……そしてッ!! #1
肩幅が身長とほぼ同じほどあり、両端から目を疑うほど太く長い腕が伸びている。
隆々とした筋肉のうねりが浮き出た、緑色の肌であった。フィンの胴体を鷲掴みにできそうなほど巨大な手に、鋼材をそのまま削って作ったかのような粗雑なつくりの大戦斧を握りしめ、振り上げている。恐らく、腕をだらりと下げたら拳が地面に接触しかけることだろう。
反面、下半身はずんぐりとしており、太く逞しい両脚は腕と比べるとずいぶん短い。
そしてその顔もまた緑色であり、凶悪な光を帯びた真っ赤な眼が、小さく灯っている。
鼻梁にあたるものはなく、大きな鼻腔がそのまま前方に空いていた。
何より目を引くのが異常発達した下顎である。別の大型生物のものを無理矢理移植したとしか思えないほどのアンバランスなまでに巨大なアゴから、以前見せてもらった古典ヒーローコミックに登場する悪魔かなにかかと思うほど巨大な牙が上に向かって生えていた。
その胴体は、鉄板を叩いて無理矢理体に合わせたとおぼしき鎧に覆われている。
全身より荒々しい殺意を発散し、その生物はほどなく無力な追われる者に追いつこうとしていた。
「……っ」
追われる側は、少なくともカイン人ではないようだ。目が覚めるほど艶やかな黄金の髪が、走行に合わせて慌ただしくうねっている。
ゆったりとした、丈の長い服を着ていた。明らかに走るのに向いた格好とは言えない。
何らかの祭祀服だろうか。白地に蒼色の複雑な紋様が描かれている。
案の定――その人物は突き出た根に足を取られたのか、その場にへたり込んでしまう。
――追いつかれる。
フィンは、喉を黒く冷たいもので塞がれるような感覚を味わった。
「ここも、なのか……」
こんなにも綺麗で、豊かな場所なのに。
こういうことは、起こってしまうのか。
そうだ。束の間、忘れていただけなのだ。
これが、現実なのだ。
セツ人は、踏みにじられ、虐殺される。
それが世の真理なのだ。
――ちちうえは、真理に食い殺された。
顔が、引き歪む。
心臓が握り潰されるような痛みが、胸の中で荒れ狂う。
どうしてこんなに、苦しいことばかりなんだろう。どうしてこんなに、哀しいことばかりなんだろう。
セツ人であるというのは、それほどまでの罪なのか。生きていちゃ、いけないのか。
緑の巨大生物が、言語と思しき唸り声を発している。明らかに嘲弄の響きがあった。
転んだ人物が、そのまま後ろを振り返った。フィンより少し年上の、幼さが抜けきらぬ少女であった。
震える唇を噛み、きっと追っ手を睨みつけていた。
屈していない。絶望していない。だがそれはなんと無意味で、儚い勇気だろうか。
――だからこそ。フィン、お前は……お前だけは、滅びゆく良き人々のそばに寄り添え。手を握り、最期まで一人ではないのだと囁きかけられる、優しき戦士となれ。軍規や、理屈や、しがらみに囚われず、牙なき人の明日のため、最後の希望でありつづけろ。
涙を、振り払う。
眦を決す。戦士の規律で、心を鎧う。
「牙なき人の、明日のために――!」
〈哲学者の卵〉に錬成文字が浮かび上がり、過去最高の精度で銀糸が全方位に迸った。それは音速を遥かに超えた速度で展開し、対象を拘束する万全の陣を構築し終えた。
緑の悪鬼の動きが、今まさに斧が振り下ろされようとしていた瞬間に止まった。
大樹の幹や枝を迂回して殺到した
「……っ!」
途端、凄まじい負荷が糸全体にかかった。緑の悪鬼が、縛鎖を振りほどこうと滅茶苦茶に暴れているのだ。その膂力はカイン人とは比較にならない。
一旦別の支点を経由していなければ、フィン自身も振り回されていたことだろう。
慎重に糸の長さを調整しながら、フィンは地面に降り立った。
少女は尻餅をついた姿勢のまま、蒼い眼を丸くしてこちらを見つめている。
「言葉が通じるとは思えないでありますが……」
しかしフィンは油断なく敵手を見つめ、声をかける。
「武器を捨ててほしいであります。大人しく去るなら追わないであります」
一応、これは知的生物ではあるようだし、いきなり事情も聞かずに排除するほどフィンは冷徹にはなれなかった。カイン人ではない、というだけで無闇に命を奪わない理由としては十分すぎる。
だが――
咆哮が轟き渡った。緑の生物は、狂乱じみた殺意と怒りを瞳に宿し、一層激しく暴れまわる。
「……ぐっ」
それは「痛み」とは異なる感覚だが、不快なものに変わりはない。
「大人しくするでありますっ!」
さらに大量の銀糸が巨体に絡み付き、簀巻きにする。ほとんど視認は不可能な
繭から丈夫な銀縄を形成し、大樹の枝にぶらさげた。確か図鑑で見たことがある。ミノムシというやつだ。
「そこでしばらく反省するでありますっ!」
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