……そしてッ!! #2

 腰に手を当ててびしっと指差す。

 錬金登録兵装は、〈哲学者の卵〉によって全一性ユニテから銀の要素を取り出すことで錬成されるものだ。しかし通常の物質と違って安定したものではないので、分解指令を出さずとも数時間経てば勝手に全一性ユニテへと還ってゆく。灸をすえるにはいい時間だ。


「さて」


 フィンは、少女の方へ向き直る。

 尻餅をついた姿勢のまま、ぱちくりと眼を見開き、こちらを見つめている。


「えっと……お怪我はないでありますか?」


 驚かせないように、間合いを置いたまま問いかける。

 少女は一瞬呆然としたのち、ひとつ小さく頷いた。


 ――よかった。言葉が通じる。やっぱりセツ人だ。


 少女はゆっくりと立ち上がると、祭祀服についた落ち葉や苔の欠片を払う。落ち着いた動作の中に、匂い立つような気品を感じた。そのことにフィンは内心びっくりする。軍隊の中でがさつな男たちに囲まれて過ごしてきたフィンにとって、立ち上がるという些細な動作にここまで印象の違いが出てくること自体が想像だにしなかったことだった。おとぎ話に出てくるお姫様みたいだな、と思った。

 ともかく、セツの大義に身命を捧げた戦士の礼法に従い、フィンはその場で軍靴の踵を鳴らして敬礼した。


「小官はセツ防衛機構第八防疫軍第五十八師団第二連隊長付き特殊支援分隊長、フィン・インペトゥス准尉であります。あなたのお名前をうかがってもよろしいでしょうか?」


 少女は、応えるように口を開いたが、一瞬眉をひそめる。口を閉じ、首を軽く傾げ、再び発声しようと口を開く。

 声は出てこなかった。空気が口から洩れるかすかな音だけが、風にかき消されていった。


 ――ああ。


 フィンは、痛ましい表情になるのをどうにかこらえた。極限状況による戦闘ストレス反応で言語障害を発症した事例は、フィンも聞いたことがある。

 彼女は、乗り越えられるのだろうか。


 ……と、思った瞬間。


 少女はぽん、と手を叩く。その顔には納得の表情が浮かんでいた。

 それから、こちらに目をやる。その視線には、何故か困惑の色がすっかり消え失せ、むしろ安心したような、申し訳ないような複雑な色合いがあった。

 しずしずと、こっちに歩み寄ってくる。

 そのさまにも、フィンは小さく衝撃を受ける。こんな風に歩く人がいるのか。こんな、誇りと敬意に満ちた、まるで雲の合間から差し込む光の道を歩むような、洗練された歩き方がありうるのか。少女の仕草ひとつひとつに、フィンは息を呑んだ。

 天使みたいな人だな、とも思った。

 そして近づいてくるにつれ、少女の半神的とも言える美しさが徐々に明らかになる。

 金髪が、光の王冠めいた艶を帯び、背中まで流れている。蒼い両眼の間で、前髪がバッテンを形作っていた。

 ぱっちりと巨きな碧眼は、瞳の部分がぼんやりと淡い光を宿している。一瞬目の錯覚かと思ったが、違う。わずかな光量であるものの、実際に発光している。水中から見る月光のような、何か底知れぬ神秘を湛えた光であった。

 そして――彼女はセツ人ではなかった。なぜならセツ人では決してありえぬ明らかな特徴があったのだから。

 耳が、剣の切っ先のように尖って、横に長く伸びていた。


 ――これは!?


 そんな人種など聞いたこともない。黒と紅の魔眼ではない以上、カイン人でないことは明白だが、しかし一体何者なのか。

 剥き出しになった細い両肩より、透けるように白い両腕が伸びている。ほとんど直射日光が射さぬこの太古の森に生きる民であることを物語っていた。

 上腕の中ほどからゆったりとした袖に包まれ、指先だけがちょんと外に出ている。

 その指が、そろりとこちらに伸びてきた。

 見ると、少女の優美な孤を描いていた眉が、何故か哀しい斜線になっている。

 フィンは一瞬、恐慌に囚われた。なにかこの人を悲しませるようなことをしてしまったのだろうか。だとしたらどうしよう。それはとてもよくないことだと、ごく素朴に考える。

 ぞくりとするほど美しい指先が、フィンの目元に触れ、優しく拭っていった。

 そして、桜色の薄い唇が、ないてるの? と声なく囁いた。小首を傾げ、金髪がさらりと揺れる。


「……あっ、いやっ、これはそのっ……」


 慌てて目をごしごしと拭う。頬が熱を帯びるのを感じる。初対面の人に涙を見られてしまった。軍人として恥ずべきことだ。


「な、なんでもないでありますっ。ご心配には及ばないでありますっ」


 彼女は眼をぱちくりと瞬かせたのち、困ったように微笑んだ。

 そしてちょいちょいと手招きをしてくる。


「……?」


 言われるままに一歩彼女へと近づく。やはり、こちらより少し年上のようだ。目線がフィンの額あたりにある。

 爽やかな草葉のような香りが彼女から漂ってきて、何かくすぐったいような、気恥ずかしいような気持になる。


 ――助けてくれて、ありがとう。


「ひゃっ!?」


 いきなり耳元で囁かれ、フィンの肩が跳ね上がる。


 ――そして歓迎します、異界の英雄よ。


 淀みのない無声音が、明瞭な言葉を紡ぐ。つまり彼女が喋れないのは、心的ストレス外傷などではなく、もっと別の理由らしい。

 と、その時。

 周囲の大樹に反響しながら、凄まじい咆哮が轟き渡った。

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