年の顔が夜の湖面に浮かぶ月のごとき幽玄なる美を湛えていることに気づき、百七十二歳の年頃の娘らしく胸が一瞬高鳴るのを感じた。これほどの美貌は、リーネたちエルフの中でもなかなかいるまい。

 そして、彼は言った。


「――助太刀は、必要かね?」


 彼は、穏やかに相好を崩した。どこか牧歌的な、野に咲く小さな花のようなその微笑みを前にすると、一瞬胸をざわめかせた動揺は急速に落着きはじめる。温かい飲み物を飲んでほっと一息つくような、肩の力が抜けるような安心感が、疲労と打ち身で消耗しきった全身に染み入ってきた。へなへなとへたりこみそうになる。


「あ……」


 この青年の素性も実力もわからないのに軽率だ、という常識的思考が働くより前に、リーネは力なく頷いていた。


「す、すまない……助けてほしい……」

「心得た。今までよく頑張ったな。そこで休んでいたまえ。」


 穏やかな労りの言葉に、リーネはついうっかり力が抜け、尻餅をついてしまうのだった。

 敵の目前で何を呑気な、と思う。思うのだが、それ以上に、あぁ、これはもう大丈夫だ、と、強い確信が湧くのだ。

 青年は懐より一枚の札を取り出した。何やら見たこともない文字が書き込まれている。

 手首を利かせて札を打ち振るうと――それは一振りの刀剣に変じ、青年の手の中に納まった。

 それは、なんと形容すればいいのか。ロギュネソス帝国の一属州には、シャムシールなる曲刀を使う民族もいると聞くが、それらとは明らかに趣が異なる。

 なにしろ細身に過ぎる。あんな華奢な刀身では、オークの戦斧と一合打ち合っただけで折れてしまうだろう。

 そうであるにも関わらず、リーネはその武器から異様な寒気を感じた。凝縮され、煮凝らされた、殺意と技巧と美意識の融合物。リーネがまったく想像だにしない原理思想のもとで鍛えられた、「合理的に命を奪うことに特化した芸術」という矛盾。


「我が撃刀たちかきは斬魔ののりなれば――」


 低く、青年は囁く。

 空気が冷たく引き絞られ、張り詰める。


「――お前たちを人でも神でもあやかしでもなく、断つべき魔と認識した。」


 親指で鍔を押し上げ、もう一方の手でゆっくりと引き抜く。

 瞬間、鍔元に備え付けられた自鳴琴オルゴールじみた装置と、引き抜かれた刀身とが干渉し、殷々とした調べが漂い始める。

 刀身が震え、美しい音色を奏でているのだ。


「武器を捨て、即刻去るならば追わぬが――そんな話が通じる相手でもなさそうであるな。」


 美しくも凄絶な笑みを浮かべ、青年は殷々と震える刀を白く優美な指先で爪弾いた。

 音階が調律され、少し低いものに変わる。

 彼の研ぎ澄まされた戦意に当てられたのか、オークたちは次々と咆哮を上げ、飛びかかってきた。


「安息せよ。苦痛などない。」


 そう、優しげな囁きをその場に残し――


 ――青年は、掻き消えた。


 リーネの尖った耳を、透明で哀しい、ひとくさりの旋律が撫でていった。朧にしか見えない閃光が、致死の孤月を描いては消え、描いては消え、場所と角度を多彩に変えながら絢爛に咲いて散る。そのたびに旋律に変化が起こり、リーネは思わず感嘆の吐息を漏らす。

 夢のような一瞬が過ぎ去った。

 かちり、とすぐ隣で鍔鳴りの音がする。同時に大気を満たしていた楽曲は消え去り――オークたちが、次々とその場に倒れていった。

 かっと眼を見開いたまま、地に倒れ伏し、ぴくりとも動かない。

 明らかに死んでいる。だが、血など一滴も零れてはいない。

 不可解極まる死に様だ。


「い、今……なにをされた……?」

「うん?」


 刹那の大立ちまわりの後、いつの間にかリーネのすぐ隣に戻ってきていた青年は、福々と暖かい微笑を浮かべた。


。」

「なっ……!?」


 一瞬、言葉の意味を理解しかねた。

 青年は、鞘に収まった刀剣を軽く打ち振るうと、札の形に戻した。

 懐に収める。


「小生、生粋のシテヰボオヰゆえに、制服が血で穢れるのは好まぬ。」


 リーネは、戦慄した。

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